人からほめられると「そんなことはありません!!」と否定する「自分へのダメ出し」
人から何かをほめられると
「ありがとうございます、光栄です。励みになります」ではなく
「えーっ!そんなことありません!!」と真っ向から否定する人は決して少なくありません。
おべんちゃらを言って取り入るつもりではなく、心から「素晴らしいな」と思ってほめたのに、真っ向から否定されてがっかりした人もいるでしょう。
人の心からの賞賛を否定するのは、謙遜ではありません。差し出されたプレゼントを台無しにする、実は無礼な行為なのです。
そして、ほめられると否定する人は、実際には他人からの評価を得るために○○する、というパターンにはまり込み、自分が本当はどうしたいかがわからなくなったり、行動を注意されただけなのに全人格を否定されたように傷ついてしまったり、誰も望んではいない「べき・ねば」に自分で自分の首を絞めていたり、そのくせ内心ではちやほやされたくて仕方がなかったりという一見矛盾した心理を抱いています。
一見「謙虚そう」「自分に厳しそう」と人から思われ、また自分でもそう思っているかもしれません。
そして自分でそう思えばこそ、努力もしている人がほとんどです。
しかしどんなに努力しても、心の中は何かいつも満たされず、自信が持てません。
一方で自信がある人、自尊感情が高い人ほど、他人のほめ言葉を照れたとしても、否定はしません。「一層精進します」くらいのことは言ったとしても。
そしてまた、自分から他人の承認を得よう得ようとガツガツすることもありません。ほめられたからと言って有頂天にもならず、またほめてくれた相手にすがってしまうこともありません。
その一方で慢心もせず、他人が気づく気づかないに関わらず、コツコツと努力を続けることが出来ます。
両者に能力的な差がそうあるわけではありません。
この違いは何でしょうか?
自分にダメ出しをすることを止められないのは、どのような理由からなのでしょうか・・・?
自分にダメ出しは「そのままの自分」を受け入れられないから
自分にダメ出しをするのは、一見自分に厳しい態度のようですが、「今現在の自分を受け入れられない」「そのままの自分から目をそらしたい、認めたくない」ためです。「良くも悪くも、あんたそんなもんでしょ」ということが、受け入れられないからです。
良くも悪くも「今の自分はこうなんだ。それ以上でもそれ以下でもない」という等身大の自分を受け入れ、認めていないと、その自分に鞭を打ち、いじめることをやめられません。ですから、せっかく人様が褒めてくれても、自分いじめをやめられないので「そんなことありません!」が出てしまいます。
これは「自分はほれぼれとする完璧な自分であるはずだ、そうでなければ愛せない」のナルシシズムが背景にあります。
ほめられると「そんなことありません!」と真っ向から否定するのは、謙虚さではなく、思い上がりなのです。
否定された方が、言葉では何とも言い表せない不快さを感じるのは、この思い上がりを心の奥底で感じ取るからでしょう。
(心にもないおべんちゃらに巻き込まれないために、「そんなことないですよ」とさらりとかわすのはまた別です)
自分にダメ出しと「やるべきこと」「必要なこと」をやることの違い
「こうなりたい」と目標持ち、現在の自分との差を測り、差を埋めるべく「やるべきこと」「必要なこと」を洗い出すことと、自分のダメなところを血眼になって探し回り、ダメ出しを続けるのは、全く似て非なることです。
目標を達成するために「必要なこと」は、必ずしも「今の自分に欠けていることを埋めること」とイコールではありません。
目標があいまいだと、本当は必要とはされていない「今はできていないこと」に気が取られてしまいがちです。
例えば、町のケーキ屋さんが、売り上げを伸ばすことが目標だとして、本当はチラシをまくなどの広告宣伝が必要なのに、「自分は世界一のパティシエより技術が劣っている!まだまだだ!」とケーキ作りのスキルに気が取られてしまうようなことです。
自分にダメ出しの癖が抜けないと、こうした「実は誰も必要としていないこと」「後回しでもいいこと」「だけど今の自分に出来ないこと」に躍起になってしまいがちです。
そして結果的に「中々うまくいかない・・」「ああ、自分はやっぱりダメだ」という悪循環に陥ります。
目標を達成できる人は、まず目標を明確にし、その上で「今最も優先するべき課題」に焦点を当てています。つまり逆算しています。
目先の「今足りないもの」「今出来ないこと」をどうにかしなくちゃ、ではありません。時間もエネルギーも有限ですから、常にゴールから逆算し、その中の最優先するべきことから手をつけています。「ゴールから逆算」を言い換えるなら、相手が何を求めているかに焦点を当てることです。
ケーキ屋さんの例で言えば、潜在的なお客さんに「あなたが求めているケーキはここにありますよ」と知らせてあげる、そのために例えば「集客できるチラシを作り、まく」ことです。
それができるためには、「自分は何もかもが出来る必要はない」「全てにおいて完璧でなくていい」と自分に対して思っている必要があります。
「世界一のパティシエの技術は、今はなくてもいい」です。
またチラシを作ってまくことも、全て自分で抱え込まず、他人に任せてもいいことです。
「世界一のパティシエより、自分は劣っている・・・!どうにかしなくちゃ・・・!」(誰も世界一のパティシエじゃなきゃ、ケーキを買ってやらないぞ!などとは思っていないのに)
これは実は、「自分しか見えていない」状態です。お客さんが、周囲の人が、何を望んでいるのかは置いてけぼりになっています。
「視野の狭い頑張り屋」ほど、陥りがちな罠です。勿論誰にとっても、「相手が望んでいることを過不足なく、タイミングよく差し出す」のは至難の業です。死ぬまで修業が要る「完璧はない」事柄です。こんな当たり前のことさえ、「ほれぼれとする自分でなければ愛せない」内は受け入れがたいのです。
「世界一のパティシエ」を目指すのが悪いわけではありません。
しかし、それは「世界一のパティシエでない自分は愛せない!」とは違います。
「世界一のパティシエ」になりたいのなら、将来的には目指しながら、今はその前に必要なことをやっていく、この順序が大切です。
「今は世界一のパティシエではない自分」を受け入れてこそ、「やるべきこと」に集中できます。
自分を責めるのは実は逃げ、反省は事実と向き合うこと
ミスや失敗をしたとき、うじうじと自分を責めて見せるけれど、「次はどうする」の反省はしない人が、まま存在します。
これはナルシシズムと共に、「自分を責めて落ち込んで見せたら、それ以上責任を追及されないだろう」という逃げの計算があります。落ち込んだり、めそめそと泣くとそれ以上何も言われなくなる、そうした経験があると味を占めてしまいます。
自分にダメ出しが多いクライアント様に、「子供の頃、テストのやり直しをしましたか?」と尋ねると、ほぼ100%「やってない」と答えます。反省とはテストのやり直しをすること、ダメ出しとは「私は馬鹿だ」ということにして、テストを放り出すことです。そして本当の勉強は、テストのやり直しから始まります。
人の上に立つ人は、部下や後輩が自分を責めて落ち込んで見せても逃げさせず、反省を促すことが仕事です。そのためにも、先ずは自分自身が「いい人でいたい」の善人願望、即ちナルシシズムを脱していることが必要です。
ダメ出しをしないための自己承認 自己承認と賞賛、うぬぼれの違い
自分にダメ出しをしないためには、自分の歩みを自分で振り返り、測り、承認する自己承認が必要です。
承認は事実をそのまま認め、受け止めることであって、賞賛とは異なります。賞賛とは事実を「評価」することです。つまりジャッジです。承認にはジャッジがありません。
うぬぼれることと自己承認は、全く異なります。うぬぼれは事実をそのままに見てはいません。
また自己承認とは他人と比べるものでもありません。以前の自分と比べて、何がどう違うのかです。
そしてこれは良い悪いではなく、違う、ということです。
小学校4年生の時の自分と、大人の自分とは明らかに「違い」ます。
しかし、小学校4年生の自分にしか感じられなかったこと、できなかったこともたくさんあります。
小学校4年生の自分が、それをやってくれたおかげで、今の自分がいます。
そして同じように、今の自分にしか感じられないこと、できないこともあります。普段は意識していなくても。
この今の自分があればこそ、一年後、五年後、十年後の自分があり、それは今とは何かが違っています。
自己承認とは客観性
自己承認のためには客観性が必要です。
この客観性こそ、「ほれぼれとする自分しか愛せない」ナルシシズムから脱していくための、基礎となるものです。
そして客観性は後天的に自分で育てていくもの、生まれたての赤ちゃんに自分を客観視する力はありません。
また「自分がどうありたいか、どうなっていきたいか」を考える目標設定と、客観性は、同じ脳の前頭連合野が担っています。
「自分がどうしたいか」を考えずに、ただ「自分にとって都合の良い、心地よい状況がお膳立てされる」ことを願っていては、前頭連合野は鍛えられません。つまり客観性も育ちません。
日々、目標から逆算し、状況判断をして行動に移す習慣
目標が実現しないのには様々な理由があります。
これまで見て来た通り、目標は設定さえすればいいのではなく、常に「逆算する」、そして「今、最優先するべきことを優先する」この不断のこころがけが必要です。
繰り返しますが、その「最優先するべきこと」は、「今自分が出来ないことが出来るようになること」と必ずしもイコールではありません。
もしかすると、「目の前にいる人の話を真剣に聴く」ことや、「きちんと食事を取り、体をいたわる」ことや、「リラックスして、感性を磨く」ことが優先するかもしれません。つまり状況に応じた優先順位付け・判断力が必要です。それをしないと、自分から「あれもできない、これもできない」に振り回され、そして自分にダメ出しをして逃げる、という悪循環にはまり込みます。
日々の行動の何かが変わらなければ、人生は変わりません。弊社のセラピー・セッションでは、必ず小さな宿題を出す理由です。
人は昨日と今日とでは、ティッシュペーパー一枚分くらいにしか、自分を変えることはできません。このティッシュペーパー一枚分の積み上げを、誰も気が付かなくてもやるかやらないかです。
「ほれぼれとする完璧な自分しか愛せない」であればあるほど、「ある日突然、自分はがらりと変われる。シンデレラのように『別人のような自分』になれる」と心の奥底で望んでいたりします。自分にダメ出しとは、今の自分を否定し、別人になることを望む、自己虐待に他なりません。テストを放り出すのは楽ですが、賢い自分には決してなりません。結局は自分を大事にしていないのです。
「小さいことを積み重ねることが、とんでもないところへ行くただひとつの道」(イチロー)
自信がある人ほど謙虚だ、とは、ナルシシズムを脱しているためです。
ダメ出しをする必要がなくなったから、完璧な自分だから自信があるのではなく、ダメ出しをする代わりに、「そのままの自分を受け入れる」勇気があるから、自信があるのです。