「力を出し切らないプレイをこそ恐れよ」
「エースをねらえ!」の登場人物と言えば、主人公の岡ひろみよりも、お蝶夫人を連想する人も多いでしょう。強く美しく華やかな彼女は、まさしく舞う蝶のごとくでした。
ただし物語の冒頭では、少々高慢な印象でした。宗方に対し「不愉快ですのよ あの子(岡)と同列に見られるのが!」と食って掛かるシーンもありました。
しかしお蝶夫人も、岡や宗方らとの関わりの中で、岡を無償の愛で愛するようになり、懐の深い聡明な大人の女性に成長していきます。
物語の序盤、岡とダブルスを組んだ最初の試合で、岡は相手ペアに集中攻撃され、混乱し、ガタガタになってしまいます。お蝶夫人は岡に
「ひろみ!何なのさっきのプレイは!
負けることを怖がるのはおよしなさい!たとえ負けても あたくしはあなたに責任をおしつけたりはしない
それより 力を出し切らないプレイをすることをこそ恐れなさい!!」
と叱咤激励します。
お蝶夫人の、負けよりも責任転嫁という卑怯な態度を嫌う誇り高さと、「力を出し切らないプレイをこそ恐れよ」という本質を生きる姿勢が、この発言には込められています。
お蝶夫人の誇り高さの裏側にある努力と、それを人に見せない大人びた姿勢に、岡はあこがれ、影響を受けていきます。
そしてその誇り高さは、物語が進むにつれ徐々に変わっていきます。
「天才は無心」
宗方の死後、岡のコーチは桂大悟に引き継がれます。
桂は、宗方を失った岡が立ち直るその日まで、断酒をしていました。そして桂はこのことを一切口外していなかったものの、岡に、そして周囲の人々におのずと知れるところとなりました。お蝶夫人もその一人でした。
ある時、岡は桂が断酒を解いてくれたものとひそかに喜んでいましたが、実は酒ではなく水を飲んでいたことにショックを受けます。そしてその様子を察したお蝶夫人は、岡を訪ね、次のような話をします。
「あたくしがテニスに対して責任感を持つようになったのは
二人の選手(宗方仁と桂大悟)が同時にテニス界を去ってしまった時
『日本庭球会の夜明け前は一体いつまで続くのだろう・・・!』がっくり肩を落とした父に言ったのですよ
『あたくしがいます お父様!あたくしが強くなります!』
あたくしにならできると思ってそう言ったのですよそれが間違いだった
『わたしがやる』とか『わたしにならできる』とか
いつも自我が表面に出る者は頂点には登りきれない
天才は無心なのですひろみ 近頃あたくしにも やっとわかりかけてきたことです
一目で天才のごとく見える人は 既に真の天才ではない
一目で天才と見えない天才こそが 真の天才なのです
あたくしはだめでした」
お蝶夫人はこうして自分を憐れむ風でもなく、淡々と自分の限界を認めました。
一方、無心の天才である岡は
「お蝶夫人!何故こんなことをおっしゃる!?」
と自分のことを言われていると気づきません。それがまた、救いになっています。自分の天才性をわかってしまった天才は、苦しい生涯になってしまうからです。
陽を生み出すのは陰・お蝶夫人という偉大な敗者
お蝶夫人はテニスの実力と美貌で、大変目立つ存在でした。高校在学中は常に取り巻きに囲まれていました。しかし「あたくしのまわりには あたくしを理解しない者ばかり残る」と孤独でもありました。ちやほやされて喜ぶような女性ではなかったゆえの、孤独だったでしょう。自分に取り入らんがためのちやほやなどで、自分をごまかすことはできなかったのです。
お蝶夫人の孤独はどうやって癒されたのでしょうか。それはお蝶夫人自身も無心に、見返りを求めない愛を岡にそそぐことによってでした。
物語の最終盤、岡のダブルスのペアとなった、オーストラリア人のランキングプレーヤー、ジャッキー・ビント宛に、死の間際の宗方が出した手紙の文面が回想されます。
岡ひろみは 竜崎麗香(お蝶夫人)が生涯のペアと
心に決めていた選手だった ということだ前にも話したが 岡は竜崎に魅かれてテニスを始めた
竜崎は岡とならダブルスが組めると考えていた
しかし 君という選手が出現したあのプライド あの気性
さぞ悲しみ動揺したことと思う
が 彼女は黙って身を引いた
そして君に手紙を書き始めた岡への愛情と 岡の成功を願う祈りにあふれた手紙が
今も君の手元に届き続けているはずだ忘れないでほしい
君と岡との岡のペアの陰で泣いたのは
君の妹のジョージィだけではない竜崎麗香という 己に厳しいあれほど賢明な女性の夢も
打ち砕かれたのだから
そしてお蝶夫人の生き方は、お蘭(緑川蘭子)との以下の会話に結晶します。
「あなたもあたくしも テニスが好きで
青春の情熱をテニス一筋にかけてきましたでも 緑川さん・・・
あの素晴らしかった宗方コーチの愛弟子と言えるのは
結局 岡ひろみただ一人だったと思いませんか」「ええ その通りです・・!」
物語は岡がウィンブルドンへの武者修行のため、ただ一人の日本代表として旅立つところで終わっています。
スポットライトを浴びるのは岡ひろみだけですが、その裏には、お蝶夫人のような偉大な敗者の存在が必ずあります。陰あっての陽、陽を生み出すのは陰なのです。
「わたしがやる」「わたしにならできる」の間は、陰になることはできません。
そしてまた、陽であるためには、陰あっての自分であることを、深く心に刻んでいることが必須なのです。