ワクチンを打たないよう説得しても打つ人は後を絶たない
コロナワクチンの被害がこれだけ出ていても、3回目を打ち、死んでしまったり重い障害を負ってしまう人は後を絶ちません。4月13日現在のコロナワクチン接種後の死亡、重篤な副反応の人数は以下の画像の通りです。但し、これらはあくまで厚労省に報告された人数で、氷山の一角に過ぎません。
親戚が接種当日に亡くなったのにも関わらず、そして実の娘が「叔母さんが身をもって危険性を教えてくれたんだ」と説得しようとしても、父親は耳を貸さず、そして2回目を打って父親自身も死んでしまった例もあります。
日本人は政府はそこそこ批判しても、マスコミを疑いません。マスコミ各社は、とうの昔に自前で取材し記事を書くのではなく、共同通信や時事通信などからの記事をそのまま垂れ流しています。これら通信社の上には電通があり、電通の上にはCIA(アメリカ中央情報局)があります。つまりざっくり言えば、マスメディアはCIAのプロパガンダです。
プロパガンダに自分から飲み込まれ、洪水に流されていくのを、手を差し伸べて救い出そうとしても自分から振り払って最後は死んでしまう。そんな悲劇が後を絶ちません。それはまるで、以下の物語が現実化されているかのようです。
川のほとりに住んでいた男の話
ある男が川のほとりに住んでいた。
ある時、川に洪水が起こり、無線がこう警告した。
「川のそばにいる人はすぐに避難してください。洪水が起こって大変危険です」
男はこう言い返した。
「私は神に愛されている。神がきっと救ってくださる」今度はヘリコプターがやってきて、男にこう言った。
「そこのあなた、すぐに避難しなさい。危険です!」
男はこう言い返した。
「私は神に愛されている。神がきっと救ってくださる」その次にボートがやってきた。
「ボートに乗って早く逃げよう!溺れ死ぬぞ!」
男はこう言い返した。
「私は神に愛されている。神がきっと救ってくださる」そして男は溺れ死んだ。
天国の門に立ち、男は神に向かってこう文句を言った。
「私はあなたに愛されていると思った。何故、私を救ってくださらなかったのですか⁉」神はこうお答えになった。
ザ・ホワイトハウス シーズン1 第14話「安息日」より
「私は無線と、ヘリコプターと、ボートをあなたに差し向けた。
あなたはなぜ、ここにいるのか」
期待通りにはやってこない救い
この話はまるで、あの手この手でデータや記事を渡して説明しようとしても、耳を貸さず、「え、打っても平気だよ」と接種からまだ一年経つか経たないかなのに、思考停止と無関心のまま、3回目を打ち、解毒をすることなど全く考えない人々のことのようです。
なお、「打っても平気そう」なのは、本当は大丈夫なのでは全くありません。免疫がなくなっていくために症状に現れないだけで、その間血管や臓器はスパイクたんぱくに蝕まれ続けています。非接種者がシェディングの害で苦しんでいても、当の接種者本人はケロッとしているのはこのためです。
正義感が強く、この世の不幸を他人事と思えない人ほど頑張って訴えます。「社会全体が救われなければ、自分もまた救われない」と考える人と、「自分にとって都合の良いことがお膳立てされて当然。自分と家族、自社や自分の業界が、恙なく日常を送れれば、他人のことは知らない」の意識の人とは、生きている地平が違います。これはどんなに言葉で説明しても、埋め合わせられるものではないでしょう。
新型コロナ騒動のインチキとワクチンの危険性このページに辿り着いた方は、既に新型コロナ騒動のインチキぶりと、コロナワクチンの危険性について熟知していることでしょう。ですので、ここではあえて繰り返しませんが、参考までに以下のリンクを貼[…]
またその人自身がエゴにまみれているわけではなくても、優先順位付けや、情報や行動の取捨選択、早め早めに用事を片付けておき、忙殺されない心がけ、こうしたことを身に着けていないと、目先の用事で頭が一杯になり、長く広い視野を持てなくなります。頭と心をゆとりのある状態にしておくのは、より大事なことに意識を向けられるようにするためです。
「正しい/正しくない」から「何が大事か」へ私たちの心が深く傷つくのは、大事なものやことを傷つけられた時です。「どうでもいい」とはある種の救いで、どうでもいいことには私たちは余り悩みません。価値観のない人はいません。しかし多[…]
「縁なき衆生は度し難し(救いがたい)」のことわざ通り、人間より遥かに慈悲深く、忍耐強い神仏であっても、自ら縁を放棄する者は救えません。裏から言えば「天は自ら助くる者を助く」で、自ら天、神仏が差し出した手を自分が握らなければ助かりません。
そしてまた、これが最も肝心なことですが、「自分は救われるに値する」と自分で思わない限り、人は救われようとしません。ワクチンの危険性を知っていても打つ、ある種の自殺行為をする若い人も少なくありません。悲しいことですが、彼らにとって、ワクチンはきっかけに過ぎないのです。
元々無力感に苛まれていたり、将来に希望を見いだせないと、そうした悪魔の誘惑に乗ってしまうのでしょう。人は自尊感情が低いと、自覚の有無に関わらず、自殺行為をしてしまいます。時間を有意義なことに使えないのも、自覚はなくても一種の自殺行為です。何故なら、時間は命だからです。
私が何を措いても、自尊感情を高めることが心にとって、引いては生命にとって大事だと考えるゆえんです。
何が救いなのかを見極める目・考える頭
上記のお話で、主人公の男が「私の期待通りではないけれど、これは神様からの救いかもしれない」とほんの少し考えれば、充分助かったはずです。
この「ほんの少し考える」を今の日本人は驚くほどしません。この2年間のコロナ詐欺で毎日目にする光景です。黙っているのにマスクをするのは何の意味もない、自分が吐いた二酸化炭素を吸うだけの、却って健康を害することだと「ほんの少し」考えればわかることです。スカスカのメッシュマスクが人気があるのは、本能がマスクを拒絶している何よりの証拠です。
また、高額の報酬にも関わらず、ほとんどの人が滅多なことでは治験のバイトをやりたがらないのに、治験中のワクチンを税金で全国民に打ちまくるのは、そのこと自体が狂気の沙汰です。しかし、これらを口にする人の方が異端視されます。
思考を放棄し、偉い人が言ったとおりにただ従う、それは脳の前頭連合野を使わずに楽ができますが、「自分から屠殺場へ向かう家畜」と揶揄された通りのことが実際に起きてしまいました。
【ジャック・アタリ フランス人グローバリスト】
しかし別の角度から考えると、コロナ騒動のおかげで、何が真相かを見極めようとした人にとっては、社会が如何に嘘と謀略に満ちていたのかをまざまざと目の当たりにすることができました。ジョン・レノンが生前言っていたように「世界は狂人によって支配されている」ことが、こんなにもよくわかった出来事はなかったでしょう。
ジョン・レノンは、メイ・ブラッセルという陰謀研究家の影響から世界に働く陰謀について知識がありました。ラジオで「情報をすべ…
社会だけでなく、家庭の嘘も暴かれました。家族、肉親にコロナの嘘とワクチンの危険性を訴えても、「この人がそこまで言うのなら」と立ち止まってくれなかった。それはどんなに悲しくとも、元々その程度の関係性だったということです。
また以前にはどんなに口では良いことを言っていても、無関心を決め込んで逃げる人も数多います。「まさか、この人が・・」と失望した人も多いでしょう。
社会も家庭も個人も、全て今に始まったことではありません。コロナ騒動でメッキが剥がれただけです。危機の時ほど、その人の地金は否が応でも剥き出しになります。
そしてこれらのことにどんなに傷ついても、「では、知らなかった頃に戻りたいですか?」と尋ねられれば、現実から目をそらすまいと戦ってきた人たちは、必ず「いいえ」と答えるでしょう。それもまた、痛みが伴いはしても救いです。
中々現実が動かない、無関心な人が大多数の今の日本で、それまでの人間関係を失い、癒しきれない心の傷を負っても、抗い、声を挙げ続けた人はこの2年で著しく成長している筈です。何かを得れば何かを失います。その法則は曲げられません。
ほんの少し考える、調べる、一歩を踏み出すことが救い
救いとはその言葉からイメージされるような、温かく甘美なものでは必ずしもないのでしょう。苦く痛く悲しい、でも以前に戻りたいとは思わない、そうしたことの方が多いのかもしれません。
コロナ騒動において、この意味の救いを得た人は、ほんの少し考えることから始めた人たちです。例外はありません。そして自ら調べ、自分にできる一歩を踏み出し続けた人であり、マスクをして遊びまわることを潔しとしなかった人々です。その自己矛盾をごまかさず、「だって」と言い訳しなかった人々です。
このように考えると、救いとは外から与えられるものではなく、自ら作り出し、自らを助ける、それに尽きるものなのでしょう。