生死を分ける判断力と人間観・危機を生き延びる生存戦略のために

人は危機の時ほど元々の生存戦略を強化する

人は見たいように見、聞きたいように聞き、信じたいように信じると言われています。特に危機の時ほどその傾向が強まるようです。

どんなにコロナワクチンが危険だから、死亡や重篤な後遺症の例が多発してるから、こういう仕組みで自己免疫疾患や癌になったり、血栓ができるから、とデータを見せて説明しても、「打たなきゃコロナにかかって死ぬ」、或いは「打たなければ変な目で見られる」「みんなが打ってるから」の人にはまるで通じません。

平和で余裕がある時は「ゆっくり考える」ことができても、危機の時ほどその人の元々の生存戦略にのっとって、人は選択をします。生存戦略とは「こうすれば自分は生き延びられる」戦略そのものだからです。「怖くなるから考えない」生存戦略の人はますます考えず、「怖いからこそ調べて考える」生存戦略の人はもっとそうします。

危機になってからでは、自分の生存戦略はそうそう変えられません。生存戦略を変えるには、まず「どんな生存戦略を持っているか」に自分が気づき、それを修正していく時間のかかる地道な努力が必要だからです。だからそれは、平時にこそやっておかなければならないこと。危機に瀕してからやろうとするのは、まさに「泥棒を見て縄を綯(な)う」です。

その生存戦略は「手っ取り早い不安の解消」になっていないか

生存戦略とは「こうすれば自分は生き延びられる」戦略だと上述しましたが、実際にその人が健全に生き延びられるかはまた別です。極端な例を挙げれば、「金銭的に困ったら親族や友人に泣きついて借金し、うやむやにして踏み倒せばいい」「犯罪を繰り返しては刑務所に戻り、衣食住を確保する」も生存戦略です。

人間は誕生直後から、生存戦略を学び始めます。人間の脳には扁桃体という別名「パニックボタン」が脳の深いところにあります。人間の脳は誕生時には、脳幹という生命維持装置と、この扁桃体のみが完成されていて、他の部分は未完成です。人間は他の動物と比べて、大変未熟な状態で生まれてきます。

赤ちゃんが泣くのは、不安や不快を養育者に訴えて、取り除いてもらわないと生きていけないからです。不安や不快をすぐに取り除いてもらえ、安心と快を得られると、赤ちゃんはこの世に対する信頼感を育んでいきます。「不安でも、不快でも、大丈夫」。これを放置されるとこの世に対する不信を学んでしまいます。「この世はなんて恐ろしいところだ」「自分はこの世に歓迎されていない」。生後一年の間に、その人の世界観は無意識レベルで強力に刷り込まれてしまいます。

そして成長するにつれて、人は自分で不安や不快を解消する術を身に着けていきますが、その術が「生存戦略」です。「こうすれば不安と不快を解消できる」。勉強をサボるのも「どうせ一時怒られるだけ。最初から期待されなければ、勉強という不快を避けることができる」という生存戦略です。全く不合理極まりありませんが、こうした不合理さを自分では自覚していません。

一方で、自己決定をする脳の部分は前頭連合野です。これは脳の中でも完成が最も遅く、25歳ごろと言われています。そして衰えるのは真っ先です。つまり脳にとって、自己決定は負荷がかかります。

子供がすぐに「ねえ、どうしたらいい?」「○○してもいい?」と大人に尋ねるのは、この負荷を避けたいから。大人が安易に代わって判断すると、子供の前頭連合野は鍛えられません。「どちらに転んでもいいこと」「失敗してもやり直しがきくこと」は、子供に判断選択させ、繰り返し結果から学ばせないと、大人になっても「どうしたらいいんですか?」「○○さんがこう言ったから」の指示待ち人間になってしまいます。

このように「みんなが、世間がそうしてるから」「偉い人(先生、TVに出てくる専門家、政治家、行政、会社)がこういったから」で自己決定とそれに伴う責任を回避し、「後からついていく」生存戦略は、脳に負荷がかからずに手っ取り早く不安を解消できます。

あたかもタクシーに飛び乗って「どこでもいいから景色の良いところに連れて行ってください」と運転手さんに頼み、着いた場所の景色が良ければ満足し、悪ければ運転手さんのせいにする、そんな生き方です。

ごく普通の常識的な人なら「どこに連れて行かれるかわからないなんて怖い」「そんなことをすれば運転手さんを困らせる」「もし悪意のある運転手だったら、変に遠回りされて料金をぼったくられる」などと考えて、実際にはそんなことはしません。

しかし自分の生き方においては、それをやってしまう人がとても多いです。

思考停止、無関心、先延ばし、怖くなるから考えない、調べない、勉強しない、判断をあなた任せにするなども、手っ取り早く目先の不安を解消するための生存戦略なのです。しかし当然のことながら、社会全体、引いては自分自身も健全に生き延びられるものではありません。

「賢い人の理性ではなく愚か者の感情に訴えよ」ヒトラー

「手っ取り早く目先の不安を解消しようとする生存戦略」に、付け込む人はいつでもどこにでもいます。こうした生存戦略の人が恐怖を煽られ、そしてあらかじめ用意された「解決策」を提示されると「手っ取り早く不安を解消するため」に飛びついてしまう。まさにコロナ騒動とワクチンの関係です。

コロナの(でっち上げの)恐怖だけでなく、「思いやりワクチン」などの罪悪感を煽るキャッチフレーズも同じです。まるでワクチンを打たない人は思いやりがないかのような、それこそ上から目線のプロパガンダです。罪悪感で動かされないためには、常日頃からそれを見抜く目を養い、罪悪感という「外から操作されるもの」ではなく、自分の良心という「内側から動くもの」に沿う習慣が不可欠です。

罪悪感と良心の呵責の区別として、罪悪感は「させられた感」、不本意感があるため何かモヤモヤが残ります。そして他人の目を気にしています。一方で良心に沿って行動したことは、他人が気づこうが気づくまいが、自分を肯定でき、すっきりとした気分になる、こうした違いがあります。即ち常日頃から「他人が気づこうが気づくまいが、自分の良心に沿って行動する」陰徳の習慣が、結果的に「罪悪感で操作される」ことを防ぎます。

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ところで、ヒトラーは「賢い人の理性ではなく愚か者の感情に訴えよ」と大衆扇動をしました。結果は歴史が証明しています。ここに私たちが何をすればいいのかの答えがあります。それは恐怖やお涙頂戴や罪悪感という感情に訴えてくるものを素早く見抜き退け、理性を使って考えることです。これは訓練次第で誰でもできますし、さぼれば感情に煽られて罠に引っかかってしまいます。

これは「遅い思考」と言われるものです。論理的思考や、時系列で事象を並べたり、他の事例と比較して考えたり(例:コロナと他の感染症を比較する、これまで開発・承認されたワクチンと比較する)など、時間がかかります。そしてすぐには結論を出せないものを「そういうこともあるかもしれない」と曖昧なままに留めつつ、ただしどんなことも事実は一つなので、更に情報を時間をかけて集める「保留する力」が要ります。遅い思考は後天的なもので、かなり意識して鍛えないと身につきません。

早く決めていいこと、決めるべきこともありますが、取り返しのつかないこと、コロナワクチンのように「体内に入れればもう取り出せないもの」「しかも人類未経験のmRNAワクチン」であれば、念には念を入れて情報を集めて然るべきでしょう。

その逆の「速い思考」は直感的。反応的と言ってもいいかもしれません。直感も大切ですが、一方で決めつけになったり、バイアスがかかりやすいものです。速い思考で決めつけてしまった方が、脳は楽なのです。また人は一旦信じたものを覆すことが、中々しづらいです。「コロナは怖い病気」「助かるにはワクチンしかない」とTVに恐怖を煽られ、脳に刷り込まれてしまうと、速い思考しかできない人は覆せません。ここに洗脳を解く難しさと、裏から言えば洗脳されない鍵があります。

賢さとは現実を把握する力・情報リテラシーと結果予測

心理戦、情報戦をかいくぐり、生き延びるためには賢さと行動に移す勇気が要ります。真の賢さとは現実を把握する能力であり、学歴とは関係ありません。学歴は上述した「遅い思考」の保証にはなりません。

冒頭に書いた通り、人間の脳は「見たいように見、聞きたいように聞き、信じたいように信じる」習性があります。脳の認知と現実には必ず乖離が生じる、このことを肝に銘じることが最初の第一歩です。有体に言えば、「脳は自分を騙す」のです。ですから、騙された自分を悔しく思っても、否定しないことです。否定してしまえば、また自分で自分を騙してしまいます。

速い思考のみだと、時系列で事実を並べて検証しません。「2回ワクチンを打てば集団免疫が成立して、マスクを外せて元の生活に戻れる」筈が、3回も4回も打てと言う、おかしいじゃないか、が時系列に沿って検証することです。場当たり的な速い思考だと、2回打てと言われれば2回、3回と言われれば3回、そして4回目もと、前後の矛盾に気が付きません。

太平洋戦争中、昭和18年の9月には本土空襲が囁かれ、2か月後には現実のものになりました。昭和19年6月にサイパンが陥落し、日本の主要都市のほとんどがB29の行動範囲内に入ってしまいました。いよいよ日本が焼け野原になることを予測できた人、そして空襲の直前に米軍のヘリから撒かれた「空襲があるから避難するように」と勧告するビラを拾って読んだ人は、「遂に来るべきものが来る」とすべてを悟って都会から脱出しました。

米軍のビラは当局から読むことを禁じられていました。「本土決戦!一億玉砕火の玉だ!」「神風が吹いて日本は勝つ!」というプロパガンダを信じ、言われるがままビラを読まなかった人は都会から逃げませんでした。

今の「社会のためにワクチンを打ちましょう!」と相似形です。接種が先行していた海外での被害状況を把握している人は打たないのと、中身は違えど同じことが繰り返されています。

点と点を繋いで線に、線と線を繋いで面に、面を立体に、立体を動画にして結果を予測し、次にどうするかを判断し、行動に移す。当たり前のようで当たり前になっていません。情報リテラシーと結果予測という、それこそ遅い思考による判断力が求められます。

ちなみに、情報収集はTVや新聞、大手ポータルサイトニュースに頼っていてはプロパガンダに騙されます。主流メディアは、国民が本当に知るべきことを伝えるために存在してはいません。大衆に「信じさせたいことを信じ込ませる」ことが目的です。別の角度から言えば、知らせたくないことは決して報道しません。「そんな大事なことなら、報道するでしょう?何故報道しないの?」と言ってるうちは、まだまだなのです。現代のサバイバルの第一条件は、お金でも人脈でもなく、TVや大手ポータルサイトニュースを見ない、新聞を解約することです。

この判断力が、危機の時ほど生死を分けます。

「陰謀論」のレッテル貼りの裏には人間観の違いが

判断力が生死を分けますが、この判断力は単なる情報収集だけでは足りません。ある程度ワクチンの危険性を知っていても、残念ながら打ってしまった人もいるからです。

詳細は割愛しますが、調べれば調べるほどこのワクチンは殺すために開発されたとしか言いようがありません。「試作段階だし、何だかわからなくてこんなことになっちゃいました」ではなく、明確に癌や自己免疫疾患や、血栓症や不妊を引き起こすために開発されたと考えなければ辻褄が合いません。ワクチンパスポートを推進する世界経済フォーラムのシュワブ会長や、WHOの最大のスポンサーのビル・ゲイツらが、人口削減を明言していますから尚のことです。

つい先日も、FDA(アメリカ食品医薬品局)が裁判所の命令を受けて情報開示したところによると、ファイザー社が75年後(!)に開示する筈だった文書には、1291種類の副作用のリストがあると発表されました。このようなものは薬とは呼べません。それでも中止にならず、3回も4回も打たせようとするのは明確な意図があってのことです。

しかしこのような情報をどれだけ知らせたところで、「人が人に対してこのようなことをするはずがない」と「信じておきたい人」には入って行きません。そのように「信じておきたい人」は、こうした情報を提供する相手を陰謀論者扱いします。

大量殺戮は歴史が繰り返してきたものであり、人は簡単にそれに加担します。刃物を握って目の前の人を刺すことはできなくても、国が、行政が、学校が、TVが、世間がそう言うからと一般大衆が加担する、これも今の日本で毎日起きています。このように、大量殺戮は実に巧妙に良心の呵責をすり抜けて行われます。そしてこれは、歴史上何度となく繰り返されてきました。

歴史を学び、小説その他で教養を身に着けるのは、単なるディレッタントのためではありません。人間観を養うためです。そして教養と、自身の経験と重ね合わせ、生きた人間観にすることが肝要です。自分自身の経験は、どこにでも起こりうる、目立たず、地味なものが多いでしょう。しかし、「人を人とも思わない」人はどこにでもいて、支配欲に取りつかれた人もそう珍しくない、この自分自身の経験と、人間の歴史を重ね合わせる作業が生きた人間観を養います。

それがあると、大量殺戮のためのワクチンであり、コロナ騒動であることは、縷々説明されなくても直観できます。そしてたとえ職を辞してでも、ワクチンを拒否する決意を固められます。危険性を多少なりとも知っていても打ってしまった人は、恐らく、本当に殺すために開発されたと腑落ちしていない、心のどこかで信じまいとしていたのでしょう。遅効性のため、そして免疫を破壊すればこそ症状に出ないため、平気そうにしている人が大多数だと、また自分から騙されてしまいます。

他人は情報提供まではできますが、遅い思考を鍛え、人間観を養うのはその人にしかできません。

良心や品位はサバイバルのためにこそ

生存戦略は無意識レベルのものなので、それに気づき、変えていくのは多くのプロセスを要します。そしてそのプロセスを歩むためには、葛藤が要ります。人は「このままでいいや」と思っている時、自分を変えようとはしません。葛藤は不快ですが、この不快を解消しようとする意識が変化の原動力になります。

心理セラピーにおいても、クライアント様が「火だるまになって飛び込んでくる」のを待つしかないのと同じです。言葉を換えれば「もっと困ってから来てください」です。

そしてどのレベルで葛藤が生じるか、それを左右するのがその人の良心であり、品位です。両方とも「それをする/しない自分に耐えられない」を生じさせるものです。

つまり、良心や品位が高い人ほど、内的な葛藤が増え、そしてその葛藤を自分を変えるエネルギーに使っています。この習慣があればこそ、平時における備えという、面倒で中々人がやらないことができ、また危機の渦中でも更に学び続け、自分の生存戦略をより良心と品位に沿ったものに変えていけます。

良心や品位は、単なるお道徳ではなく、自分と社会全体が健全に生き抜くサバイバルのためにこそあるのです。

【音声版・自尊感情を高める習慣・6回コース】

1回約20分、6回コースの音声教材です。

第1回 自尊感情とは何か。何故大事か
第2回 全ての感情を受け止め、否定しないことの重要性
第3回 「何が嫌だったか」を自分に質問する。目的語を補う
第4回 期待通りに成らない現実を受け入れざるを得ない時
第5回 小さな一歩を踏み出す・最低限のラインを決める
第6回 人生が変わるのは知識ではなく氣づき

第1回目は無料で提供しています。まず一週間、毎日聴き、ワークに取り組んでみて下さい。その後更に日常の中で実践してみたくなったら、6回分の音声教材(税込5500円)をご購入下さい。

🔗第1回・要約・氣づきメモ

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    生きづらい貴方へ

    自尊感情(self-esteem)とは「かけがえのなさ」。そのままの自分で、かけがえがないと思えてこそ、自分も他人も大切にできます。自尊感情を高め、人と比べない、自分にダメ出ししない、依存も支配も執着も、しない、させない、されない自分に。