【因果応報】何を優先/粗末にしたかで人生は決まる

仏教でもキリスト教でも「良い木は良い実を結ぶ」

因果応報という言葉には、余り良いイメージはないかもしれません。しかし本来は「結果には必ず原因がある。良い結果には良い原因が、悪い結果には悪い原因がある」といった、非常にシンプルな原理原則です。仏教では因果応報に加え、善因善果、悪因悪果とも言われます。

キリスト教でも同じことを言っています。

いばらからぶどうを、あざみからいちじくを取ることができるだろうか。すべて良い木は良い実を結び、悪い木は悪い実を結ぶ。良い木は悪い実を結ぶことができず、悪い木は良い実を結ぶことができない。

新約聖書 マタイによる福音書 7章16-18節

「いやいや、正直者が馬鹿を見るってことは、たくさん起きているじゃないか。あくどい稼ぎ方をして、たくさんの人が泣いているのに、当の本人は痛くも痒くもないじゃないか」・・まさにその通りです。正しい行いをすれば、現世的な報われ方をするとは限りません。正しいことを言ったがばかりに、命を落とした人、窮地に追い詰められた人はこの日本にもたくさんいます。そしてそれは、残念ながら今後もなくならないでしょう。

ですから、この「実」「報い」を、現世的な幸福と考えると、「因果応報はある/ない」の邪馬台国論争に成ってしまいます。

その人が何を優先したか/粗末にしたか

但し、その人が何を優先したか、という価値観の側面から見ると、この因果応報の原理原則は極めて単純で、誰にとっても同じ作用をすることがわかります。

以下のリンクの記事で「経営している会社が窮地に陥った友人に、自分から800万円を貸した男性」を紹介しました。その男性は、800万円が返ってこないかもしれないことよりも、友人の窮地を見て見ぬふりをすることの方が耐えがたかったのです。

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お金が返ってくる、こないに関わらず、そう短くはない間「お金が返ってこないかもしれない」こと自体は、受け入れざるを得ません。その不安は感じたくない、でも「友人を見て見ぬふりはしない」は両立しません。

またどんなに「マスクは感染予防に効果がないだけではない。酸欠は免疫を下げるし、自分が吐いた二酸化酸素を吸うから、脳や内臓にダメージが蓄積される。長期間マスクをし続けたら、そのダメージは簡単に回復しない。また不織布マスクはプラスチックだから、肺にマイクロプラスチックが溜まってしまう」などと説明しても、「健康を損ねても構わないから『皆と同じ』『言われた通りにして自己決定という責任から逃げる』を優先する」人は、当然のことながら健康を失います。本人に自覚症状がなかったとしてもです。

大人はそうしたことを「聞いてない」では済まされません。知ろう、勉強しようとする手間よりも、「手っ取り早く安心できたような氣分になる」ことをその人が優先した結果です。

私たちは何かを選べば何かを失います。人生に美味しいとこどりはありません。

そして「何を優先したか」を裏から言えば、「何を粗末にしたか」です。

例えば「本質を見抜く目を持つ」みたいな言い方をよくしますよね。この言い回しだと、賢いかバカか、みたいな能力論になって、「どうせ私はバカなので賢い人の意見を参考にしよう」みたいに他人事の様な「逃げ」を生むんですよね。
しかし言い方を変えてみましょう。
「本質を粗末にする」
どうでしょうか。なんとなく印象が変わりました。これだと一気に自分の事に降りかかって来ませんでしょうか。
「粗末にする」「大切にする」とは、態度に必ず現れるのでその人を彩り作ります。

今、その人の置かれている状況や立場は、その人が今まで何を大切にし、何を粗末にして来たかの結果でしかありません。
能力論に逃げずに、何を大切にしているか、何を粗末にするかを見られているとの意識がその人を律します。誰に見られている?
お天道様でしょう。

奥中伸☘️奥中整体さんのX(ツイート)下線、太字は足立による

恨んでも相手にわざわざ報復する必要はない

奥中さんの言葉通り「今、その人の置かれている状況や立場は、その人が今まで何を大切にし、何を粗末にして来たかの結果」でしかないのなら、仮に誰かを心の底から憎み恨んだとしても、わざわざ報復する必要はないということです。事によっては恨みそのものが消えてなくなりはしなくてもです。

親の世間体大事に苦しむ子供は枚挙に暇がありません。たった一人の父、そして母から、自分の存在よりも世間体という虚栄心を優先された、何の実態もない世間体、即ち自分の見栄よりも子供である自分を粗末にされた情けなさ、悔しさは当たり前のことです。これを綺麗事でごまかしてはいけません。ごまかさないからこそ、虚栄心の罪深さがわかり、自分は「そうではない生き方」をするきっかけにできます。虚栄は「自分が悪く思われたくない」打算であり、良心の呵責を伴わないので氣づかない人は一生でも氣づきません。

その親は、本人は認めたがらなくても、我が子からの信頼を失っています。そしてこのような信頼の失い方は、そうそう修復できません。ミスや行き違いといった、誰でもやってしまうことは違い、「尊重されなかった」痛みは消えないからです。「我が子は自分を信頼しきっている筈だ。親である自分を捨てない筈だ」という甘い目測は、「やがて我が子も歳を重ね、分別盛りの大人になる」ことを考えていない証拠です。この甘い目測と、「本当に大事にするべきことを大事にしているか」の問いを自分にしてこなかったツケが、そのまま回ってきています。

本質的には「人は他人を救えない」理由

奥中さんのツイートにあるように、「能力論に逃げない」ためにこそ、

  • 「本当に大事なことを、私は大事にしているか」
  • 「必要なことを欲しがっているか」
  • 「粗末にしてはいけないことを、粗末にしていないか」

の不断の問いが、人生を決定づけます。様々な勉強は、そのためにやるものです。

「大事なことを大事にしているか」は、上の図の如何に遠い地点に自分の焦点が当たっているか、即ち視野の広さとも言い換えられます。

この価値観の優先順位は、無意識レベルのものです。ですので、他人が外側から覆すことは基本的にはできません。脅したりおだてたりで、一時的に相手を動かしたとしても、それがなくなればすぐに元の木阿弥になります。

だからこそ、見出しに書いた通り、私たちは本質的には他人を救えません。よく知られるように、体の病氣や怪我であっても、「本人に治る氣がなければ治らない」のは、その人が治癒することよりも、優先していることがあるからです。

環境を整え続ける責任は、私たち大人にはついて廻ります。子孫に負の遺産を残さないことが、私たち大人の責務です。「これで良い。もう終わり」はありません。また人との出会いにより、才能が開花したり、自己否定感が解消され、それまでとは違う人生を歩むこともあります。私の仕事もそのためにやっています。スキルUPとあり方の精進には終わりがありません。

しかしそれでもなお、環境や人からどのように影響を受けるかはその人次第です。どんなに優れた教師であっても、個々の生徒がどのように影響されるかまでは力の及ぶ範囲ではありません。いわゆる毒親に育てられたきょうだいでも、一人は心根が歪んでしまったけれど、もう一人は様々なひずみは生じながらも、真っ当な社会人になったケースは多々あります。

「自分の幸不幸は環境のせいだ」は、裏を返せば「私は環境など自分以外の存在に救い出してもらえる」と思っている、ということです。それは自分を信じていない自己虐待になります。

「何を優先するかはその人次第」「私たちは互いに影響し合う」の狭間で

私たちは意識はせずとも互いに影響し合っています。時折、保育園児のお散歩に出くわすことがありますが、元氣一杯の子供たちから、他にはないキラキラした命の輝きを感じます。彼らは見ず知らずのおばさんにどんな影響を与えているかなど、考える由もありません。子供はそのようなことは考えなくて良いのです。しかし私たち大人は、自分のあり方、立ち居振る舞い、個々の判断選択が、意識はせずとも他に影響を及ぼしている自覚を持つ必要があります。

これまで書いてきた通り「何を優先しているか」は、他人が外側から意図的に覆すことはできません。しかしそれでもなお、「他人は変えられないから何を言ってもしても無駄」とも言いきれません。

このニューロ・ロジカルレベルにある通り「価値:何を大事にしているか、優先しているか」「信念:何を正しいと思うか」は、その人の自己認識、即ちアイデンティティの土台です。これが曖昧だったり、「言われるがままにしておくのが責任取らなくて済むから楽」をやってしまうと、「自分が何者か」がわからなくなります。どんなに勉強しようと、仕事で実績を積もうと、どこか自分に自信を持てなくなります。だから他人を支配したり、逆に無関心になってシャットアウトしたり、要は「自分とは独立した存在」の他人を大事に扱うことができなくなります。それが我が子であってもです。

そして「価値・信念」が以下の「能力」「行動」に影響を及ぼします。奥中さんの「能力論に逃げるな」はこのことを言っています。彼はニューロ・ロジカルレベルを知らないだろうとは思います。能力より先に、「本当に大事なことを大事にしているか」「大事にするべきことを粗末にしていないか」が問われるのです。

最終的には私たちの行動がこの図の最下位の「環境」に影響を及ぼします。そして環境から影響を受けない人間もまた、この世にはいません。

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1回約20分、6回コースの音声教材です。

第1回 自尊感情とは何か。何故大事か
第2回 全ての感情を受け止め、否定しないことの重要性
第3回 「何が嫌だったか」を自分に質問する。目的語を補う
第4回 期待通りに成らない現実を受け入れざるを得ない時
第5回 小さな一歩を踏み出す・最低限のラインを決める
第6回 人生が変わるのは知識ではなく氣づき

第1回目は無料で提供しています。まず一週間、毎日聴き、ワークに取り組んでみて下さい。その後更に日常の中で実践してみたくなったら、6回分の音声教材(税込5500円)をご購入下さい。

🔗第1回・要約・氣づきメモ

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    生きづらい貴方へ

    自尊感情(self-esteem)とは「かけがえのなさ」。そのままの自分で、かけがえがないと思えてこそ、自分も他人も大切にできます。自尊感情を高め、人と比べない、自分にダメ出ししない、依存も支配も執着も、しない、させない、されない自分に。