「言ったことはやる」の言行一致・等身大の自分に自信を持つには

「等身大の自分に自信を持つ」とは

等身大の自分、あるがままの自分を大切にする、それは一体どういうことでしょうか・・・?それは向上心を失うことではありません。そしてまた「条件付きの自分でなければ認めない、満足しない」と自分を虐めて鞭打つことでもありません。

どんな人にも承認欲求はあります。しかし、自分が承認欲求の奴隷になると、「人から認められるため、『わあ、凄いですね』と言われるため、ちやほやされるために○○する」という取引になってしまいます。それを裏返せば「人から悪く思われたくないから、○○する、しない」です。これでは自分の人生を生きていることにはなりません。

「やれるだけのことはやった」の手応えで自らを承認していかないと、悪く言えば「承認欲求乞食」になりかねません。するべきことは、誰も氣づかなくても、或いはその時は理解されなくても、非難を受けてもやるものです。有難く他人様からお褒め頂いたら、それは「今後一層精進します」の励みにする、もしくは「『えー、アタシまだまだピヨピヨちゃんだし~』で逃げてたらアカンな」などの軽い戒めにするくらいで丁度良いでしょう。

「やれるだけのことはやった」と自分を労いつつ、一方で結果はどうだったのか、そして次はどうするかの検証を怠らなければ、承認欲求乞食にはならないでしょう。承認欲求乞食は自由ではありません。自分が承認欲求に支配されている状態です。そしてそこには自分に対しても、他人に対しても愛がないのです。「愛は自由の子」だからです。

以前の記事の「等身大の自分を受け入れることの重要性とその4つの方法」で、言行一致の重要性について書きました。今回は、その中でも言行一致について取り上げます。言行一致と等身大の自分とは、大変密接な関係があるのです。

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本当に自信のある人は大言壮語も卑下もしない

等身大の自分とは、実際以上に自分を大きく見せようとしたり、逆に過剰に小さく見せようともしないことです。

実際以上に自分を大きく見せようとすることを虚勢を張ると言い、言葉で言う時は大言壮語すると言います。小さく見せる時は卑下すると言います。こういうことをする人で、「ああ、この人、本当に自信があるんだな」と思ったことがあるでしょうか・・・?

本当に自信がある人は、どちらもしません。虚勢を張ったり大言壮語するのは慎みがなく、また卑下して逃げるのは卑怯だからというだけではありません。それをしてしまうと、自分の言葉に力がなくなることを、直観しているからなのです。

大言壮語する時に何が起きているか

まず、大言壮語する時には何が起きているのでしょうか?大言壮語とは、ビッグマウスとか、言うだけ番長などとも言われます。

「俺は天下を取る!」と言う人で、具体的な何かのアクションに移している人はまずいません。少なくとも私は会ったことも、噂に聞いたこともありません。わざわざ言い争うほどでもないので、その時は「そうですか」と相槌は打ちますが、その言葉を信用することはありません。具体的なアクションとは、地道な試行錯誤の連続に他なりません。その時すでに「俺は天下を取る」などと言ってる余裕などないのです。

「妻とは別れる」「億り人になる」も同じです。こういう言葉を聞くと、「この人、口だけね」と瞬時に印象付けられます。他人はそう思うだけで済みますが、本人にとっては「私の言葉は真実ではない」が、自身の潜在意識に刷り込まれてしまいます。潜在意識に刷り込まれたことが実現しますから、「自分の望み、目標、問題解決は実現しない」が現実化されてしまうのです。

自己卑下する時に何が起きているか

では、自己卑下する時には何が起きているのでしょうか?大言壮語は或る意味わかりやすいです。「あの人、口ばかりね」と悪口を言われやすいため、評価評判を氣にしてやらない人の方が多いでしょう。しかし、自己卑下は謙遜と混同されやすく、自信がないとついやってしまうものかもしれません。しかし、聞いた方は、実は真の謙遜とは違うと心のどこかで感じ取り、モヤモヤが残ってしまいます。

自己卑下は、本当はできるのに「いいえ、私なんて」と実際以上に自分を小さく見せ、責任や失敗を回避しようとする姿勢です。率直に「経験やスキルがないので、今の私には自信がありません」と言うと、「それをやってこそスキルが伸びるから。経験を積むことも大事だから」などと説得されるかもしれない。その交渉が面倒だと、先回りして過剰に自分を小さく見せようとします。

本音の本音では、自分でもやれば何とかやれることを知っています。百点満点は取れなくても、及第点は取れるでしょう。及第点を取れる自分を知っているのに逃げてしまう、即ち「私できません」は嘘なのです。

この場合も、大言壮語と同じく「私の言葉は真実ではない」が潜在意識に刷り込まれます。

「私なんて」の自己卑下だけでなく、小さな創意工夫をしようとせずに愚痴だけこぼすなども同じです。例えば収入が充分ないために、あれができない、これが買えない、ということもあります。しかし、ただ不遇をかこつだけの人と、節約をしながら黙っている人とは自尊感情のあり方が違います。

不遇をかこつだけで、頭を使った創意工夫をしようとしない人は、結局その状況を受け入れてしまっています。本音では良しとしています。それでいて文句は言う。結局ここでも「私の言葉は真実ではない」になってしまうのです。言葉と態度・行動にずれがあるからです。

「私の言葉は真実である」のなら、「収入が足りない」とぼやいてしまうと、それが更に実現してしまいます。ですから、それを直観している人は、尚更口に出せません。我慢して愚痴をこぼさないのではないのです。そしてまた、その状況を良しとはしないからこそ、その時できる努力をしようとします。

言行一致すると「私の言葉は真実である」に

言行一致とは、言葉と行動・態度を一致させることです。勿論これは、抑えるべき感情や言葉を「わかった上で」自制する、言葉や態度に出さないこととは別物です。

以前の記事で書きましたが、integrity、高潔さの伴う誠実さとは、言行一致にこそ支えられています。難しいことができるとか、わかるとか、目覚ましい成果を挙げているから素晴らしい、のではないのです。日常的な言葉に置き換えれば「あの人、○○な割には△△」ではない、ということです。

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「私は家族を大事にしています。最も大事なのは家族です」と言葉で言うのは簡単です。しかし例えば、家族の間で挨拶が交わされているでしょうか?子供に「ごめんなさい」と言うことを求めても、親の方から「ごめんね。すまなかった」と言えているでしょうか?子供が何かを訴えた時に「お前が何を言うか」「お前が私に意見するのか」という態度を取っていないでしょうか?こうした態度を取れば取るほど「家族が大事」は嘘である、になってしまいます。

そしてよくあるのが、こうやって子供の心を踏みにじっておいて、外食や旅行には連れ出す、離れて暮らす子供に物を贈る、それは「いい親である自分を、自分が見たい」のナルシシズムであり、子供不在の一人芝居に過ぎません。そしてそれをされると、子供は非常に傷つきます。

信頼関係は約束を守ることで築かれます。それは他人との約束だけでなく、自分との約束も含まれます。自分との約束を守ること、それが言行一致です。

「言ったこと/決めたこと」はやる、をやってみる

言行一致を言葉では聞いたことがあったけれど、本当にそれはどういうことか、今一つピンと来ない、もしくはもっと深く実感されたい方は、今日一日「言ったこと/決めたこと」はやり抜く、を実践してみましょう。

お仕事をされている方は、「今日やるべきTo doリスト」を、始業の際に書き出していらっしゃるかもしれません。そのTo doリストに優先順位付けをしているでしょう。今日中に必ずやるべきこと、今日中に全部やれなくても良いけれど、或る程度手をつけておくべきこと、メンバーとのコミュニケーションなど「緊急度は低いけれど重要度は高い、意識しないと後回しにして結局やらなくなる」ことなど。

そして特に「今日必ずやるもの」に、赤でチェックでも◎でも良いので印をつけます。そして終業時に、やり切れたかどうかをチェックします。仕事は流動的なものです。突発的な横入りの仕事はありますし、そうでなくても「予想以上に難航した」ことも起きます。ついつい集中力が途切れて、息抜きの時間が長くなってしまうことも、生身の人間には起きます。

専業主婦の方や、学生さんは、自分の立場に置き換えてアレンジしてみましょう。

私の趣旨は「決めたことを何が何でもやり遂げて下さい」ではありません。如何に自分が「決めたことをする」のは難しいかを実感することです。自分との約束でさえ、人は中々果たせないのです。

そして「絶対やれると思ったけれど、難しかった」と実感したら、翌日は「必ずできそうなこと」にハードルを下げます。それが達成できれば、残りのTo doリストに着手すれば良いのです。

これを繰り返すうちに「できもしないことは最初から言わない」ようになっていきます。即ち大言壮語はしなくなります。またできるとわかっていて、卑下して逃げることもしなくなります。自分との約束を破るのが段々苦痛になるからです。

そして「もう当たり前になっていて、意識しなくてもやっている。習慣化されている」ことはTo doリストから外します。「できるけれど、意識の力を使わないと中々やらない」ことにチャレンジしてこそ、私たちは成長できるからです。

「自分との約束を破るのが苦痛になる」これが言行一致を伴った、integrityの境地です。「私は私との約束を守る」「私が決めたことは実現する」「私の言葉は真実である」この状態が、等身大の自分に自信を持つということです。

「私の言葉は真実である」⇒「死んでしまえと思うくらい傷ついた」の客観視と自己共感

ここで注意が必要なのは、「私の言葉は真実である」なら、「あいつ死んでしまえ!」と思ってはいけないのか、ということです。私がこの言行一致を取り組み始めたのは、今から20年ほど前のことですが、当初は「私の言葉は真実である」なら、「起きてはならないことは思ってもいけない」と自分を縛ってしまいました。今ならそれは表層的な理解だったとわかります。

いきなり自分の憎しみや怒りを押さえつけたり、なかったことにしようとするのは、それもまた、自分に嘘をつくことです。自尊感情が高くなっていくと、それまではわからなかった、自分を蔑ろにされたことへの怒りや憎しみを感じるようにもなります。屈辱を唯々諾々と受け入れることはできなくなります。これもまた、自分を守るために大事な感情です。

その際、「死んでしまえ!」と言った罵詈雑言が、さすがに口には出しませんが、胸中を駆け巡ります。その際「死んでしまえと思うくらい憎かった。それくらい私は傷ついた」になれば、それは「私の言葉は真実である」になります。「死んでしまえと思うくらい傷ついた」は、事実であり、私にとっての真実です。そのこと自体に良い悪いはありません。

ただ、自分の思い通りにならなかったから、幼稚な腹いせでそう思っているのか、尊厳を踏みにじられて怒っているのかの区別を付ける客観視は必要です。

この客観視と自己共感が加わること、それも含めての言行一致、「私の言葉は真実である」です。

それがいずれ「自分を裏切ることは死ぬよりも辛い」信念を貫く強さに変わります。何故なら「私の言葉は真実である」からです。

【音声版・自尊感情を高める習慣・6回コース】

1回約20分、6回コースの音声教材です。

第1回 自尊感情とは何か。何故大事か
第2回 全ての感情を受け止め、否定しないことの重要性
第3回 「何が嫌だったか」を自分に質問する。目的語を補う
第4回 期待通りに成らない現実を受け入れざるを得ない時
第5回 小さな一歩を踏み出す・最低限のラインを決める
第6回 人生が変わるのは知識ではなく氣づき

第1回目は無料で提供しています。まず一週間、毎日聴き、ワークに取り組んでみて下さい。その後更に日常の中で実践してみたくなったら、6回分の音声教材(税込5500円)をご購入下さい。

🔗第1回・要約・氣づきメモ

6回分ご購入をご希望の方は、以下のフォームよりお申し込み下さい。

    弊社よりメールにて、振込先口座をご連絡します。振込み手数料はお客様負担になります。入金確認後、6回分の音声教材とPDFが表示される限定公開のURLとパスワードをメールにてお送りします。

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    生きづらい貴方へ

    自尊感情(self-esteem)とは「かけがえのなさ」。そのままの自分で、かけがえがないと思えてこそ、自分も他人も大切にできます。自尊感情を高め、人と比べない、自分にダメ出ししない、依存も支配も執着も、しない、させない、されない自分に。