レジリエンス・再起力とは
レジリエンス・再起力という言葉を聞いたことがあるかもしれません。社会においても、また個々人においても、今ほどレジリエンスが求められる時はないでしょう。レジリエンスとは、危機や困難を乗り越えて行ける力のことです。
災害や事故、社会的・個人的危機が起きた時、人間の反応は大きく分けて以下の3つのパターンがあります。
- レジリエンス(再起力):悲惨な出来事にショックは受けても、健康的な食事を取ったり、眠ったりでき、今後の計画を立てられる。
- リカバリー(回復力):悲惨な出来事が起きた直後は呆然とし、眠れなかったり仕事ができなかったりするが、しばらくすると元に戻る。
- クロニシティ(慢性化):危機的状況が慢性化し悪化する。
大多数の人はレジリエンスもしくはリカバリーを持っていますが、少数の人は慢性化します。危機の内容や、その時の状況によっても、同じ人でもレジリエンスを発揮できるか、慢性化してしまうかは当然異なります。
ただ何にせよ、平時の心がけが危機の時に発揮されます。危機が起きてからレジリエンスを養おうとするのは、正に「泥棒を見て縄を綯う」です。
困難や危機が起きない人生はありません。今回はレジリエンス・再起力とはどういうものか、そして人はそれをどう養い、困難を乗り越えるのかについて深掘りしていきます。
レジリエンスの高い人の7つの特徴
困難を乗り越える力、即ちレジリエンスの高い人の7つの特徴を以下に挙げていきます。
①反応的でない・平常心の大切さ
危機が起きると、脳の扁桃体という別名「パニックボタン」が押された状態になり、いわゆる「脳のハイジャック」が起きます。パニックになって我を失うとは、扁桃体のアラームに脳全体がハイジャックされている状態です。扁桃体は不安・恐怖、快不快を感じる箇所で、生まれた時には完成されています。扁桃体を切除してしまうと、私たちは生きて行けません。
扁桃体の過剰な反応を抑制できるのは、前頭連合野という脳の前の方の箇所です。思考、客観性、判断選択、責任感等、成熟した大人の脳です。そして前頭連合野の完成は25歳~30歳頃と遅く、衰えるのは真っ先です。常日頃から、前頭連合野を使って思考し、判断選択をしないといざと言う時レジリエンスどころではなくなります。それは言葉を換えれば、平常心を養うということです。
平常心を養うには、瞑想や呼吸法などが効果的です。瞑想が中々難しい場合は、まずスマホ、パソコン、TVやゲームを見ない時間を意識的に作ります。一日の中で、これらの情報の洪水に脳を乗っ取られない時間を作るためです。情報に脳を乗っ取られている時、前頭連合野は使っているようで使えていません。ですので、衰える一方になってしまいます。
そして「怖い!どうしよう!」と扁桃体がアラームを出したら、まず息を長く吐き、地に足をつけます。丹田を意識する、重心を下に下げると意識するのも良いでしょう。
①《姿勢》椅子に腰かけた状態で、足の裏を床にしっかりと着けます。お腹の下、丹田の位置から、2本の脚へ、そして足の裏から地下へと木の根が伸びていくとイメージしてみましょう。②《足の裏から根っこが下に伸びるイメー[…]
どんな人も脈拍が一分間に95を超えると問題解決ができないと言われています。成人の安静時の脈拍が、一分間に約70ですから、95はちょっとしたことで超えてしまいます。問題解決能力に長けている人は、「氣持ちを落ち着けることの大切さ」を何よりも直観しているのです。
②問題から目標へ・小さな目標に変更する意義
パフォーマンスが高い人が、例えば脳梗塞などで体に麻痺が起きた場合、元々の目標(会社を経営する、社会的に大きな事業に取り組むなど)を変更する必要が起こります。
それは「自分で食事が出来る」「トイレに一人で行ける」「本を一行だけ読む」など、それまでやっていたパフォーマンスとは比べ物にならないほど小さなことから始めなくてはなりません。レジリエンスの高い人は、それを情けながったりせずに、受け入れることができます。
様々な困難に遭った時、私たちの脳は想像以上にフル回転し、そのため疲れます。使わない筋肉を使うと筋肉痛が起きるのと同時に、やはり普段よりも疲れるのと全く同じです。筋肉痛なら「大体2、3日もすれば収まる」とわかりますが、脳の疲労は「一体いつになったら元通りになるのだろう」と予測ができないため、焦りが出ると却ってまた脳を疲れさせてしまいます。
この場合「まず、休んで疲れを取る」ことが目標になります。その中でも「ただただ寝てるしかない時」から、「少しずつ消化の良いものを食べられる時」「寝室の環境を自分なりに工夫して整えられる時」「脳や体の回復に良さそうなものを調べて、意識的に摂れる時(無闇に甘い物を食べるとビタミンB群を消費し、余計に体がだるくなることはよく知られています)」など、細かな目標の変更ができると、「自分は少しずつ回復している」と実感できるでしょう。
この「寝てるしかない」か「元通りの元氣」かの二択ではない、小刻みな目標設定、そして自分の小さな変化をキャッチできる観察力も、レジリエンスにとっては重要です。
③「事実は何か」に立脚した判断選択
②とも関連しますが、小さな目標に変更するためには、「今起きている事実は何か」を把握する力が要ります。これは当たり前のようで、当たり前にはなっていません。上記の例の「脳梗塞などのために体に麻痺が起きた」事実を、「はい、そうですね」と受け入れられる人はそうそういないでしょう。「信じられない。信じたくない」と葛藤が生じるのが当たり前です。
全ての問題解決は「まず、事実は何か」を把握するところから始まります。職場でのトラブルの解決では、必ずやっていることでしょう。
しかしこれが「損か得か」「どっちに乗っかれば、自分は傷つかず、得ができるか」の打算があると、「事実は何か」が吹っ飛びます。自己保身に走り、結果誤った判断選択をしてしまいます。「コロナは大したことない、ただの風邪とわかっていても、マスクは有害無益とわかっていても、『大勢の方に合わせておく方が目先の自分が安心だから』」延々とマスクをし続けるなどです。
正しい判断選択抜きに、レジリエンスは実現しません。
④長期的・全体的視野を持っている
レジリエンスを発揮できない状態とは、やや下世話な表現をすれば「ドツボに嵌り込む」状態です。目の前の不安、怖さだけで頭が一杯になっている状態です。
責任感の強さは美徳ではありますが、この視野の広さがないと「自分が抱えている問題だけが、この世の全て」になりかねません。その結果「自分一人で抱え込んでドツボに嵌り込む」こともよく起きます。
抱え込んで頑張っていると、責任を果たしているような氣分になる、真面目な人ほど陥りやすい罠でしょう。「私はこんなに頑張っているんだ!」というエクスキューズを、無意識的に自分にしていないかです。
この場合「それは本当に、責任を果たすことになるのか」「それを続けたらどうなるか」の結果予測の質問を自分にします。俯瞰的に考えると言い換えても良いです。
この結果予測の質問は、かなり意識しないと中々やりません。結果予測の質問をすることにより、限界設定と優先順位付けができ、「自分が全てを抱え込んでドツボに嵌る」ではない、別の選択肢を考えられるようになります。
具体的には、信頼できる誰かに任せる、仕事の負担を減らしてもらうよう交渉する、「偉い人が安心するためだけの提出書類」なら思い切って手を抜く、などです。全力投球が常に良いわけではありません。この根拠の伴った柔軟性、「良い加減」もレジリエンスの重要な要素です。
⑤家族や友人など支え合う人間関係・孤立しないこと
④とも関連しますが、孤立は自分の視野を狭めてしまいます。同じ悩みを分かち合うグループがありますが、「悩んでいるのは自分だけではなかった」と思えるだけで、孤独が和らぎ、視野が広がることも往々にしてあります。
しかし残念ながら、人間関係の危機において、最も失いたくなかった家族と決裂することもあります。しかしその場合でも、「共感し信頼し合える新たな仲間を私は得られる」と思えるかどうかも、レジリエンスを大きく左右します。
交友関係が広くても、利用しあう関係性であれば意味を成しません。ここでも、平時から打算的でない人間関係を築けているか、何より自分が損得勘定で生きていないかが問われています。
⑥リフレーミング・違う枠組み、意味づけができる
リフレーミングとは、「同じ物事を枠組み(フレーム)を変えて見る」ことです。同じ物事でも、意味づけを変えることはでき、その意味によって私たちの心の状態が変わる、ということです。これは単にバラ色の眼鏡をかけて、臭い物に蓋をして、安易な楽観視をすることとは異なります。
ところで危機や困難には、「どんな人生にも起きうること」と「あってはならない。許してはならないこと」があります。前者は失恋や様々な失敗、挫折、病氣や怪我、経済的な困難や、親や自分の老いを受け入れて行くことなどです。後者は社会的なことも、個人的なことも両方あります。
前者は比較的「皆通る道だよ」と受け入れやすいかもしれません。その時は「この世で私が一番不幸!」と思い詰めたとしてもです。時間が経てば「そんなことで悩んだ時期もあったね」と笑い話にできることも多いでしょう。
後者の方はそうはいきません。コロナワクチンの危険性を訴え続けてきた人は、大なり小なり、生涯消えない無念を抱えているでしょう。騙されて薬害に遭った人もです。そしてまだ、コロナワクチン接種が中止にならない2024年7月現在、戦いは終わったわけではありません。
この無念は快か不快かと言えば不快の感情です。しかしそれでもなお「〇回打ったけど、私は平氣だよ」だけで済ませて、それ以上のことは考えない人生の方が、無念という不快はなかったとしても、良かったのかどうかです。
こうした問いこそが、生涯消えはしない無念に、新たな意味を与えてくれるでしょう。
⑦これまでに乗り越えた困難を思い出し、応用できる
一見新たな問題が起きても、落ち着いていられる人は「以前乗り越えたことの応用だ」と捉えることができています。レジリエンスに限らず、全ての学習は以前学んだことの応用です。新入社員が初めてお客様にお電話をする際、緊張するのは当然です。しかしそれ以前に「見ず知らずの人に電話をした」経験はある筈です。その経験の上に、新しい経験を重ねています。
慢性的な意欲の低下を招く「都合の悪い自分」の追い出し特に思い当たる節がないのに、慢性的にやる気が起きない、意欲が低下している場合、「あるがままの自分で良いと思えていない」が原因になっているかもしれません。(尚、意欲の低下に[…]
慌ててしまう人は「全く未知の困難が起きた!」と捉えてしまいがちです。すると逃げ出したくなってしまっても無理はありません。
生まれてこの方、困難を乗り越えてこなかった人はいません。そして困難を乗り越えることでしか得られない自信があると腑落ちしてる人は、「誰かが何とかしてくれる。やるのは私ではない」と逃げてしまわないのです。折角の自信を得るチャンスを自分が逃すからです。
【ワーク】レジリエンスを高める自分への質問
今、もし貴方に「にっちもさっちも行かない。中々出口の見えない困難」があり、打つだけの手は打ってはいるものの、やはり不安が拭えない、そんな状況にあるとするなら、そのことが全て終わった未来まで、時間を延ばしてイメージしてみます。
それは数年後、数十年後、貴方が今世を生きてる未来でも良いです。また、私たちはいずれ死にますので、あの世に行った先の未来でも構いません。
その時、氣心の知れた好きな人達(今そんな人がいないのなら、その時にはいるものとでっち上げます)と、リラックスしながらワイワイガヤガヤでも、静かにしっぽりとでもどちらでもいいので、話をしています。お酒が好きな人はお酒を酌み交わしながら、スイーツが好きな人はスイーツを食べながら話しているとイメージしてみましょう。
その仲間の一人が「ねえねえ、そう言えばあの時にっちもさっちも行かなかったようだったけど、どんなことをして乗り越えられたの?」と質問します。「全てが終わった後の」貴方はどう答えるでしょうか?
また仲間の一人が「何を一番心がけたの?」と質問します。また貴方はどう答えるでしょうか?
最後に、また仲間の一人が「そのことがある前と後とで、何が一番変わった?」と訊きます。貴方はどう答えるでしょうか?
・・・このワーク通りでなくても構いませんので、「全てが終わった後の自分から、今の自分を振り返る」視点を持つと、そのこと自体が「④長期的・全体的視野を持っている」「⑥リフレーミング・違う枠組み、意味づけができる」になります。
「病者の祈り」のリフレーミング
この記事の締めくくりに、レジリエンスの意味のリフレーミングに、最もふさわしいと思う詩を紹介します。
ニューヨーク大学のリハビリテーション研究所の壁に掲げられた、一人の無名の患者が書いた詩です。この詩は、多くの国々で翻訳されています。
「病者の祈り」
大事をなそうとして
力を与えてほしいと神に求めたのに
慎み深く従順であるようにと
弱さを授かった
より偉大なことができるように
健康を求めたのに
より良きことができるようにと
病弱を与えられた
幸せになろうとして
富を求めたのに
賢明であるようにと
貧困を授かった
世の人々の賞賛を得ようとして
権力を求めたのに
神の前にひざまずくようにと
弱さを授かった
人生を享受しようとして
あらゆるものを求めたのに
あらゆることを喜べるようにと
いのちを授かった
求めたものは
ひとつとして与えられなかったが
願いはすべて聞きとどけられた
神のみこころに添わぬ者であるにも
かかわらず
心の中の言い表せない祈りは
すべてかなえられた
私はあらゆる人の中で
最も豊かに祝福されたのだ
困難を乗り越える過程で、「ただ嫌なこと、怖いことが取り除かれた」だけでは、私たちは薄っぺらな人間になってしまいます。
結果がどうあれ、その過程において、各人がどのように深い意味を発見できたのか。それがあってこそのレジリエンスだと、この詩は示唆しているように思います。