自尊感情にまつわるコラム

恩に報いようとする人はやたら感謝をアピールしない

SNSでやたら「感謝」をアピールする人への違和感

facebookなどでのSNSで、投稿やコメントにやたら「感謝」「ありがとう」などの記述をする人がいます。
コメントの最後に、内容に全く関係なくはんこのように毎回「感謝」と書いているのを見て、「一体何に感謝してるの?」と思ったこともあります。

そしてまた、実際にその人に会うと些細なことで文句ばかり言う人だったり、特に親切なわけでもなく、違和感を感じるケースが少なくないようです。
ですのでGoogleで「やたら 感謝」と検索すると、「やたら 感謝する」「やたら 感謝 心理」などの予測検索が現れるのでしょう。

感謝はその対象に伝えればすむことなのに、わざわざSNSで公言して回るのは何故でしょうか。
また感謝をアピールする人ほど、実際に会うと「何か違う・・・」と感じるのは何故でしょうか。

心からありがたいと感じたら、人は自然に恩に報いようとするもの

何かに対して、心底有り難いと感じたら、人はそのままにしようとはしません。
人間の心理には「返報性の原理」があり、何かを受けたら受けっぱなしにするのが何か気持ちが悪く、お返しをしたいと感じます。

笑顔であいさつされるとこちらも自然と笑顔で返します。余程の事情(相手が嫌いだとか、自分の心に余裕がないなど)がない限り、こちらは無表情であいさつを返すのは、自分が違和感を感じてしまいます。

また試食販売などはこの返報性の原理を利用しています。試食した後、口に合わないとか、お店の人が感じが悪かったとか、思った以上に値段が張ったとかでない限り、つい「まあ、いいか」と財布のひもを緩めてしまいがちです。それは「受けっぱなしだと何か気持ちが悪い」気がしてしまうからです。

ですから、何かに対して(それは特定の誰かだけではなく、世界全体とか、ご先祖様とか、神仏などでも)ありがたいなあと心の底から感じると、「そのまま受けっぱなしにするのは気持ちが悪い」ためにお返しをしようとします。

そしてこれは言葉ではなく、行動に移してこそのことです。試食販売の例でもそうですが、言葉だけで「ありがとう、美味しかったわ」と言ってお返しが出来たとは中々思えないものです。

そしてこの行動が報恩、恩に報いる、ということです。

親を心から大事にする人は、頭で考えて大事にしているわけではありません。受けた恩に報いたいと心が自然に思っています。

そして直接親に返せない分の恩を、子供や、或いは自分の仕事を通じて世の中に返そうとします。

親にしっかり愛されて育った人は、概ね、親切で優しく、子供を大事に育てるのはこうした連鎖ではないかと思われます(念のためですが、親に愛されなくても、自分で自分を大切にし、人に親切にし、温かい家庭を築いている人も少なくありません)。

行動に移している人はわざわざアピールする暇も意識もない

ですから、言葉だけで「感謝」を言う人が、恩に報いる行動に移していないのなら、実際には大して感謝しているわけではありません。
「感謝している自分」のポーズを取っているだけ、とも言えるでしょう。

そして実際に行動に移す、ということは、どんなことでも膨大な手間暇がかかります。
地道で面倒な努力が必要だったり、失敗や挫折が待っていたり、そして何しろ行動には責任が伴いますから、結構なエネルギーが継続的に必要です。100mダッシュを一回だけすればいい、というわけにはいきません。

エネルギーも時間も有限ですから、恩に報いる行動に移したい人は、いちいちSNSで感謝アピールをする暇も、またそんな意識も残っていなくて当然でしょう。
感謝をアピールする暇とエネルギーがあれば、行動に移す方に廻したい、だって恩を返したいから、返さないと気持ちが悪いから、が恩に報いている人の深層の意識だと思われます。

「感謝が大事」の真の理由とは

一流の人ほど人付き合いに慎重なのは、エネルギーがダダ漏れになるのを防ぐためでしょう。エネルギーを奪われる付き合いは少なからず存在するからです。
どんなにその人自身がタフでも、時間と同じでエネルギーも有限だと重々自覚しています。

一流の人はSNSを戦略的に使いこなすことはあっても(政治家など自分の顔と名前を知ってもらうことも仕事の内の人達は、自分の好みに関わらずSNSを駆使しています)、何となくだらだらとは使っていないようです。
SNSは人付きあいと同じですから、うっかりするとエネルギーを奪われるリスクは存在します。うっかりエネルギーを奪われると、当然のことながら、自分の大切な仕事に充分なエネルギーを注げません。

よく自己啓発系の本で「感謝しましょう、感謝が大事です」と書かれているのは、言葉だけで「感謝したつもり」になっていても何の意味もなく、それが「報恩」の行動に継続的に変わることこそが真の目的ではないかと思われます。

返報性の原理によって「恩に報いたい、恩を返さなければ気持ちが悪い」と心底感じるほどに感謝しているか、ということです。
この「恩を返さなければ気持ちが悪い」が、うんざりするような困難の連続を乗り越えるエネルギーに変わります。

美辞麗句に自ら酔う「善人願望」のナルシシズム

さて、上記のように「恩に報いる」行動を取る人がいちいち感謝アピールをしていられない理由を見てきましたが、一方で感謝アピールをする人たちの意図もあります。

人間の脳は、快が大好きで不快が大嫌いです。

自尊感情が低い人、言葉を換えれば「ほれぼれとする自分でなければ愛せない人」は感情的な不快に耐える力が弱いです。
あるがままの自分を大切にするとは、時に受け入れがたい自分をも受け入れる、その不快を耐えていくことでもあるからです。

不快に耐える力が弱いとまた、自分を「善人だと思っておきたい」善人願望がまた強くなります。善人願望とはナルシシズムです。
ナルシシズムと自尊感情は対極のものです。ナルシシズムに浸れば浸るほど自尊感情は低下し、また不快に耐える力が弱まり、またナルシシズムに走るという悪循環が生まれます。

ナルシストは自分が(人間は誰しも)善も悪もないまぜになっていることに耐えられません。それを直視出来ればナルシストではありません。

善人願望が強い人は、美辞麗句を(この場合は「感謝」)自分からアピールし、それに酔って浸ることで善人である自分を確かめたいと無意識に望んでいます。

そしてコメントに「素晴らしいです!」などと寄せられると益々善人だと承認された気分になっている、その可能性があります。
またそうしたコメントをする人たちも、自分が善人の側にいることを確認しようとしています。

やたら感謝をアピールする人たちに、多くの人が何か違和感を感じるのは、このナルシシズムに自ら酔っていることに反応しているのでしょう。
やたら感謝をアピールする人が、実際には些細なことで文句を言うのも、根っこは「不快に耐える力が弱い」ナルシシズムから来ているのであれば、当然と言えば当然です。

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