自尊感情にまつわるコラム

「話せばわかる」「言っても無駄」の見極め

犬養毅首相の「話せばわかる」の逸話

昭和7年の五・一五事件で暗殺された犬養毅首相の言葉「話せばわかる」、学校の授業で習ったことと思います。
暗殺した青年将校らの「問答無用」と対比され、「憲政の神様」の所以であると記憶した人も多いでしょう。

しかし、実はこの「話せばわかる」とは「その話なら、話せばわかるからこっちへ来い」が実際のところだったそうです。

犬養首相の孫娘・犬養道子の、五・一五事件から太平洋戦争終戦直前までの自伝「ある歴史の娘」(中公文庫)によると、

(原田熊雄日記の)「噂によると、張学良の倉庫の中から日本の政党の領袖や大官連の署名のある金圓の領収書が現れた中に、犬養総理のものも混じっていたとかで・・・先頭第一に侵入してきた青年士官が・・・張学良から金をもらった一件を難詰しようとした時に、総理はこれに対して、『その話なら、話せば判るからこっちに来い』と言って・・・」
(略)
ー私はいつも変だと思っていた。
たしかに「話せばわかる、と、言論の自由を高く謳う一語を残して死んで行った」と言えば、大変立派で、「教育的」で、地元選挙区の小学校校庭の記念碑などに刻み込むには持って来いである。

が、お祖父ちゃまと言う人はこんな一語を麗々しくのこすにしては、もう少々、わけ知りの人であった筈だと、私はいつも思っていたのである。
(略)
いくら話そうとわからない、わかるまいと前以って確固ときめてかかる相手であることを、それが時代の力の性格であることを、たれよりも知りつくしていたのは、(略)お祖父ちゃま自身であったのである。

犬養道子「ある歴史の娘」より・旧字旧かな遣いは現代仮名遣いに改めました

張学良にまつわる「その話」の中身は、前掲書に譲ります。

「話せばわかる」場合と、「いくら話そうとわからない、わかるまいと前以って確固ときめてかかる相手」である場合がある、或る程度長く生きていれば、こうしたことはほとんどの人が経験済みでしょう。

私たちが決してたやすくはない人間関係やコミュニケーションを、少しでも上手くやっていくために、「話せばわかる」ことなのか、「いや話してもわからない」ことなのかの見極めが、どのように言うかのスキル以前に必要です。

どんな場合も「話せばわかる」は、一種の幻想ですし、常に「話したってわからない」ばかりでもない、これが人の世の複雑さです。

理由・根拠が示されると人は納得しやすい

ところで、人間の脳は理由を欲しがります。理由がわからないことに「何で一体・・・?」とああでもないこうでもないと考え続ける、これが悩みの正体のひとつでもあります。

アメリカの大学での実験で、コピー機の前で行列を作っていた学生の先頭の人に
「コピーを取りたいので順番を変わって下さい」
と言ったらかなりの確率で順番を変わってくれた、という調査があります。

しかしそもそも、全員コピーを取りたくて順番待ちをしているのですから、「コピーを取りたいから」は理由になっていませんね。

人間の脳は理由があると納得し安心する、そんな習性があります。

相手にそう負担にならない小さな行動を、きちんと理由をもって伝えると、「話せばわかる」になります。

例:「洗濯で生地を傷めたくないから、脱いだ服は裏返して洗濯かごに入れてね」
「すぐにスタートできるように、5分前には集合して下さい」
「会のスムーズな運営のため、携帯電話はマナーモードにして下さい」

日常の不平不満は、実はこうした小さなことの積み重ねになっていることが多いです。ですので、面倒くさがらずに伝えていくことで、関係が改善されることもあります。

そしてこれらの小さな行動は、あくまで行動レベルのことであって、その人の人格とは別です。人格そのものをどうこうしろ、と言っているわけではありません。

また変えてほしい行動が、その人本人や、その人を含めた全員のためであることを伝えられれば、より納得してもらいやすいです。

価値・信念レベルで「伝えたいこと」「わかってほしいこと」は

親が子供に対してや、教師が生徒に、上司が部下に対してなどは、行動レベルのことだけではなく、価値・信念レベルのことを伝えたい、わかってもらいたいと思うのは当然です。

価値とは「何が大事か」、信念とは「物事はどうあるのが望ましいか」です。

例えば、
弱い者いじめをせず、友達を大切にしてほしい。
失敗しても腐らず、挑戦することを諦めないでほしい。
嘘をつかず、約束を守る誠実な人になってほしい。等々。

このニューロロジカルレベルの、上の方になっていけばいくほど「変えにくく」、しかしその人の人生を大きく左右するものになっていきます。

そしてこの上のレベルになればなるほど、言葉や理屈で理解するものではなく、心で「感じ取っていく」ものになります。
つまり潜在意識のレベルのものになります。

多くの親御さんが

「子供は親が言った通りにはしない、した通りにする」

とおっしゃいます。

一番伝えたい価値・信念ほど、「親(教師・上司)自身がそれを生きているか」、つまり「背中で教える」ことになっていきます。
親・教師・上司自身の「言行一致」が鍵になってきます。

後は相手の感性が、どう受け取っていくかです。一つ屋根の下で育った兄弟姉妹でも、受け取り方はそれぞれ異なります。

子供のうちから、質の良い本を読ませるなど、感性を養う環境は整えられます。しかし感性そのものを、直接どうこうすることはできません。

「言っても無駄」は自己認識レベル、その人の品位・品格・志

「この人に何を言っても話がまるで噛み合わない。言っても無駄だな」と感じるのは、価値・信念レベルもありますが、それ以上に「自己認識・使命」レベルであることが多いでしょう。

価値・信念レベルは「賛同はできなくても『違う』ことはわかる」レベルです。状況によってはその「違い」に興味を持てたり、尊重できることもあります。

この「自己認識・使命」の「使命」は「何をするか」ではなく、「誰の何のためにそれをするのか」です。
品位・品格や志が高い、低いの志と言い換えても良いでしょう。

価値・信念は「それがどういったものか」を、言葉で説明しようとすればできます。
しかし、品位・品格・志は、ある、ないとか、高い、低いとしか言い表すことが出来ません。

或る人が、2年ほど勉強してNLPのトレーナーの資格を取りました。
しかし、2年くらい勉強したところでは、表面的な教科書通りのことは説明できたとしても、NLPの各スキルを日常の中でどう使うか、その本質までは受講生に説明できるものではありません。

そんな状態では受講料の高い(プラクティショナーコースで、10日で35万円もします)認定コースはとても開けない、と考えました。そうしたことを自分に許すことはとてもできなかったのです。
ですから、トレーナーになった後も、より優れたトレーナーの元でまた何年も研鑽を積み、自分でも実践を通じて探究し続けました。

一方、同じクラスで勉強し、一緒にトレーナーの資格を取った同僚は、「一体何を躊躇してるの?協会が認めてくれたのだからいいじゃない」とその理由がまったく理解できませんでした。
スキルの理解度は似たようなレベルであったにも関わらず。
そしてその同僚は、トレーナー資格を取った後は、自分よりも優れたトレーナーに教えを乞いに行くことはありませんでした。

両者では「NLPを何のために使うのか」が全く異なっていたのです。

前者は、仕事や日常の中で使ってこそのもの、と考えていました。

後者は、自分や受講生が使えようが使えまいが、理解しようがしまいが関係なく、コースを「それなりに楽しく」開けて、集客さえできれば良い、お金になれば良いと考えていました。

せいぜい数年など、実践経験が乏しいのに、或いはないのに、聞きかじりの知識だけで、カウンセラーやコーチの養成講座を開いてしまう人も、結局は同じでしょう。

カウンセリングやコーチングを「受けたい人」よりも、カウンセラーやコーチに「なりたい人」を集める方が手っ取り早く、またお金になります(ほんの数日のセミナーで、一人当たり15~30万円の受講料をもらってしまえます。また受講料が高いとそれだけで「セミナーの質も高い」ような気になってしまう、そうした心理も利用しています)。

しかし、実践経験が乏しいうちに、お金儲けのために養成講座に手を出した人が、カウンセリングやコーチングを粘り強く極めようとすることは、私の観察によればありません。

器用な人ほど「それらしく」教えることもできますが、やはり実践経験があるかないかは覆い隠せないものです。受講生が経験があればあるほど「あれ?おかしいな」と見破られてしまいます。

「誰の何のためにそれをするのか」は本人すら気づいていないことも多いです。訊いたところできれいごとが返ってくるのが落ちです。

こちらが、「その行動は、誰の何のためになっているのか」を見極めていくことが重要です。

ニューロロジカルレベルのどのレベルで付き合うか

ニューロロジカルレベルの下の方であればあるほど、「話せばわかる」ものになり、上の方になればなるほど「話してもわからない」「言っても無駄」なものになります。

上の方は、相手の感性や、価値観、品位・品格・志次第で、受け取れるか受け取れないかになります。理屈や論理で説得できるものではなく、感じ取るしかないことだからです。

冒頭の犬養首相の、張学良との金銭のやり取りの話は「環境レベル」の話でした。環境レベルとは、自分の外側の事実のことです。
浅い関係であれば、環境・行動レベルだけで付き合うのも充分ありです。

上の方のレベルで付き合える、付き合っていると思っていたけれど違った場合は、私たちはつい「自分が望むような」相手に変わってほしいと願ってしまいがちです。

いきなりシャッターを下ろしてしまわず、言葉を尽くして話し合ってみるのもいいでしょう。
しかし、どんなに言葉を尽くしても、特に品位・品格・志レベルのことは「噛み合わない」「言っても無駄」に終わることもやはりあります。

その辛い気持ちは気持ちで、否定せずに受け止めた上で、残念だけれども距離を置かざるを得ない、そういう結論に達することもあります。

付き合う人の意識の在り方は、知らず知らずのうちに自分の意識に伝播します。

自分がどんな人生を生きたいか、それに責任を持つことは、「どんな人と付き合っていくか」「この人とはニューロロジカルレベルのどのレベルで付き合っていくか」を自分で判断していくことでもあります。

そしてまた、自分自身の品位・品格・志を高め、磨くことにより、それに呼応する新たな出会いもまた充分にあり得ます。

無料ステップメール「自分を大切にする7日間のレッスン」

自尊感情を高めるとは、自分を大切にすることと言い換えても良いでしょう。
「でも、具体的に何から始めたらいいの・・・?」の声にお応えして7日間のレッスンにまとめました。

《レッスンの一例》

● 体の声は心の声・体の状態に耳を傾ける
● 望まない人間関係に心の中で「No」を言う
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Pradoの心理セラピー・セッションでお伝えしている内容を含んでいます。

どんな自分も否定せず、そのまま見て、耳を傾けることで「生きやすさ」は増していきます。
自分を大切にすることで、打たれ強く、柔軟で、ぶれない心を・・・!

 

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