「私が悪かったのかな?でも納得できない」のモヤモヤ解消の5STEP

一瞬湧き上がる「私が悪かったのかな?」「悪いことをしたかな?」

何か理不尽で不誠実なことをされた時、嫌なことをされた時、一瞬「私が悪かったのかな?」「何か悪いことをしたかな?」と湧き上がってくるものだと思います。真面目で氣持ちが優しく、素直な人ほどそうでしょう。

また後述しますが、基本的に「人を悪く思いたくない」人ほどその傾向は強くなります。日本人は頭から人を疑ってかかることは、好ましくないと思っている人の方が大多数でしょう。国や民族によっては「騙される方が悪い」「人を見たら泥棒と思え」が当たり前のところもあります。

その場はやり過ごしても、後々モヤモヤが残るのは、自分が納得していないからです。本当に自分の不注意やミスで、相手を怒らせてしまったことなら、そのことについては「すみませんでした」「氣をつけなくちゃ」と普通の感覚の人なら思えます。

モヤモヤが残っている時、「本当は自分が、もしくは自分だけが悪いんじゃない」と心のどこかでわかっています。しかし「私が悪かったのかな?」が、いずれ「やっぱり私が悪かった・・?」の自己否定感になりかねません。そしてまた「また、あんなことが起きたらどうしよう」の不安材料になります。

面倒でも一回一回向き合って処理していかないと、こうしたよく起こりがちなことでも、案外自尊感情を下げてしまう原因になってしまうのです。

今回は「私が悪かったのかな?」のモヤモヤをどう処理するかの、5つのステップについて述べて行きます。

STEP1 友達に置き換えて考えてみる

「自分のことだとよくわからない場合は、友達に同じことが起きたらどう思うか。その友達にどう言ってあげるか」を考える、頭の体操をしてみます。この頭の体操は、意識しないと中々やりません。「私に友達なんかいません!」の人は、友達がいるものとでっち上げて考えてみましょう。

そして更なるコツは、その場面を自分が横から眺めている、とイメージすることです。横から眺めると、より客観的にわかることがあります。

大抵の場合「それ、相手の○○さんの方がおかしいよ。変だよ」になるでしょう。またモヤモヤが残りやすいのは「相手が言っている内容は間違っていない」ケースです。「言ってることは尤もなんだけど、でも・・」と消化不良になっています。

その際、相手の言葉の内容の是非と、その時の相手の態度に、配慮や尊重があったかどうかを分けて考えてみます。エーリッヒ・フロムによれば、そこに愛があるかは「配慮、尊重、責任、関心」があるかどうかです。その時相手に余裕がなくて、配慮できなかったのか、相手が悪氣はないけれど余り氣が利かない性格のためなのか、そもそも「大切に考えていない。心を踏みにじっている」態度だったのかも分けて考えてみます。

また、「内容は誘惑的だ」という言葉があります。私たちは言葉の内容に引きずられて、相手の態度に込められている意図を洞察できなくなることがあります。「口では何とでも言える」ということです。わかりやすい例で言えば「妻とは別れる!」「君といると癒される」などです。「妻とは別れる」は言うに及ばずですが、「君といると癒される」と言う割には、自分からはデートに誘わない、LINEの返信が数日後であれば、そちらの方がお相手の本音です。

STEP2 「何にモヤモヤしている?何が嫌だった?」と自分に訊く

モヤモヤが残っている、ということは、何かが嫌だったと感じているということです。そして感情には目的語がありません。その目的語を補う質問が「何が嫌だった?」です。

愛とは「配慮、尊重、責任、関心」があるかだと上述しました。「配慮がない/尊重されていない/無責任/無関心/だと感じたことが嫌だった」であれば、相手の愛のなさに自分が反応しています。

また一方で、こちらの視点が低くて、相手を理不尽に思っていることもあります。例えば上司が「立場上」そう言わざるを得ないことを、こちらが理解できていない、などです。経験を積むと「○○さんも『こんなことはおかしい』と本音ではわかっていても、宮仕えの身だとそうは言えないんだな」とわかってきます。

或いは営業さんにこっぴどく叱られたのは、「お客様の代理として、お客様の代弁者として」叱っているのであって、それもまた営業さんの責任の内などです。こうしたことも、経験が浅い間は「ただ怒られた」としか捉えられないこともあります。

初めから高い視点を持ち合わせている人などいません。「視点が低いのが悪いのではなく、上げる努力をしようとしないのが良くない」と思えると、ただただ「私が悪い、ダメ」にはならずに済むでしょう。

これもSTEP1を繰り返すと、「相手の愛のなさを拒絶するべきことか/自分の視点を上げる努力をするべきことか」の区別がつきやすくなります。

STEP3 他の人にも同じようなことをしていないか観察する⇒課題の分離

人の心は「どこを切っても金太郎」になっています。基本的に仕事ができる人は、家族も大事にします。家族の苦しみに無関心でいながら、出世していたり、えらく大儲けしている人がいれば、それは真っ当な仕事の仕方をしていない、その可能性があります。

自分に対して威圧的だったり、いいように振り回してきたり、過剰に依存的でこちらの限界を超えて来たり、そうした人は他でも同じことを繰り返しています。それも「やりやすい相手」を選んでやっています。立場が下の人とか、経験が浅い人とか、氣持ちが優しい大人しい人などがターゲットにされやすいです。人のために一生懸命尽くす真面目な人も、カモにされやすいです。

モヤモヤを感じている相手が、職場の人や家族など継続的に関わる人の場合、「他の人にもやっていないか」を観察することをお勧めします。そうすると「私が悪いのではない。あの人がそういう人」と、課題の分離がしやすくなります。

課題の分離は、自分の精神的エネルギーを浪費せず、「本当に大事にするべきことを大事にする」集中力を養うために大事です。しかし、脳は関係ない事柄を瞬時にくっつける強力な磁石のような性質があるので、課題の分離は当たり前のようで、意識しないと中々できないことの一つです。

STEP4 「人を悪く思いたくない」と「人には良い面・悪い面それぞれある」は別物

冒頭でも触れましたが「人を悪く思いたくない」人ほど、「私が悪かったのかな?」になりやすいでしょう。「相手を悪く思いたくない」⇒「相手は悪くない」⇒「私が悪いのかも」というロジックが、瞬時に脳内で起きてしまいます。人と仲良くしたい、円滑に交わりたい氣持ちが強い人ほど「相手を悪く思いたくない」になるでしょう。

まず「私には『人を悪く思いたくない』傾向があるんだな」と受け止めます。状況によって、それが良く出るか、悪く出るかになる、「私が悪かったのかな?」のモヤモヤは、それに向き合うサインとも言えます。

更に「人を悪く思いたくない」が「悪く思ってはいけない」になっていないかどうかです。これだと、腹黒い人の格好のカモになってしまいます。残念ながら、「人を利用してなんぼ」の人は珍しくないのが現実です。

見出しの通り、「人を悪く思いたくない」と「人には良い面・悪い面それぞれある」は別物です。縁を切らざるを得ない決断をした相手も、「全てにおいて極悪人」という人はそうそういません。憎んで余りある毒親も、例えば「礼儀や言葉遣いを教えてくれた」「ジャンクフードは避けていた」などの良かった面もあったかもしれません。

しかしそれでもなお、「自分の尊厳を意図的に踏みにじってきたこと」を帳消しにすることはできないのです。「育ててやった」「進学させてやった。そのためにどれほど苦労したと思っているんだ」などと親が言ってきたとしても、事あるごとに自尊心を踏みにじって良い言い訳にはなりません。

「あの人の全てが悪いとは言わない。良い面もある。それと、自分の尊厳を守るために、拒絶するべきことは拒絶する。それは自分にしかできない」と分けられると、「私が悪かったのかな?」だけを考え続けることはなくなるでしょう。

STEP5 感情の処理は自分の問題・相手の人間性はその人の問題

ここまで来ると、「自分のモヤモヤは尊重されなかったことに対する反応だった」とわかると思います。自分が尊重されていない時、嫌悪と怒りを感じ、拒絶しないと自分がそれを受け入れ、結果的に意図せず肯定してしまいます。

「嫌だったよね!」としっかり自己共感して、感じ切ってしまいましょう。自分の一番の味方は自分、これが自尊感情の高いあり方です。

一方で、「何であの人あんななの!」と深追いしすぎないことも併せて重要です。余計なことで悩み過ぎている場合、相手の人間性について、ああでもない、こうでもないと考えていないでしょうか・・・?

相手の人間性について考えるのは、「適切な距離を取って、自分がそれ以上振り回されない、境界線を乗り越えさせない対処方法を導き出すため」に留めておくと、精神的エネルギーを無駄にしません。

「もしまた、あんな嫌なことをされたら、これこれの対処方法を取る」と具体的なシュミレーションができたら、あの人の人間性について考えるのは終わりにします。それ以上考えてしまうと、今度は自分が相手の境界線を乗り越えてしまうからです。

自分の尊厳は自分で守りながら、課題の分離をする

脳は本来は関係ないものを瞬時にくっつける、強力な磁石のような性質があります。そして目に見えないことなので、自分では中々氣づけないことも大変多いです。

だからこそ、様々な角度から考えて整理する、頭の体操が必要になります。磁石にくっついた無数のクリップを、一個一個離していくような作業です。これはお勉強ができるとか、難しいことがわかるとかの頭の良さとは違う範疇のことです。そして体の柔軟性と同じく、さぼるとすぐ使えなくなってしまいます。

素直で人を信じやすく、氣持ちが優しいこと自体は美点です。しかし、状況によっては弱点にもなります。元々の美点は美点として保ちながら、新たな考え方とスキルを身に着ける、これは万人の課題です。

そしてその軸となるのは、見出しの通り「自分の尊厳は自分で守りながら、課題の分離をする」これもまた誰にとっても、当たり前のようで、当たり前にはなっていないことなのです。

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第2回 全ての感情を受け止め、否定しないことの重要性
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第4回 期待通りに成らない現実を受け入れざるを得ない時
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