自尊感情を高める習慣⑦「私はもう世界に身構えなくていい」

「わかってよ!大事なことなんだから!みんなを巻き込むことなんだよ!」の叫び

2020年からのコロナの嘘とコロナワクチンの危険性に、国内外を問わず、名立たる医師・医学者、政治家やジャーナリスト達、そして一般の人々が声を挙げ続けました。

見出しの通り「わかってよ!命と健康と、社会の将来に関わる大事なことなんだよ!自分さえ良ければいいんじゃないんだよ!みんなを巻き込むことなんだよ!」の危機感と正義感があればこそだったでしょう。

しかし、「自尊感情を高める習慣⑥自分の影(シャドー)を見ている人・見ていない人」で書いた通り、「世界のおぞましさに耐えられない人」には、残念ながらスルーされてしまいました。それは無意識の心理的防衛が働けばこそで、本質的には今でも変わっていないでしょう。

関連記事

「聴く耳を持ってもらえなかった」辛さは後々まで残るもの「自尊感情を高める習慣⑤話の噛み合わなさはどこで生じるか」の最後に、「『歩み寄り不可能』を受け入れるのは第三層の最大の試練」と書きました。[sitecard subtit[…]

そしてこれは、コロナ騒動に限らず、皆さま固有の状況、職場や家庭の中でも似たようなことが起きていたかもしれません。

他人が横から「もう相手は聞かないよ。あなたが傷つくだけだし、もうやめておいた方が良いよ」と言っても、「はい、そうですね」と簡単に受け入れられることではなく、「そんなこと言ったって!」と益々ヒートアップする。しかしやがて、満身創痍になって限界に突き当たってこそ、やっと次の段階へ進めるもののように思います。

「相手を変えようとしない。自分が変わる」は、誰もが知っている言葉です。ですが、何度も何度も傷つき、心底失望し、悲しみ、怒り、恨み、寂しさを感じ、へとへとにならないと、「でも、もしかしたら・・」とどうしても希望を繋ぎ、諦めきれない。それは時に数年、場合によっては数十年かかることすらあります。

特に親は、人が最初に依存し、最後まで期待を手放せない存在です。人生の後半に差し掛かって漸く、諦められるケースも決して珍しくありません。

その痛みのプロセスを知ると、「人を変えようとしない」の言葉を人は安易に言えなくなる傾向にあります。自分の都合のために相手を変えたかったわけじゃない、「本当に大事なことだから」わかって欲しかった。それが果たせなかった無念が疼き続けるからなのでしょう。

満身創痍のようでも心の核は守れている

この「わかってよ!」は、自分の信念、生き方の表明であり、自分を超えたものに意識が向けばこその叫びです。自分だけのことなら「まあ、多少我慢して譲ってもいいか」で済ませられても、全体に及ぶことなら譲れない。そしてこのように考えられる人は、いつの世も少数派なのでしょう。

そしてまた、満身創痍になったかのようであっても、実は心の核ー価値観・信念・良心ーは守られています。その心の核から発せられた心の叫び、その核を裏切るまい、汚すまいとすればこその叫びだったからです。

ですから私は、満身創痍になって深く傷つき、疲れ果てたとしても、再起不能にはならない、そうした人は自暴自棄には決してならないと信じています。

信念の強さは足を踏ん張る力にも、「握りしめ」にもなり得る

信念の強さがあればこその心の叫びでした。また、世の中や、会社や、他からの目が届かない、孤立無援になりがちな家庭の中で、逆風にあっても足を踏ん張れるのは信念の強さが不可欠でしょう。共感し合える仲間の支えは、孤立しないために大切ですが、信念の直接の代替えにはならないのではと思います。

ただ一方で、この真剣に抗うための信念は、「世界に対して身構えている」戦闘モードに傾くこともあります。そしてどんなにそれが正当なことであっても、「何が何でも避けなければ!」が「握りしめ」の執着になり、結果的に人や仕事、お金の流れが滞る、こうしたことを実感されている方もおられるかもしれません。

「親の愛情を必死になって得ようとする」本能は消えない

信念自体は正当なことであっても、心の深い根っこに「世界に対して身構えている」感じがもしあったとすれば、機が熟した時に、「それは何だったのか」と静かに振り返ってみるのも良いかもしれません。

頑張ってしまう人ほど「そんなものだって」を受け入れるのが中々難しく感じるものなのでしょう。そしてもし「頑張って役に立たなければ、親に認めてもらえない。受け入れてもらえない」が心の根底にあったなら、それを解除して漸く「無闇に頑張らなくても良い」を受け入れられるのではと思います。

子供は実は幼い頃から、「自分は親に愛されていない。親に歓迎されていない」を本音の本音で感じ取っていることがあります。しかしそれを「はい、そうですね」と認めることができません。「そんな筈はない!」と激しく抵抗する、もう一つの本能との終わらない綱引きが、無意識の中で始まってしまいます。

ところで鳥や哺乳類など「親の庇護がなければ生きて行けない」動物は、本能的に親の愛情を必死になって得ようとします。巣の中で雛が親に餌を与えてもらおうとしてさえずります。人間はそのさえずりを微笑ましく思うかもしれませんが、彼らは必死です。

鳥や哺乳類の中には「育つ見込みのない子に餌や乳を与えない」「巣から雛を蹴り落としてしまう」種もあります。それは「野生という厳しい環境の中で、種が生き延びるのに有利な個体を選別する」生存戦略です。そして「選ばれるがために」雛は必死でさえずります。

人間の子供も「親の愛情を得て、家庭という『巣』から蹴り落とされないために○○する」を、「親は自分を愛していない」と感受してしまった子供ほどやってしまうのかもしれない、こうした仮説が成り立ちます。

そしてそれが「正しいことを頑張れば、相手の役に立てば、認めてもらえる。受け入れてもらえる」になったかもしれません。自然な成り行きとして、それは親以外の関係性にも転化されます。

そしてまた、人間の脳は単純化し、融通が利きません。裏を返せば「そうしなければ、『巣』から蹴り落とされる」の恐怖を、脳が刷り込んでしまったかもしれないのです。それが引いては「世界に対して身構えている」になっても、脳の一般化の働きに照らせば当然のことでした。

「親の愛情を必死になって得ようとする」本能そのものは、いくつになってもやはり消えません。「もういい大人なんだから」などと抑えつけるのは無理が生じます。ですので、ただ「あるんだな」と観察すると意識化され、過度に暴走しにくくなるでしょう。上記の「そんな筈はない!」の綱引きの一方の力が鎮まって来るのではないかと思います。

失望と落胆を味わい尽くしてこそ「私はもう世界に身構えなくていい」

コロナワクチン薬害に関して言えば、谷本誠一元呉市市議が、2021年晩秋頃、街頭演説で「大きな被害が出なければ皆わからんの!」と訴えていました。しかし「大きな被害が出てもわからない」が現実でした。そしてそれを、予測できた人はいなかったでしょう。

「ああ、もう駄目だ。わかってもらえない」の辛い失望と落胆。これに耐える力を予め養っている人はいません。

「わかりたくない人は死ぬまでわかろうとはしない」この単純な現実を受け入れるには、この限界経験以外に道はないと思います。人間はどうしても、「もしかしたら、もしかしたら・・」と儚い希望を繋ぎたくなるからです。

そしてこの限界経験は、その人のプロセスそのものであって、他人が急がせることも、遅らせることも、他の道へ逃そうとすることもできません。

失望と落胆をとことん味わい尽くして後、「もう私は充分にやりつくした」と自分を認め、自然に「私はもう世界に身構えなくていい」と、その鎧を脱げるのでしょう。

ただ、信念そのものを捨てるわけでも、曲げるわけでもありません。信念は持ちながら、「握りしめ」にはならず、「共感できる人はごくわずかなのかもしれない。その人と分かち合えれば良い」と静かな諦観に移るように思います。

「あの時はごめんね」と言ってもらえなかったとしても

私がこの記事を書いているのは、2026年1月です。この記事を読まれている方の中には、家族・肉親にコロナワクチン接種を止めようとして、果たせなかった方もおられるかもしれません。

2024年5月末に、コロナワクチンに反対する日比谷のパレードデモが開催されました。組織の動員ではない一般市民が約5万人も集まったそうで、大変画期的なことでした。当時はまだ「世の人々に知らしめなければ!知ってもらえば氣づける筈!」という氣運があったように思います。

2025年10月には、ドキュメンタリー映画「ヒポクラテスの盲点」が全国上映されました。中には、5回接種した方が、上映期間中2回も映画館に足を運んだそうです。以前よりかはワクチン薬害が認知されて来たとは言え、それでもなお世の中の大多数の人は無関心、「終わったこと、済んだこと」にして、ただやり過ごしているように私には見えます。

関連記事

映画「ヒポクラテスの盲点」10月10日から全国上映ドキュメンタリー映画「ヒポクラテスの盲点」が、2025年10月10日から全国で上映されます。https://www.youtube.com/watch?v=nZ6[…]

ワクチン接種を止めようとした家族・肉親に「あの時はごめんね。きっとあの時はどうかしてたんだ。あなたが言っていたことが正しかった。解毒を頑張るから、もう心配しないで」・・と言ってもらった、という話を私は聞いたことがありません。

「その話は触れないで」と言わんばかりにやり過ごされると、命懸けの嘆願をなかったことのようにされたと感じてしまうのも、全く無理はありません。止めた方の心の痛みは、日を追うごとに寧ろ深くなっていくかもしれません。「歩み寄り不可能」の苦さが日々募っていても、自然なことでしょう。

この心の痛みは生涯消えない、抱え続けて生きざるを得ないかもしれない。ただそれは「自分を裏切れなかった」生き方の証でもあります。自分を裏切らずに生きることは、こんなに悲しい。その痛みが陰影の深い大人になるための、一つの契機になり得る、そのように私は考えています。

【音声版・境界線とは「No」を言うこと・流されない生き方のために】


【このような悩みを抱えている方へ】

・適切な「No」を言えるようになりたい。迎合したり、操作されたくない。自分の意志で人生を生きたい。
・流されてしまったことに後悔している人。「もうあんなことは繰り返したくない。自分の子や孫に、同じ過ちを犯してほしくない」「どうやったら流されずに、勇氣を持って断れるようになるのかを知りたい」

【音声教材を聴くことによって得られる効果】

・何故「No」を言うことが大事なのかが再確認でき、やりやすいところからチャレンジできる。
・「No」を言うために必要なこと、限界設定、責任、結果予測、選択肢を増やす等、「遅い思考」を鍛える意義がわかる。
・親に反抗できなかった人は、親(大人)の言いなり良い子になることをやめる決意ができる。自分と親の関係性を見直すきっかけにできる。
・日常の中で小さな「No」に躊躇しなくなり、「他人にどう思われるか」ではなく「自分がどうしたいか」「何が責任を果たすことなのか」で物事を取捨選択し、たとえ結果が思わしくなくても、「自分が選んだ」ことそのものに対しては自負を持てる。

【全6回のテーマ】

第1回  結果を負うのは自分しかいない。「No」を言わなければ「Yes」と言ったと見なされる (約17分・無料で公開します)

🔗第1回 要約・氣づきメモ

第2回 「No」を言いづらい時、何を恐れているのか (約17分)
第3回 「人は安心の名の下に自由を手放す」責任と結果予測 (約14分)
第4回  速い思考と遅い思考・現実を見ることと選択肢を広げること (約18分)
第5回  思春期の頃、親に対して「うるせえ!クソジジイ!クソババア!」と言えましたか? (約15分)
第6回  境界線の内側には良いもの、外側に悪いもの・境界線は真の自由と自立のために (約16分)

5500円(税込み)振込み手数料はお客様負担になります。

まず第1回を試しに聴いて頂き、ワークに取り組まれた後、「もっと勉強して実践したい」方は、以下のフォームにてお申込みくださいませ。
振込先の銀行口座をメールにてご案内します。お振込み確認後、URLとパスワードをメールにてお知らせいたします。

もし、お申し込み後2、3日経っても、弊社からのメールが届いていない場合は、受信メールのゴミ箱に入っていないかご確認くださいませ。
やはり届いていない場合は、大変お手数ですが、弊社へメールかお電話にてご連絡くださいませ。


    ※「音声版・自尊感情を高める習慣」のご案内は、こちらのリンクをご覧ください。
    関連記事

    1回約20分、6回コースの音声教材です。第1回 自尊感情とは何か。何故大事か第2回 全ての感情を受け止め、否定しないことの重要性第3回 「何が嫌だったか」を自分に質問する。目的語を補う第4回 期待通りに成らない現実を受け[…]

    IMG

    NO IMAGE

    生きづらい貴方へ

    自尊感情(self-esteem)とは「かけがえのなさ」。常に等身大の、それ以上でもそれ以下でもない今の自分から出発します。自尊感情を高め、人と比べない、自分にダメ出ししない、依存も支配も執着も、しない、させない、されない自分に。