自尊感情を高める7つの習慣④ 不安の耐性を高める

不安を感じるのは本能・日本人の「不安遺伝子」の高さ

私たち人間の脳は、誕生時は脳幹という生命維持装置と、扁桃体という別名「パニックボタン」だけが完成された状態で生まれてきます。感情には喜怒哀楽様々な種類がありますが、中でも不安は本能に直結した感情です。人間を含め、動物は不安を感じないと危険から身を守れません。

爬虫類の感情は怒りだけで、その怒りは威嚇として表現されます。そしてその怒りは身の危険の恐怖を感じることにより引き起こされます。人間の怒りは、尊厳を傷つけられたり、愛や慈悲が土台になっていたり、正義感から来るものだったり、動機は多種多様です。身の危険や、自分のわがままだけで怒るとは限りません。しかし「不安が強くなると怒り出す」のは、人間も動物なので避けられないことなのでしょう。

このように、不安は元々動物の本能に根差す感情であるのに加えて、日本人は他民族に比べて、不安遺伝子が飛びぬけて高い傾向にあります。

東ニイガタ友愛クリニック 瀬尾 弘志 これから来る冬を前に気分が落ち込む秋ですが、とくに11月以降はその傾向が強くなって…

その原因は、日本列島は自然災害が多く、また島国で出て行くところがないため、不安を感じやすい遺伝子の方が生き延びるのに有利だったという仮説が成り立ちます。日本人の真面目さや秩序正しさ、物づくりやおもてなしのきめ細やかさは、この不安遺伝子に負うところが大きいとも言われています。つまり「心配性が日本人のデフォルト」こう思えると、「不安を感じやすい=後ろ向き」とは捉えなくて済むかもしれません。

不安を慎重さや、準備・予防に生かせば長所に

個人の生活においても、慎重に調べたり考えたり、「誰もがわかっていて中々やりたがらない」準備・予防の原動力にすれば、不安は有用なものになります。早め早めに準備をする人は、やはり心配性な人が多いようです。いつも間際になってバタバタする人より、他人に迷惑を掛けずに済むでしょう。

ですから不安を消したい、なくしたいと本能に逆らおうとするより、「不安は向き合い方次第で、良い結果を生むこともある」と上手に付き合うのがコツと言えます。

ここまでは「それはそうだよね」と殆どの人が思えるかもしれません。しかし、人間は大変複雑な存在であり、また不安は根源的な感情だからこそ、扱いには面倒でも頭をかなり使う必要があります。

脅威依存「安心するのが怖い」

安心を求めるのは人間の本能ですが、それと相反するように、刺激を求めるのもまた本能です。昔行われた心理実験で、「窓も時計もない、今が何時かわからない部屋の中に、暇つぶしをするものが一切なく、一人で閉じ込めておく」というものがありました。空調も食事も整い、寝たいだけ寝ていても構わないのですが、すぐに耐えきれなくなる被験者が続出したそうです。

つまり人間は、刺激が全くなくなると生きて行けないのです。その刺激が少しで良い人と、たくさん要る人の間にはグラデーションがあります。刺激が少しで良い人は、体力とは関係なく疲れやすく、「誰も見ていないTVがついているとすぐ消したくなる」人が多いです。刺激がたくさん欲しい人は、「休みの日にじっとしていることが耐えられない」タイプでしょう。

更に人間の不合理なことには、時に「平和で安心」が退屈になり、「不幸で怖いこと」は刺激があるので、後者をいつの間にか求めてしまう、即ち脅威依存になってしまうことも実際には起きています。世に言う「不幸好き」がそれに当たるでしょう。また、共依存から抜け出せないのも、脅威依存が背景にあると考えられます。

或いは脅威、即ち敵を想定して「大変だ、大変だ」と言っている方が、正しいことをやっているような氣分になれることもあるかもしれません。「それ、もう終わってるから、放っておいていいことだよ」と言われると、今度は「自分が何かを新たにしなければならない」自分の責任を問われる。それが怖くて面倒だと、外側の脅威に自分から縋る。SNSの「意識高い系」の発信には、時にはそうした隠れた動機があるのでは、と感じることもあります。

エーリッヒ・フロムは「誰もが他人を責め、そうすることで責任から逃れようとする」と喝破しました。これも脅威依存の実態を抉り出した言葉かもしれません。

安心依存「安心できた氣分になりたい」

脅威依存と表裏一体ですが、安心依存も私たちの心に忍び込みます。日本人に一番多いのは「皆と同じにしていたら安心」なのかもしれません。今は以前よりも、ブランド信仰や、猫も杓子も同じファッションの流行に追随することは減ってきたように見受けられます。その代わりに外国人には奇異に見える、日本人のマスク依存に差し代わっているのかもしれません。どんなに「マスクには感染予防効果はなく、雑菌を鼻と口の前で培養して、自分の吐いた二酸化炭素と共に吸い込むから、健康を害するだけだよ」と言っても、安心したい本能は、理屈ではそう簡単には覆せません。

また、過去の未消化なモヤモヤが整理できていないと、「もしまた、あんなことが起きたらどうしよう」を考えすぎるのも、とてもわかりづらいですが安心依存になります。例えば「またあんなクライアントが来たら嫌だ!」の氣持ちには良い悪いはなく、ただそうだ、ということです。しかし「一体何が起きていたのか」の振り返りをしないと、いつの間にか先に未来の不安に身構えてしまう。「もしまたあんなクライアントが来たらどうしよう」の取り越し苦労と、自分の率直な反省を取り違え、実は建設的な対策にはなっていない、そしてそれは中々氣づきにくいことの一つです。

この「何が起きていたのか」は、言語化・意識化による整理が不可欠になります。自分一人でやれる客観性に富んだ人もいますが、誰もがそうではありませんし、事柄によっては堂々巡りや自己否定に陥ることもないとは言えません。そしてまた、この整理は意外と時間がかかるものです。信念の強い人ほど、他人にはわからない無念を抱え、それは幾重にも重なり合っていることもしばしばです。ふさわしい相談相手が身近に見つからない場合は、心理セラピー等、プロの対人援助者のご活用も是非ご検討頂ければと思います。

安心依存は、実にありとあらゆる形を取ります。他にも「正解依存(「TVや政府や会社やGoogle検索がそう言ってるから)」「技術依存(この技術があれば大丈夫)」「情報依存(情報を得ただけで安心してしまう)」「共感依存(「それな!」「マジでそれ!」などの浅い共感で安心してしまう)」「無知による安心(知ってしまったら知らなかった過去には戻れないから、知らぬが仏を決め込む。騙されたふりをする)」等々です。

殊に「無知による安心」は、つい「だから~」と「わかっている」他人は説明と説得をしたくなるものかもしれません。ですが相手は、実は理解不足でわからないのでは必ずしもなく、「知ることそのものが恐怖」の場合も少なくありません。コロナ騒ぎがインチキであり、少なくとも季節性インフルエンザと大して変わらないか、それ以下の風邪だと2020年の夏にはほとんどの日本人は知っていた。だからマスク民が観光地に溢れかえっていました。しかし、「政府やメディアは嘘を言って私たちを騙している」と認めてしまうと、マスクはもうできない、「ワクチンは何があっても打ちません」と言わなければならない。それが怖くて面倒だと「無知による安心」へ自分から突き進む。それは2026年の初頭の今もなお、続いているように私には見えています。

安心依存と「備えあれば憂いなし」の違い

ここで、安心依存と「備えあれば憂いなし」の違いを整理しておきましょう。

安心依存は上述したように、「安心を他者からもらう」構造です。「○○しさえすれば安心」が典型です。責任を自分で引き受けないため、依存が強まりかねません。「マスクやワクチンが感染の脅威を『取り除いてくれる』」が動機になると、安心依存をやめられなくなってしまいます。

備えあれば憂いなしは「安心を自分の備えから生み出す」構造です。安心を自分の責任で育てるため、成熟につながります。「栄養のバランスを考えた食事や、充分な睡眠、適度な運動、適切な手洗いやうがいなどで『免疫力を高める』」など、自分の力を信じ養う姿勢です。それも単に「こう言われたから」だけでなく、自分の責任で取り入れ、やってみた結果「やはりこれが良かった」と自分で判断を下す態度に支えられています。

このことは、例えば同じ「健康維持のための運動」であっても、「この運動さえすれば安心」か、「この運動は私の健康維持の一環」かに動機が分かれます。自分に合うやり方を一定期間試す場合においても、「この運動は意味がない。効果がない。だからやめる」と「運動のせいにする」のが依存、「試してみたけれど、私には合っていなかった」「当初は楽しかったけれど飽きてしまったので、他の運動に取り組みたい」など、「自分が選び直す」が「自分で責任を育てる」態度です。主語が「運動」か「私」かになっているかで見分けがつきやすいでしょう。

この動機の差は、外側から見える行動だけでは中々判断しづらいものです。自分に主体の軸があるのが「備えあれば憂いなし」、「何かの方法、技術、モノや人などに寄り掛かる」のが安心依存と区別できるのではと思います。

外部依存が時には命を奪う例

脅威依存や安心依存は、「外側にあるもので自分を安心させようとする」外部依存と言い換えられるでしょう。この外部依存は、上述した通りあらゆる形を取って、私たちの心に忍び込み、そして中々氣づけません。また大多数の人は、それでも平時は極普通に暮らしているので、特にそれが誰かに迷惑をかけていなければ、「何が悪いの?」になるかもしれません。

ヴィクトール・フランクル「夜と霧」は、ユダヤ人強制収容所での過酷な生活を生き延びた、心理学者・精神科医の手記であり、全世界でロングセラーとなっています。その中に、ある囚人が夢のお告げで「1945年5月30日に解放される」と聴き、しかし現実はその通りにならず、5月29日に突然高熱で倒れ、翌々日の31日に発疹チフスであっけなく亡くなってしまった、という記述があります。

その囚人以外にも、1944年のクリスマスから新年にかけて、その収容所では大量の死者が出ました。先の例と同じで「クリスマスには解放されるだろう」の希望が打ち砕かれ、それが命すら奪ってしまったのです。

こうした「5月30日には解放される」「クリスマスには解放される」と自分の外側からやってくるものに希望を繋ぎたくなるのは、ごく自然な人情です。しかし、極限状態にあっては、こうした外部への依存が命取りにもなる、外部依存の怖さをよくよく肝に銘ずるべきという教訓のように思えてなりません。

「生きるべきWhyを知る者は人生の殆ど全てのHowに耐える」

「生きることに何の希望も持てない」極限状態でよりどころを失い、励ましも慰めも拒絶した囚人たちが口にした言葉です。フランクルは「私たちが生きることから何かを期待するのではなく(=人生に僥倖がもたらされるのを期待するのではなく)、生きることが私たちから何を期待しているのかが問題だ」と言っています。外側にあるもの(「クリスマスには解放される」と言ったことでさえ)に寄り掛かるのではなく、自分の内側から外側へ働きかける姿勢です。

「全ての状況はたったの一度、ふたつとないしかたで現象するのであり、そのたびに問いに対するたったひとつの、ふたつとない正しい『答え』だけを受け入れる」つまり私たちが一回きりの今、この時の状況にどう応答するのか、その責任を内在化しているかどうかが問われています。「言われたから」「皆がそうしてるから」「同調圧力が」と責任を外に置く姿勢とは正反対です。責任を外に置くのは楽ですが、「その瞬間、瞬間に、自分がどう応答し、選択するのか」の人生の問いには答えられません。

見出しに引用したニーチェの言葉「生きるべきWhyを知る者は人生の殆ど全てのHowに耐える」は、この「夜と霧」にも引用されています。そしてそれは、以下の記述に応用されています。

わたしたちは、おそらくこれまでどの時代の人間も知らなかった「人間」を知った。では、この人間とはなにものか。人間とはなにかをつねに決定する存在だ。人間とは、ガス室を発明した存在だ。しかし同時に、ガス室に入っても毅然として祈りのことばを口にする存在でもあるのだ。

不安は根源的な本能に根差す感情です。不安は生きている限り消えてはなくなりません。具体的な不安には一つ一つ対処する、多くの人はその能動性は大なり小なり身に着けているでしょう。しかしそれはまだ、技術的な範疇に留まります。

存在としての責任、自分はガス室を発明する側か、ガス室に毅然として祈りの言葉を口にして入っていく側か。言われるがままマスクをし、ワクチンを打つことに何の疑問も持たないか、「これは間違っている」とマスク一枚するしないかに、その時の自分の人生の集大成が現れるとするか。或いは「あの頃は深く考えず、自分で調べずに流されてしまったが、やはりあれは間違っていた。もう子や孫に同じ目に遭わせたくない」と今の時点で思えているかどうか。

誰に問われなくても、誰に氣づかれなくても、自分が応え続ける。それによって、不安は消えてはなくならなくても、外部に依存することからは自由になって行く。2020年からのコロナ騒動を経て、私はそのような感慨を抱いています。

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