残酷な言葉で傷つける親・独立心のある子供ほどスケープゴートに

残酷な言葉で傷つけることの罪深さ

身体的暴力はあってはならないことですが、残酷な言葉で傷つけることも、負けず劣らず罪深いです。子供に対しては尚更です。「体への暴力なら、他の人が氣づいたり、同情してくれたりする。しかし、親からの言葉の暴力は『まさか』と取り合ってくれない」と話して下さった方がいます。

残酷な言葉で傷つけるのにも、「馬鹿」「のろま」「臭い」「お前なんか死んでしまえ」などの明らかな暴言を吐く場合と、汚い言葉は使わない代わりに、もっと微妙な言い回しやからかいを装った残酷さで傷つける場合があります。私は後者の方が、実際にはよく起きているのではと推測しています。そして子供がその時は氣づけず、しかし深い傷は中年以後も残っているものです。

ある女性は高校生の時、夜帰宅すると既に両親と弟が食卓を囲んでいたのですが、父親が笑いながら「今、あんたの悪口を言っていたんや」と言ったそうです。当時は父親を信じ、愛していたので、反発する氣持ちさえ起こさず、そのままやり過ごしてしまいました。しかし40年以上経ってもその時のことが忘れられず、折に触れて思い出されるのは、トラウマになっている証です。

父親を諫めることなく、一緒になって悪口を言っていた母親、それを聞いていた弟。彼女は似たような出来事が何回か重なると、はっきりと意識はしなかったそうですが、もう親を信用しなくなったそうです。父親は外食やドライブに家族を連れだしては、「自分を良い親だと思っておきたい」を再々やっていましたが、娘の方は「本音では少しも楽しくなかった」そうです。何度も景色の良いところへ連れて行ってもらったのですが、「ほとんど記憶に残っていない」とのことでした。

彼女はその後、進学先や就職先を決める際も、一切親には相談せず、決まった後に事後報告をするだけになりました。

きょうだい間の分断工作

心が健全な親でも、自分がストレスが溜まっている時に子供が自分の思い通りに振舞わないと、八つ当たり氣味に怒ってしまうこともあるでしょう。その際、思わず強い言葉が出ることもあります。

しかしそのことと、上記のような例は明確に違います。家庭の中で居場所を失ってしまう言動であり、それは子供にとって、生殺与奪の行為です。だからこそ、忘れがたい心の傷になってしまいました。

このケースでは、親だけが子供をけなしているのではなく、弟も巻き込んでいます。このこともまた非常に罪深いです。

コントロールばかりする親:「兄弟を比較する親」のタイプ

このタイプの親は、ターゲットになる子供ひとりだけほかの兄弟姉妹と比較して叱り、親の要求に十分応えていないことを思い知らせようとする。よくもっとも独立心の強い子供がターゲットにされるが、これは子供たちが全員で団結して反抗しないための分断作戦のようなものだ。親のいうことを一番聞かない子供が家庭内の統率をいちばん乱すというわけである。

スーザン・フォワード「毒になる親 一生苦しむ子供」下線は足立による

上記の例の女性は、意識的に親の言うことを聞かなかったわけではないそうですが、弟よりも自立心・独立心・向上心が強かったそうです。中学・高校では目立つ存在で、成績もよく、先生方からも一目置かれていました。

心が健全な親なら、そのことを喜び、自慢に思います。しかし子供の成長を脅威と感じる親は、巧妙に子供の自尊心を傷つけます。

子供たちが団結して反抗しないための分断工作と共に、弟に対しては「お姉ちゃんのようになると、親から悪口を言われる。家の中で自分の居場所がなくなってしまう」見せしめになっています。独立心の強い子供をスケープゴートにしたのです。

「仕事ができる部下」を潰すパワハラ上司

そうした親も、口では「子供の自立を願っている」と言い、表面上は自分でもそう思っているでしょう。「そのために塾にも通わせてるし、学費を稼いでいるんだ」

子供からすれば、何故このようなことをするのか、不可解極まりありません。ですが、見出しの「仕事ができる部下」を潰すパワハラ上司と、動機においては相似形です。このパワハラ上司は、仕事ができない=自分にとって脅威にならない部下の内、自分に胡麻をすってくれ、言いなりになる部下を傍において重用します。腰巾着を自分から求めます。

そして真に仕事ができ、他の部下からの信頼が厚い人を脅威と捉え、無理難題を押し付けて潰してしまいます。そうやって非常に歪んだ支配欲と嫉妬心を満たそうとしています。

仕事の責任を遂行するという観点から見れば、全く逆行したことをやっています。大会社の一員なら他の人達がカバーできても、このようなパワハラ上司が社長だと、自分で自分の会社を潰すようなものです。

人間とは不合理な存在です。客観的に見れば自分で自分の首を締めるようなことをしても、憑りつかれた支配欲を満たす方が優先しています。このような例は、多くの人が直接間接問わず見聞きされているでしょう。

仕事であれば、自分にそれだけの地位や権限がないため、こうしたパワハラ行為はできなくても、我が子に対してはやりたい放題ができてしまいます。また職場のパワハラ行為が表面化した際には、自分も制裁を受けるリスクがありますが、子供に対してはそうしたリスクがありません。あるとすれば、子供が成人後に親を見捨てる時が来ることです。

こうしたパワハラ行為を、社会的制裁によって止めることはできたとしても、本人が自発的に悔い改めてやめることはほぼないでしょう。パワハラ上司には改心を期待しなくても、親には儚い望みを繋いでしまうのが子供の切なさであり、これがまた苦悩を深める一因になります。

「理想の親子関係」と「親の理想化」を分ける

悲しいことに、真面目で氣持ちの優しい、親を信じ愛する子供ほど、スケープゴートにされてしまいます。いじめに遭いやすいのは心優しく、「嫌なものは嫌だ」と言えない子供であるのと同じです。

そうした子供ほど、昔のTVドラマの「大草原の小さな家」のような、厚い信頼と愛情で固く結ばれた家族を理想としているかもしれません。そしてそのこと自体は、その人の価値観であり、何ら否定されるものではありません。

一方で、どんな子供も親を理想化して考える傾向があります。幼い時はどんな子供も、「僕の、私のお父さん、お母さんが世界一。世界で一番大好き」になります。心が健全な親は、このような無垢で見返りを求めない愛情を、子供から一途に注いでもらうことに感激し、自分も愛し返そうとします。他からは決して得られない愛情であり、「我が子に親にしてもらった」と、子育ての苦労を乗り越える原動力にできます。

この「親の理想化」は本能に組み込まれたものなのでしょう。しかしやはりそれは、現実をあるがままに見る態度ではありません。「自分は『大草原の小さな家」のような、理想の親子関係を得ている」と信じておきたいと、親の理想化をやめられません。そして支配欲に憑りつかれてしまった親は、この子供の「親の理想化」を実に巧妙に利用するのです。

ですから、自分にとっての「理想の親子関係」の価値観と、「親の理想化」を分けて考える必要があります。大人はバラ色の眼鏡で物事を見ていては、正しい判断選択ができず、結果大人としての責任が果たせないからです。

愛情を注がれた時の三種類の反応

親が自分を支配欲の道具にしていたと知るのは、誰にとっても心が非常に傷つき、「はい、そうですね」と簡単に認められるものではありません。怒り、悲しみ、失望、悔しさが噴き出すのが当然です。そしてそれもまた、心の癒しにとっては重要なプロセスです。肝心なことは、「怒りは向けるべき対象に向ける」ことです。それをしないと、無意識の内に、今度は自分がやりやすい相手を怒りのはけ口にしてしまうからです。それが自分自身に向かうことも、珍しくありません。

自分が注いだ無垢な愛情を利用され、踏みにじられた。このことに怒りを感じなくては、私たちは自分を守ることができません。

ところで見出しの通り、人が愛情を注がれた時、大きく分けて三種類の反応があります。

  1. 自分も同じように愛し返そうとする。
  2. 余裕がなかったり、まだ精神的に未熟なため、それが愛情とわからない。スルーしてしまう。
  3. これ幸いと利用する。「まだ足りない。もっと寄越せ。これしかないのか」威圧するだけでなく、底なし沼のように依存することも。

②は程度の差はあれ、ごく普通の自立心がある人でも経験があると思います。数年後に「あれこそが愛情だった。当時は私が未熟だったために、わからなかった」とわかる。こんな経験もお互い様です。ですので、②は「わかってくれないから」とばっさり切ってしまうのも、世知辛いかもしれません。

③はエネルギー・イーターとか、エナジー・バンパイヤなどとも言われます。会った後にぐったりする、頭痛がしたり、寝込んでしまったり、氣分が落ち込んだりします。一見感じが良い人が大変多いので、すぐにはわからないこともしばしばです。

私たちが付き合って良いのは、①と②の人達です。③の人達に対しては、引き下がる、距離を開けるがベストでしょう。自分の親が③だった、③かもしれない。子供としてこんな情けないことはないかもしれません。しかし、情けないのは相手であって、自分ではありません。

長い目で自己承認することが、分離自立の後押しに

親に対してはついつい「もしかしたら・・」と、捨てたつもりの期待をしてしまうものかもしれません。何度も期待を裏切られながら、「③の人達に期待してはいけない。きれいな愛情を注いでも、自分がボロボロにならないのは①と②の人だけ」と徐々に学習していくものなのでしょう。

心のことは、一度に学習しきれません。大切なことは、「一進一退はあっても、長い目で見れば、傷つきながらもその傷を学びに変えている」自分を承認できることです。この自己承認が、誰にとっても当たり前にはできない、親からの分離自立を後押ししてくれるでしょう。

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