恨みの感情を癒す5つのステップ・返報性の原理とは

中々消せない恨みの感情

「恨んでも仕方がない」
「復讐の連鎖はもっとひどいことになるだけ」
「だからこの恨みを消したい。でも消せない」

誰しも好き好んで、人を恨みたいわけではありません。心ある人ほどそうでしょう。小さなことだったり、遠い関係性の相手なら、「まあ、お互い様だし」「いつまでも根に持つ方が馬鹿らしい」と思えるかもしれません。しかし、自分の尊厳を傷つけられたこと、決定的に人生を狂わされたこと、また思い入れのある相手ほど、その恨みは中々消えません。

何故人は恨みの感情を抱くのでしょうか?そしてどのようにすれば、恨みの感情を癒せるのでしょうか・・・?

返報性の原理とは

ところで、人間の心理には「返報性の原理」があります。「お返ししたい、お返ししないと氣持ちが悪い」と反射的に感じる作用です。

試食販売などは、この返報性の原理を活用していると言われています。試食後、お店の人に愛想よく勧められると「何だか買わないと悪いような氣分になってしまう」、そうした心理です。こうした経験があると、試食においそれと手を出さなくなったという人もいるでしょう。

また、ある異性に好意を向けられると、余程相手を軽蔑しているとか、生理的に受け付けないとかでない限り、何となく相手のことを好きになってしまう。これも返報性の原理です。笑顔を向けられれば、こちらも自然と笑顔になるなど、人間関係の潤滑油にもなります。接客業の人達が、笑顔で愛想よくお客様に接するのも、返報性の原理の重要性を体感しているからです。

ナンパ師はこの原理を悪用しています。詐欺師が見るからに感じが良く、親切丁寧なのも同じです。悪魔ほど天使の仮面を被っているのはこの理由です。

よく自己啓発の本で「感謝しましょう。感謝が大事です」と書かれているのは、「受けた恩を『お返ししたくなる』、その行動を取りたくなるほどに、心から感謝しているか」ということです。言葉だけで感謝していても、「受けた恩をお返ししよう」と行動に移していなければ、その人は実際には大して感謝してはいません。

ポジティブな感情でもネガティブな感情でも、この原理は作用します。「ポジティブだからお返しして、ネガティブなものはお返ししない」などと、心、つまり潜在意識はそのような区別をつけません。

ですから、理不尽なことをされて傷ついた場合、「思い知らせてやりたい!」と恨みの感情を抱くのも、この返報性の原理のためです。つまり、その人の心が正常に機能している証拠です。相手が家族・肉親・恋人など、情が絡む上に失うのが辛い相手だと「可愛さ余って憎さ百倍」になるものでしょう。

返報性の原理は、人間だけでなく動物にもあります。猫の糞尿被害の防止のために猫除けをすると、却って猫に嫌がらせをされるなども返報性の原理です。即ち本能に根差すものですから、これだけを止めようとするのは不可能です。

後述しますが、恨みの感情を癒すには、この返報性の原理に沿うことが基本になります。

恨みの感情を癒す5つのステップ

返報性の原理について理解した後、どのようにして恨みの感情を癒していくか、5つのステップに分けて述べて行きます。

①しっかり感じ切る、感情を否定しない

恨みに思う感情そのものを否定すると、事実の否定や歪曲を自分からしてしまいかねません。そうすると、「何が正しくて何が間違っていたのか」の正しい判断ができなくなります。

私たちは良心を磨き、良心に基づいた判断選択をしていく責任がありますが、それは仏様のように何をされてもニコニコしていることではありません。②で述べますが、恨みが逆恨みになっていないか、そして正当な恨みであっても、報復の行為に出ないかが問われるのであって、私たちは生身の人間である以上、恨みを感じることもまた、避けられません。

愚痴を聴いてくれる人がいれば、相手の負担にならない範囲で聴いてもらいます。その際「実は私も○○さんには同じようなことをされてね・・」などと聞けると、それだけでホッとすることもあります。

人に話せるようなことではない場合は、紙やスマホやパソコンのメモに書きだします。どんな罵詈雑言になっても構わないので、自分の本音に正直になることの方が大切です。文章にするのが苦手な人は、枕やクッションを恨む相手と見立てて叩いたり、床に叩きつけるなど体を使います。車の中で一人で、相手に言ってやりたいことを叫んだり、紙を相手に見立ててビリビリに裂くなども良いかもしれません。要は「怒りの外在化」がまず必要で、感情が落ち着き始めたら、②以降の客観視の作業に移ります。

②自分の視点の低さや限界設定が曖昧ではなかったかを振り返る

恨みが自分の逆恨みになっていないかをまず振り返ります。特別にわがままな人でなくても、自分の視点が低かったり、限界設定を自分がせず、「No」を言わずに勝手にこちらが恨んでいる、ということもやはり起こります。

上司を理不尽と思うのは、あなたのレベルが低いから。

やり直しをさせられた方は「理不尽」と思うかもしれない。でも、それはレベルが低すぎてやり直しの理由を理解できないからよ。上の人から見れば、下のレベルは手に取るようにわかるもの。自分も歩んできた道だし、その間違いの正し方も知ってる。あなたが上司の意図を汲めるレベルに成長していないだけ。教える方はもっと苦しいのよ。自分の言ってることを、相手が絶対に理解できないと悟った上で教えるわけだから、言えば言うほど憎しみを買うかもしれないんだもの。

IKKO 「心の格言 200」

また限界設定を自分がしていないとは、例えば夜中のLINEのやり取りを自分から切り上げられず、つい寝不足になってしまったなどです。一度なら「つい、断りそこなって」と言い訳できても、二度三度と重なったら「ちゃんと言わずに逆恨みする方が悪い」になります。

③返報性の原理に沿って癒す-1:相対化する

感情を感じ切り、そして「自分の逆恨みではない」とわかったら、いよいよ本格的な、上述した返報性の原理に沿って癒す段階に入ります。

悩みの現実そのものは変わらなくても、見方を変え、自分の受け取り方が広がることによって、相対化されると恨む氣持ちが減ることがあります。上述した「私も○○さんに同じようなことをされてね・・」と聞くとホッとするのは、「自分だけではなかった」と孤独が癒されるのと、「あの人がそういう人。私が道義的に悪かったのではない」と客観視できるからです。

他にも見方を広げて相対化するとは、以下のような例が挙げられます。

  • 「相手は私だけでなく、他の人にも不誠実なことを繰り返している。腹は立つけれど、相手の人間性の問題で、私の問題ではない」
  • 「威張りたがるのは自信がないから。子供っぽい暴君にムキになるのも馬鹿らしい。こっちが大人になろう」
  • 「私の親の愛のなさは、その親からの連鎖で、彼らは加害者であると同時に被害者でもあった。だがそれにしても、自分の問題に向き合わず、無力で無知だった子供の私に理不尽なことをして腹いせしたのは、大人として情けない」

相対化して小さくとらえ直し、返報性の原理の作用を軽減しています。多くの人が自然にやっているのはこの相対化です。これには客観視と頭の体操が必要です。自分一人では難しい時は、成熟した視野の広い人に相談して、見方を広げる手伝いをしてもらうのも良いでしょう。

また、憎んで余りあった親が年老いて「かつてより小さく見える」と、「もう、いいかな」という氣持ちに自然になるのも、返報性の原理が弱まって来るからです。子供の頃は恐ろしく思えた近所の犬が、自分が大人になればどうということはなくなるのと相似形です。

④返報性の原理に沿って癒す-2:昇華する

事柄によっては「小さくとらえ直す」ことができないものもあります。コロナワクチンの薬害に遭った人々は、同じ被害者や支援者と繋がって、悩みを絶対化せず、共感し励まし合うことはできます。しかし、それをしたからと言って「小さくとらえ直す」のは不自然でしょう。

泣き寝入りせず、国に罪を認めさせたい、平たく言えば「仇を取りたい」その一心で恨みや憎しみを、国家による自国民の殺害に抗うための原動力にしています。日本は法治国家なので、結局は裁判になります。グルになっているメディアは報道しませんが、有志が主にSNSを使って知らせようとしています。こうしたことがなければ、知らないままの人も多かったでしょう。

ごあいさつ 当法人は、ワクチン接種後に身内を亡くされた方々、ワクチンハラスメントで苦しむ方々の相談窓口です。 また「繋ぐ…

悔しさをバネにして、「どうせ」で諦めず泣き寝入りしないのも、自分を大事にする心がなければできません。それを昇華と言います。返報性の原理を、もっと次元の高いエネルギーに変換することに使います。

日常的な例で言えば、上司にこっぴどく叱られた、悔しい思いを嫌がらせで返すのではなく、その上司に一目置かせる存在になろう、と発奮材料にするのも昇華です。

先の親の例だと、「自分は自分の子供に連鎖させまい」とするのも昇華です。

スペインのことわざに「幸福に生きることが最高の復讐」があります。このことわざは、単なる「見返してやれ」ではありません。「あの人のせいで私はこんなに不幸なんだ」の被害者意識を潔しとしない生き方です。傷つきはしたけれど、また様々な問題は今も解決の途上ではあるけれど、私は私を苦しめた人達の支配下にはもういない。これが最高の復讐です。

⑤「償いを免除する」赦し・境界線を引き直す

ここまでやってきても、やはり残る恨みもあります。自分の人生をめちゃくちゃにされた悔しさ、誰でもない親に、事あるごとに自尊心を踏みにじられた怒りが、普段は意識していなくても、全く消えてなくなるのもまた、不自然です。

恨む氣持ちを解消するために、「相手がやったことを許そう」とすると無理が生じます。軽微なミスや行き違いなど「まあ、お互い様だから」と目をつぶり合わないと誰も生きて行けないこととは、次元が違うからです。

この場合「相手がやったことを許す」のではなく、「償いを免除する」意味での赦しが大切になります。

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心からの謝罪と反省をしてほしい、その氣持ちは無理からぬものです。私たちは相手に働きかけることはできますし、それが必要な場面もあります。私たちは良かれ悪しかれ、互いに影響し合っています。事なかれ主義は波風は立ちませんが、不誠実であり、やはりごまかしに過ぎません。

しかし、相手の境界線を乗り越えて、相手の心を直接変えることは誰にもできません。神とその人だけの領域だからです。それをしようとすると、自分が無間地獄に陥ります。

大切な相手だからこそ率直な氣持ちを伝え、向き合ってもらう環境づくりまではできます。それでもなお、相手の改心と謝罪が自発的な行為でなければ無意味ですし、そうでなければ却って傷が深くなります。「とりあえず謝っておけ」「相手の機嫌をなだめておけ」では何の解決にもなりません。

借りを返してもらうことをやめる。環境づくりまではしても、心の変化は神とその人本人に任せる。その意味における赦しも、簡単なことではありませんが、最終的に私たちを解放してくれます。

強い信念の持ち主ほど、失望もまた深くなる。いきなり恨みを消そうとしない

自分の思い通りにならなかったから、幼稚な逆恨みをしているのではない、真剣に愛情を注げばこそ、裏切られたり、利用されたり、蔑ろにされた時に、激しい恨みを抱くものだと思います。

「見返りを求めない愛」とは、自ら縁の下の力持ちになり、それは誰にも氣づかれなくて良しとする態度です。上述したように「いいように利用されても怒らない」とは異なります。

「だって世間では」「みんなそうしてる」「言うこと聞くから飯食わせてください」思考停止して流されて生きている人には、損した得したで一喜一憂し、「私に良きにはからえ」の不平不満はあるかもしれません。しかし、尊厳を傷つけられたことへの激しい怒りや、恨みを感じることはそうそう起きないでしょう。強い信念の持ち主ほど、失望もまた深くなります。

「恨みを消す」「恨みをなくす」といった検索ワードが多いようです。しかし簡単に恨みは消せません。これまで見てきたとおり、一つ一つステップを踏んで、少しずつ癒していきます。そしてそれでもなお、消し切れない恨みもある。それを黙って抱えて生きる。それが神ならざる生身の人間が、真剣に生きる姿だと思います。

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第1回 自尊感情とは何か。何故大事か
第2回 全ての感情を受け止め、否定しないことの重要性
第3回 「何が嫌だったか」を自分に質問する。目的語を補う
第4回 期待通りに成らない現実を受け入れざるを得ない時
第5回 小さな一歩を踏み出す・最低限のラインを決める
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    自尊感情(self-esteem)とは「かけがえのなさ」。そのままの自分で、かけがえがないと思えてこそ、自分も他人も大切にできます。自尊感情を高め、人と比べない、自分にダメ出ししない、依存も支配も執着も、しない、させない、されない自分に。