セッションを受けて(人と比べる・人の目が氣になる・30代女性)

①弊社Pradoの心理セラピーを受けようと決めたきっかけはどのようなことでしたか?

子供の頃から自分に自信が持てず「平均の中にいれば何となく安心」「人と違ったことをするのが怖い、人の目が氣になる」という悩みが続いていました。

母には「そんなの氣にし過ぎ、誰もあんたのことなど何とも思ってないよ、みんな忙しいんだし」とよく言われました。母の言う通りで自分自身の考え方の問題ですから、どんなに環境を変えたところで何も変わりません。

Pradoのサイトには、色々な心の悩みについての詳しい記事がたくさん載っていて、どれも読みごたえがあり、なるほどと思いましたが、読んだだけでは自分の考え方がすぐには変わりませんでした。

一人で考えていても堂々巡りになるばかりだったので、思い切ってセッションを受けることにしました。

②セラピー・セッションの中で、印象に残ったものはどんなことでしたか?いくつでもお答えください。

初回セッション時、足立さんに「平均の中にいれば何となく安心」と言った時、

「○○さんがその言葉が口をついて出てくるのは、それで良いとはご自分でも思ってはいないからですね?それが問題だとは思わなければ、ここでわざわざお話しすることはないでしょう。一方で、『安心』と仰った通り、安心したような氣分にはなれるのでしょう。

つまり裏から言えば、今の〇〇さんは『平均の中にいない』ことを恐れておられる。『平均の中にいないと人の目が氣になってしまう』ということなんでしょう。だからと言って『平均の中にいる自分』で良いとは心底思えていない。そのジレンマが辛い、そういったことではないでしょうか」

と整理してくださいました。

そして「『平均の中にはいないけれど、安心していられる。人の目を氣にしていない自分』ってどんな自分か、何度でも自分に質問して、ゆっくり考えてみて下さいね。すぐに答えが出なくて構いません。○○さんならではのあり方に、結果的に落ち着いていきますし、それは言葉では言い表せないものかもしれません」

「平均の中にはいないけれど、安心していられる。人の目を氣にしていない自分」足立さんからそう言われた時、心が疼くような思いがしました。本当はそうしたかった。ずっとそうでありたかった。でも子供の頃、私が少々変わっていることで、仲間外れにされたり、悪口を言われて傷ついたことは、初回のセッションでは口に出せませんでした。

足立さんは初回の宿題として「『平均の中にはいないけれど、安心していられる。人の目を氣にしていない自分』を中々イメージがしづらければ『こんな風になれたらいいな』と思える人、モデルケースになる人を2、3人探してみて下さい。芸能人でもいいし、ドラマや小説、漫画の登場人物などフィクションでも構いません。勿論実際の知り合いでも。ある人のあり方に『いいな』と思うのは、共感すればこそで、それは自分の中にも似たような要素がやはりあるからなんです」というのを出してくれました。

足立さんは「モデルケースを探すのは、今の自分を否定して、別人になろうとすることでは決してありません。自分がどんなあり方に共感し、共鳴するのかを探すためです」と念押ししました。自分の頭の中で考えているだけではイメージしづらかったのですが、モデルケースを複数探すと、「何となく、こんな感じ」とわかりやすくなりました。

次回のセッションの際、宿題の結果として渡辺直美とIKKOを例に挙げると、足立さんは「私、IKKOさん大好きですよ。本も持ってます。凄い人ですよね」と共感してくださいました。また続けて「渡辺直美さんのことは余りよく知らないのですが、あの人も才能豊かな人ですし、何より努力が凄いですね。それはIKKOさんも同じですけど」

そして二人共「変わり者扱いされても、堂々として、そして周囲を楽しませ喜ばせる」ところに自分が共感したと氣づきました。そしてその時漸く、子供の頃に「変わってる」と言われて仲間外れにされたと打ち明けることができました。

足立さんは「そんなことで仲間外れにされるって、嫌だったでしょう。平均の中にいれば目立たず、目をつけられにくく、自分を守れると当時は思ったのかもしれませんね」その通りでした。まるでシマウマが叢の中に紛れて、天敵の目をごまかすかのようにしていたんだとわかりました。足立さんにそれを言うと「本当は自分はシマウマじゃないと心の底では感じ取っているから、苦しかったんじゃないですか?ずっと。『自分はシマウマだ』と心底納得していれば、悩んだりしませんから」

後から振り返ると、そんなことで仲間外れにする人達に立ち向かうでもなく、無視して氣にしないようにするのでもなく、そんな相手に妥協した自分が本当は一番嫌だったのだと思います。ただその時はそこまで言語化できませんでした。

そして足立さんはIKKOや渡辺直美の話に戻し「二人とも才能と天性の魅力がある人ですが、それにも増して努力が凄いですね。特にIKKOさんは素顔は決して美人ではありませんね。IKKOさん自身、『元がきれいな女の子は努力をしない』と苦言を呈していましたよ」

二人の自信は努力あってこそ、それは私もよくわかりました。ですがその時はまだまだ、「私にはあんな努力はできない」「あの二人は私とは違う。別世界の人」と思っていて、それは自分自身の努力から逃げる口実にしてしまっていることなど、考えもしませんでした。

「〇〇さんも、自分の好きなこと、やりたいことで何かを頑張ってみたことってないですか?」と尋ねられました。私は中途半端で投げ出す癖があり、それも自分では嫌でした。足立さんは「そうですか。それは勿体ないことをしましたね」とそれ以上責めるようなことは仰いませんでした。

「私たちは誰でも、たくさんのことをやれるようになってきているんですね。例えば、鉛筆を握って文字を書くことも、皆何度も練習してやっとできるようになりました。『小さい時のことなので覚えていない』かもしれませんが、大人になってから身に着けたこと、例えばパソコンのキーボードでブラインドタッチで文章を打つのも、最初から難なくやれる人はいません。仕事などで必要に迫られると、途中で投げ出すことはできませんから、やれるまで自ずと練習します。ですが自分でチャンレンジした実感が薄いので、やれるようになった途端に、こんなの当たり前と思ってしまうんでしょうね」

「チャレンジした実感が大事なのでしょうか?」と私が尋ねると

「それも勿論そうですし、あとは自分で選んでやったという実感がとても大事なんです。それが『自分はやればできる』という自己有能感につながりますから。『やらされた』ばかりだと中々真の自信にはなりづらいんです。『やらされ感』って、自分の納得とか、達成した喜びがないと、何かができるようになったところでそれっきりになりがちですね。ですから自信がついた実感に乏しいので、困難に直面した時、安易な選択をしがちなんです」

私が「平均の中にいれば目立たず、いじめの標的にならず、安心できる」と思っていたのも、自分を信じ切れずに安易な選択に逃げていたのだと今はよくわかります。

仕事だから仕方なくとか、人から言われてではなく、自分が心からやりたいことを改めてやってみようと決意したのは、その日のセッションの帰り道でした。家に帰って、途中で投げ出していた英語の音声教材を引っ張り出して、もう一度取り組み始めました。私は学校の勉強はそれ程得意ではなかったのですが、英語だけは好きで、海外の映画を字幕に頼らずに鑑賞できるようになりたいと思って始めたことでした。

以前の「何となく英語ができるようになりたい」動機から、「自分も何かこれをやり遂げたという実感が欲しい」と思って再び始めました。ですのでちょっと大げさかもしれませんが「これを投げ出してしまったら、もう後がない。私の人生は『途中で投げ出し』人生になってしまう」と背水の陣で取り組みました。そうすると、以前よりもずっと頭に染み入るようで、思った以上に早く上達していきました。

しばらくたつと、いきなり英語の音声が「頭で訳さずに」わかるようになりました。また「頭の中で日本語から英語に訳して話す」ではなく、「最初から英語で考えている」自分に驚きました。「音声教材だから英語が聞き取りやすいのかも」と思ったので、試しにYouTubeの英語の動画を聞いてみると、100%ではありませんがほぼほぼ「何を言っているのかわかる」状態になっていて、自分でも驚きました。

セッションの際、足立さんにそのことを報告するととても喜んで下さいました。そして「この『私はやればできる』という自己有能感が非常に重要なんです。今の日本は何でも便利になり過ぎて、昔と比べて自己有能感が育ちにくくなっています。また少々のことは辛抱する習慣もどんどんなくなっていますね。欲しい物は何でもポチれば、翌日か翌々日には自宅に届いてしまいます。私が子供の頃は一週間くらい待たないと届きませんでした。そうした忍耐を中々しなくなっていればこそ、『自分は少々の困難なら克服できる』実感を得られる機会を、意識して作る。それは誰でもなく自分のためにとても重要だと思いますよ」

相手あってのことだと、努力がいつでも実るわけではありません。でもそれ以前に、自分がやれること、やるべきことをやってきたのかどうか。それをまるで意識してなかったんだなあ、ただ流されて、忙しく仕事をこなすだけで毎日が過ぎ去って、それに何とも言えない疲労感を感じていた、と足立さんに告げると

「その疲労感は、ただ家でゴロゴロしたり、温泉につかって解消したりはしなかったでしょう。ただ流されていると、忙しくしていても何かを積み上げた実感に乏しく、虚しいものです。その虚しさが自分を更に疲れさせるんですね。私たちは嫌なことを、ついつい外側の物事のせいにしたくなります。そうしたものなんですけれど、やっぱり自分の心と向き合って、受け止め方や考え方を一つ一つ変えていくことも、時として必要です。葛藤は変化を生み出すためのエネルギーに使うんです。これがただ不平不満を言っているのと、葛藤することとの違いなんです」

私が背水の陣で英語教材に取り組んだのも、自分の葛藤のエネルギーを使ったんだなあと腑落ちしました。「このままでいいや」とか「どうせ」だと葛藤しませんね。悩んでいた自分を、「それでよかった」とやっと肯定できました。

そしてまた足立さんは「IKKOさんや渡辺直美さんの努力も、○○さんの努力と全く相似形なんです。勿論責任の重さやプレッシャーの大きさは私たちとは違うでしょう。でも今の○○さんなら、あの二人は別世界の人ではなく、ご自分と地続きなんだとわかるのではないでしょうか?」

初回の宿題の意味がやっと分かりました。注目度や責任の大きさ、才能やエネルギーには違いはありますが、困難から安易に逃げない自分を育てるという意味においては、そしてそれをするのは自分しかいないという意味においては、著名人であろうと、無名の庶民であっても同じで、人と比べて卑下したり安心したりするのは全く以て愚の骨頂だったと、やっと腑落ちしました。自分の人生の主人公は自分、IKKOや渡辺直美もそのように生きていて、世間一般で言われるような美貌を超えた魅力に、心を揺さぶられたんだと改めてわかりました。

③また、あえて最も心に残ったものを一つ挙げるとするなら何だったでしょうか?

そのような氣づきがあってからしばらくして、ふらっと書店に立ち寄った時のことです。私は実は格闘技が好きなのですが、周囲に同じ趣味の同性の友人はいませんし、何となく恥ずかしくてそれまで公言することはありませんでした。

しかしその時は、全く何も考えずに格闘技の雑誌のコーナーにそのまま歩いて行って、雑誌の立ち読みをしていました。そしてしばらく経ってから「あれ!?以前だったら『変な目で見られたらどうしよう』と氣にして、お目当ての雑誌だけサッと買って帰ってたのに、今は立ち読みしてる!」とその自分に驚きました。

周囲は男性客ばかりでしたが、私のことなど誰も氣にも留めていません。皆自分の関心事に意識が向いていて、余程目立つ格好をしていたり、大きな声でも出していない限り、他のお客さんのことなど眼中にありません。よくよく考えれば私もそうです。ごくたまに、「あれ!?珍しく女性客がいる」と思ったかのようにチラッとこちらを見る人もいましたが、それ以上のことはなく、すぐに自分の買い物に戻っていきます。

氣にしていた人の目は自分の目に過ぎなかったんだと、心底感じた一件でした。

そのことも足立さんに報告すると、足立さんは「良かったですね。人の目を氣にせず、平均の中から出て、そして安心していられる自分になりましたね。おめでとう」と言ってくださいました。

その日でセッションを卒業しても構わないけれど、どうなさいますか?と尋ねられましたが、ちょっとまだ自信がなかったのと、自分の心の変化をもう一度足立さんに聴いてもらいたい氣持ちがあり、もう一回セッションをうけました。そしてそこで、無事卒業になりました。

④弊社の心理セラピーを受ける前と、受けた後とで、変化したことは何だったでしょうか?

「ちょっと変わり者の自分」を受け入れることができたことが、最大の変化です。自分が受け入れてなかったから、「平均の中にいれば安心」をやってしまっていたんだと、今になるとよくわかります。

でも私程度の「変わっている」は、そう珍しいことでもなく、「皆大なり小なり変わっている」ことも、今はよくわかります。

そしていざと言う時に安易に逃げ出さないためにこそ、それ以前の日々の心のありようが大事で、勇氣のある人はその見えない努力を積んでいることもわかりました。中々大変なことではありますが、「いざという時」が来てから何かを始めようとしても遅く、それまで何を積み重ねたか、積み重ねて来なかったかが全部出てしまいます。

勿論誰かが変わっていようがいまいが、仲間外れやいじめをして良い理由にはなりません。でもそうされた時、相手に妥協したり迎合したりせず、毅然として立ち向かえたり、或いは今風に言えば完スルーして取り合わなかったり(それにも心の力、胆力が要ります)できるのは、それ以前の日々の過ごし方があればこそなんですね。それを怠けてしまうと、シマウマになってしまう(笑)んだと反省しています。

でも「私はシマウマじゃない!そんな生き方は嫌だ!」と心が叫んでいたのは他ならぬ私自身で、そう叫び続けてくれた自分にも、今は感謝しています。

⑤弊社の心理セラピーを受けるのを迷っている方に、メッセージをお願い致します。

足立さんは「私の心理セラピーは、例えて言うなら運動の習慣がなかった人が、5㎞、10㎞のマラソンを完走できるようになることです。目標はマラソンじゃなくても、駅の階段を息を切らさずに登れるでも良いんです。誰でもできる、でもやはりその人に合った正しいトレーニングを、ある程度の期間続ける必要はあります。そうでないと、いきなりマラソン大会に出たら怪我の元ですね。だけどごく普通の人なら大丈夫、やれる、というところを目指しています。自尊感情を高め、等身大の自分を大事にしながら生きるとは、こうしたことなんです」と仰っていました。

人と比べたり、人の目が氣になってしまうことに悩んでいる人は、私だけではないでしょう。でもその人ならではのやり方で、いつの間にか5㎞、10㎞を完走できる体力と技術が身に着いているのと同じように、いつの間にか人と比べず、人の目を氣にしないようになっていけます。

勿論、マラソンと同じで日々のトレーニングは必須です(笑)

私の感想に共感し、人と比べたり、人の目を氣にしたりすることに、限られた人生の時間を使ってしまいたくない方は、是非セッションを受けてみられてはと思います。

【音声版・自尊感情を高める習慣・6回コース】

1回約20分、6回コースの音声教材です。

第1回 自尊感情とは何か。何故大事か
第2回 全ての感情を受け止め、否定しないことの重要性
第3回 「何が嫌だったか」を自分に質問する。目的語を補う
第4回 期待通りに成らない現実を受け入れざるを得ない時
第5回 小さな一歩を踏み出す・最低限のラインを決める
第6回 人生が変わるのは知識ではなく氣づき

第1回目は無料で提供しています。まず一週間、毎日聴き、ワークに取り組んでみて下さい。その後更に日常の中で実践してみたくなったら、6回分の音声教材(税込5500円)をご購入下さい。

🔗第1回・要約・氣づきメモ

6回分ご購入をご希望の方は、以下のフォームよりお申し込み下さい。

    弊社よりメールにて、振込先口座をご連絡します。振込み手数料はお客様負担になります。入金確認後、6回分の音声教材とPDFが表示される限定公開のURLとパスワードをメールにてお送りします。

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    生きづらい貴方へ

    自尊感情(self-esteem)とは「かけがえのなさ」。そのままの自分で、かけがえがないと思えてこそ、自分も他人も大切にできます。自尊感情を高め、人と比べない、自分にダメ出ししない、依存も支配も執着も、しない、させない、されない自分に。