【ケーススタディ】子供の能力をこき下ろして優越感に浸る親

他人をこき下ろして優越感に浸る人が自分の親だと

世の中には様々な「困った人」「嫌な人」がいますが、他人をこき下ろして自分が優位に立とうとする人ほど、情けない思いがする人はいないかもしれません。

他人であれば「変に氣に入られたらえらいこと。できるだけ関わらないようにしよう」と距離を置けます。しかし、そういう人が自分の親だった場合、子供は非常に苦しみます。子供が格好のターゲットにされる上に、子供は中々その事実を認められないからです。

また、スーザン・フォワード「毒になる親 一生苦しむ子供」から事例を挙げます。

ある小さな建設機器販売会社を経営する43歳の男性は、私を訪ねてきた時はほとんどパニック状態だった。彼は最近、怒りが爆発すると自分がコントロールできなくなり、わめき散らしたり、ドアを叩きつけて閉めたり、壁を殴ったりするようになり、自分がさらに暴力的な人間になりそうで恐ろしいと言うのだ。

話を聞いてみると、彼もまた父親から事あるごとに軽んじられてきた人間だった。十八年前に父の会社で働き出し、二年前に父が引退して跡を継いだのだが、その後も父は事あるごとに彼の仕事ぶりに口を出した。彼は父親の承認を得ようと努力してきたのだが、父は息子の能力を認めたことがなかった。

彼の父親は、家業の商売を通じて彼に能力が足りないように感じさせ、それによって自分は優れているという満足感を保ってきたのである。彼はその後、少し時間はかかったが、父がいつの日か変わってくれたらという希望を捨てなければならないことを理解することができた。現在は、そのような父に対する対処の仕方をどう変えていくか、つまり、自分がどう変わればいいのかという課題に取り組んでいる。

スーザン・フォワード「毒になる親 一生苦しむ子供」

この男性クライアントが、子供の頃から自尊心を踏みにじられ、怒りが溜まりに溜まっていたのかがよくわかります。ただでさえ、親の跡を継いだ社長さんは、先代からの古参の社員や取引先に、内心であっても父親と比べられ、中々難しい立場に置かれます。父親は息子に継がせた以上は、余程のことでない限り口を出さず、息子の体面を傷つけないようにしないと経営そのものが上手くいきません。

彼の父親はその逆ばかりやりました。彼が子供の頃は、尚更だったでしょう。彼はわめくなどのやり方で、怒りを発散させていました。この怒りが内向すると、うつになったり、アトピーや喘息に出たりすることがあります。暴力的な行為を是認するわけでは決してありませんが、因果関係がわかりやすかったとも取れます。

「心配している」という隠れ蓑

露骨なこき下ろしは、心に深い傷を負わせる大変罪深いものです。一方で「そうとはわからない」こき下ろし方をしていることが、現実にはより多いでしょう。と言うのは、あからさまなこき下ろしは、「うちの親、こんなだけど、どう思う?」と友達に尋ねると驚かれ、結果「やっぱりうちの親はおかしい」と子供に警戒されかねないからです。

最も多いのは「心配している」という隠れ蓑です。親からそう言われて、何か違和感を感じてはいても、面と向かって歯向かえる子供はそうそういないでしょう。また友達も「親はいくつになっても子供を心配するものだから」とそれ以上深くは考えないでしょう。

しかし例えば、他人から何かにつけて「心配している。心配している」と言われたらどう思うでしょうか?自分が経営者だったとして、譬え業績が厳しい状態であっても、自分からその話題を振ったわけでもないのに「あなたの会社、大丈夫?」と訊かれたいでしょうか?「何、この人、失礼な」とプライドが傷つくのが当然です。内心「大変そうだな」とは思っても、相手から切り出されない限り何も言わないのがマナーです。

それが親だと、子供は「親が自分を巧妙にこき下ろしている。自分の能力を決して認めまいとしている」ことを、「はい、そうですね」とは受け入れられません。見て見ぬふりをしたり、「心配するのが親だから」と自分に言い聞かせたりします。

もし「うちの親は心配性だから」では片付けられない違和感があれば、以下の二点を振り返ると、ただの心配性か、心配を装ったこき下ろしかがはっきりするでしょう。

応援や励ましがあったか。力になろうとしたか

一番は、実際に応援したり、励ましたりしたかどうかです。それも口だけで「頑張れ」と言うだけでなく、さりげなく力になれることを探し、行動に移したかどうかです、人の本音は言葉ではなく、行動に現れます。

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どのように励ましてもらったり、力になってくれたら嬉しいか、自分に質問すると答えが導き出せます。

ある女性が中学生の時の話です。生徒会長選挙の立候補者を、クラスから一名出すことになっていて、クラスの悪ガキ連中が、或るからかわれやすい女子生徒を推薦して無理やり選挙に出させようとしました。勿論当の女子生徒は大変嫌がっていました。その時、この女性が見るに見かねて、「だったら私が立候補する」と手を挙げました。そのため、件の女子生徒が全校生徒の前でさらし者になることは避けられました。

この一件は、学校内でちょっとした噂になり、母親は、同じ学校に通っている別の生徒の母親から、この話を聞きました。この女性は、自分からは家の中でこの話はしませんでした。

「○○君のお母さんから、これこれだって聞いたけど、本当?」と母親が尋ね、そうだと答えると、母親は「ふーん。アンタは変わってる」と言ったそうです。この件以外にも、事あるごとに母親からは「アンタは変わってる」と言われていたので、「またか」くらいにその時は思ったそうですが、彼女が成人してから「あの態度はないだろう」と思い当たったそうです。

心ある親なら「よくやったね。もしあなたが手を挙げなかったら、彼女はどれほど傷ついたかわからないよ。もしかすると人間不信になって、学校へ行けなくなったとしても不思議ではないんだよ。大人になっても、窮地に立たされた人を見て見ぬ振りしないあなたでいなさいね」などと彼女の人格を承認し、励ますでしょう。

このような励まされ方をしてもらったことがないのに、口先だけで「心配している」と言われても、「何か変」と違和感を感じて当然です。

SOSを発した時に向き合ってくれたか

どんなに普段は「ほったらかされるくらいで丁度良い」と思うタイプの子供だったとしても、SOSを発する時は必ず来ます。子供がSOSを発した時の親の態度に、その親の愛情の真価が現れます。

以下は心が不健全な親が、その時取りがちな態度です。

  • 言い分を何も聞こうとせずに、「被害者意識が強い」「甘えだ」などと裁く。
  • 無視したり、無関心を装って氣づかぬふりをする。
  • 話をしようとしても、うるさそうにする。邪険にする。
  • 逆にやたら可哀そうがる。親身に同情されてるようだが、どんどん自分が惨めになる。

他にもあるかもしれません。いずれにせよ、真摯に、同じ目の高さで向き合おうとせず、「何でこんな面倒くさいことを言ってくるんだ」という態度を取られて、「心配している」と他の場面で言われても信じられないでしょう。この不信感が違和感の正体です。

子供は親を崇拝し続けなければならない⇒子供は非力であるべき

彼らは他人に対しては、自分が悪く思われたくないとか、仕事がしづらくなるといった理由で、こき下ろさなかったとしても、何故子供に対してはこのような情けない、品位に欠けた態度を取るのでしょうか・・・?

コントロールばかりする親の多くは、意識的にせよ無意識的にせよ、次のふたつの考えを抱いている傾向があります。

①子供は親の所有物である。
②子供は親に借りがある。(※足立注「育ててやってるんだから○○しろ、△△するな」)

(略)

彼らは子供の時に「親の愛が欲しければ、子供は頑張って親を喜ばせ、自分の力で獲得しなければならない」という考えのもとに育てられたため、自分の子供にも同じことを要求します。だから、「子供は親を敬うのが当たり前」と思うのです。

コントロールばかりする親のいる家では、親のニーズは愛情に優先します。彼らは子供が彼らを愛し、感謝し、賛美し、言うことを聞き、喜ばせることを必要とし、期待し、命じさえします。彼らがこのような考えを正当化できると思うのは、子供は自分の”所有物”だと信じているからです。

ダン・ニューハース「不幸にする親 人生を奪われる子供」太字、下線は足立による

コントロールばかりする親にとっては、子供は親を崇拝し続けなければならない⇒子供は非力であるべき、というロジックが成立します。これがこき下ろしの背景になっています。

この男性クライアントは、父親がこき下ろしていたようには、実際には能力は低くなかったでしょう。本当に能力がなければ、父親が大事な会社を継がせることはしなかったはずです。そしてクライアント本人も、その事実が本音ではわかっていればこそ、ジレンマに苦しんでいたのでしょう。

子供の頃、親から充分に注目され、承認されなかったと感じたら

「彼は父親の承認を得ようと努力してきた」とフォワードの引用文にあります。子供の頃に、親からの承認をどれだけ得たいかは、その子によって差があります。それほど頓着しない子もいれば、「見て見て!」と親から注目されたがり、「わあ!すごいね!」と称賛されたい子もいます。

未成年の子供が、親の承認を求めるのは当然のことです。また一方で、仕事は親の承認を得るためにするものではありません。彼は今の仕事で父親に認めさせようとするのではなく、「子供の頃、父親にどのように承認されたかったか」を、思い出せる場面にさかのぼり、子供の頃の自分に「言ってもらいたかった言葉」をかけてあげて、心の傷を癒す必要があるでしょう。

「どんな風に認めてもらいたかったか」は、誰でもなく自分自身が一番よくわかっています。

「その仕事は誰の何のため?」に立ち返る

「彼は父親の承認を得ようと努力してきた」は心情としては無理からぬものですが、社員の眼から見れば「うちの社長は先代の顔色ばかり窺ってる」になってしまいます。

ここで「その仕事は誰の何のため?」の基本に立ち返ります。まずは顧客満足、取引先との信頼関係、社員の成長や働き甲斐、これらで承認されるべきものでしょう。

仕事は結果が全てですが、心のありようは、プロセスにどんな心を込めているかです。「お客様に迷惑を掛けないように」と「お客様を喜ばせることをしよう」とでは、込める心が異なります。「ご迷惑を掛けないように」は誰でも思いますが、「喜ばせることをしよう、したい」と思う人はそう多くないのです。

このクライアントは、父親との相克に悩むあまり、お客様ではなく父親の方へ、意識が向いているように思えます。それを今一度「誰の何のために」に意識を向け直せれば、「父親の承認を得たい。でも得られない」の堂々巡りから抜け出せるでしょう。「見ているところが変わる」からです。

結果「うちの会社は顧客満足度が高い。競合他社と比べても遜色ない」と自他ともに認められれば、父親が何を言おうと、もう関係なくなります。

幼稚で邪な絡め手は通用しない大人に

あからさまにせよ、「心配を装って」にせよ、こき下ろして優越感に浸ろうとすることほど、幼稚で情けないものはありません。ただ、なまじ知恵が廻る親ほど、手口が巧妙になるので、うっかりすると絡めとられてしまいます。

「この人には幼稚で邪な絡め手は通用しない」そうした大人になっていくことが、最終的な解決のように思います。これも一朝一夕にはできません。しかし、そうありたい、そうあろうとすることは、誰にとっても今この瞬間からできるのです。

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