自尊感情を高める7つの習慣⑥ 大事にするべきことを大事にしているか

「正しい/正しくない」から「何が大事か」へ

私たちの心が深く傷つくのは、大事なものやことを傷つけられた時です。
「どうでもいい」とはある種の救いで、どうでもいいことには私たちは余り悩みません。

価値観のない人はいません。しかし多くの人は
「貴方は何を大事に生きていますか?」
と尋ねられても、通常即答できません。

これは価値観は、顕在意識(頭)ではなく潜在意識(心)のレベルのことだからです。
つまり人は、常日頃余り意識できていません。

人は自分が大事だと思っていること(客観的に見て、本当にそれが大事かどうかはまた別です)を、大事にできていない時に、フラストレーションを感じます。どんなに簡単でも、「どうしてこんなことしなくちゃならないの?」と思うことには中々手がつけられないものでしょう。
その反対に、少々大変でも「心からこれが大事だ」と思えるのならそう苦にはなりません。

楽が出来ること、嫌なことが起きないことが自尊感情を高めるわけではありません。またそれが人間の真の幸福でもありません。

「生きるべきWhyを知る者は、人生のほとんど全てのHowに耐える」

(V・E・フランクル「夜と霧」に引用されたニーチェの言葉)

人間の脳は「正しい/正しくない」のジャッジをしたがります。ある事柄が、道義的に正しいか、正しくないかの判断は必要です。私たちは決して、何をしてもいいわけではありません。しかし、「事柄ではなく、自分が『正しい/正しくない』」になると、「正解を求めてしまう」生き方になってしまいます。これが更に「間違いたくない」「失敗したくない」になり、思い切ったチャレンジができなくなります。

チャレンジができないとは、自信が持てないということです。そして「誰かに何とかしてほしい」「誰かに決めてもらって、自分はその後についていきたい。そうすれば正しくても間違っても、自分は責任を取らなくて済む」に陥ってしまいます。「自分は責任を取らなくて済む」の人が、他人から信頼されることはありません。

自分が「正しい/正しくない」から「何が大事か」の生き方にシフトすること。状況によって、また相手によっても「何が大事か」は刻々と変わります。

そして「何が大事か」の判断を瞬時に下せるためにこそ、自分の価値観を明確にしておく必要があります。

価値観が明確になると「ぶれない自分」に

また価値観は、その人のアイデンティティの土台になるものです。

能力や評価を得たら、自信がつくと考える人はとても多いです。しかしこれらは「失われうる」ものです。能力や評価に関係なく、「何を大事に生きているか」が明確な人が、真に自信のある、いわゆる「ぶれない」人なのです。

「ぶれない」とは頑固一徹とは異なります。刻々と変化する状況に応じて、判断と選択を下す柔軟性を持ち合わせた上での「ぶれない」です。

「ぶれない」とは自分のアイデンティティがゆるがないことです。あちらがこう言ったからあちらへ、こちらがそうしたからこちらへをしない、自分の外側の価値基準に振り回されないあり方です。それはあたかも、体幹が鍛えられればこそ、ふらふらせず、そして変幻自在に外敵に対応できる、武道の達人のようなものです。

かつてユニクロの柳井社長と、日本電産の永守社長が対談された時、最初から最後まで「好き嫌い」の話だったそうです。価値観とは「好き嫌い」でもあります。お二人のような立場にいる人は、日々重い決断の連続です。彼らの安くないお給料はその「決断代」です。

そしてお二人のような立場になると、A案B案C案のいずれも、最初から「これはダメだろう」と言うものは上がってこず、「やってみなければわからない」類のものになります。ですから結局、自分の「好き嫌い」で決断するしかなく、その感度を如何に磨いているかにかかってきます。

エゴではなく「大事なことを大事にする」生き方のために

柳井社長や永守社長のように、「自分は何が好きで何が嫌いか」「どんな価値観に沿って生きているか」「何を大事に生きているか」が明確になっている人は、そう多くはないようです。

価値観を明確にし続けるには、心の感度を上げる不断の習慣が必要です。つまり意識的に生きることです。これは誰かが成り代わってやってはくれません。

意識的に生きるとは、思考停止してボーっと生きる、誰かに判断をゆだねて自分はその後についていくという「楽な」生き方ではありません。習慣にならなければ、結構面倒くさいものです(「自尊感情を高める7つの習慣」は、習慣になるまではいずれも面倒くさいものです)。だからこそ、多くの人は「何が大事か」がわからなくなってしまっています。

① 心の感度を上げる/何に心が動いたか

価値観を明確にするためには、一つには冒頭に書いた通り「自分は何に心を動かされたか」に向き合い、考えることです。

価値観とは理屈抜きのこと、頭で考えて選ぶものではありません。嫌なことでも、素晴らしいと感じたことでも、それは自分の心が動いたことです。

肝心なことは、世間の眼よりも何よりも、君自身がまず、人間の立派さがどこにあるか、それを本当に君の魂で知ることだ。そうして、心底から、立派な人間になりたいという氣持ちを起こすことだ。

いいことをいいことだとし、悪いことを悪いことだとし、一つ一つ判断してゆくときにも、いつでも、君の胸からわき出てくるいきいきとした感情に貫かれていなくてはならない。北見君の口癖じゃあないが、「誰がなんていったってー」というくらいな、心の張りがなければならないんだ。

吉野源三郎「君たちはどう生きるか」

「世間での評価が高いから」「有名人だから」「成功しているから」ではなく、自分の心が「これは得難いことだ」「本当に立派な態度だ」、或いは逆に「みんなはこれがいい、この人がすごいと言うけれど、私はどうしてもそう思えない」と感じ取っているか、ということです。

①-補足:時間軸×心理的・社会的距離のマトリックス

価値観が目先の損得や、自分が傷つかなければ良いというエゴの発露であっては意味がありません。例えばお金は大事ですが「人を騙してでもお金が大事」ではモラルに欠けます。家族が大事と言っても「自分の家族さえ無事で幸せなら、よそのお子さんが学校で終日マスクをさせられたり、給食の黙食を強いられても関係ない。そんなことは政治家がどうにかすること。政治の話は聞きたくない」では、独りよがりとしか言いようがありません。政治に無関心な人はいつの世も多いですが、無関係な人は誰一人いません。

「大事なことを大事にしているか」は、以下の時間軸と社会的・心理的距離のマトリックスのどこに自分の意識が向いているかが、一つの指標になります。「目先の自己保身、自分可愛さ」という言い回しがある通り、このマトリックスの縦軸、横軸が小さい範囲にしか目が向いていないと、わが身可愛さのエゴに陥りかねません。犯罪は「これをやったら、後々自分がどうなるか」「家族親戚が、地獄の思いをする」等を考えてないからできることです。

真の信頼関係はこのマトリックスが広い人が築けます。「口ではいいことを言うけど、結局自分のことだけでしょう?」を人はどこかのタイミングで見抜くものです。

逆に「この世に他人事はない」「自分の今の選択が後世に必ず影響する」と腑落ちしている人は、マトリックス上の遠い地点に焦点が当たっています。つまり視野の広い人です。

念のためですが、世間体を初めとした評価評判は、「自分の」評価評判です。ですので、社会を氣にしているようですが、本当のところは自分のことしか考えていません。ベクトルが図とは逆の内側に向いています。

また勿論、自分や家族の健康や幸福に、氣を配らなくて良いわけではありません。世界情勢に関心はあっても、地域のボランティアには熱心でも、家族のことはほったらかしという例もあります。

マトリックスのベクトルが、自分自身から、家族、地域社会、世界全体へ、今この瞬間から、一年先、五年先、自分が死んだ後へと長く伸びていると、「大事なことを大事にできているか」はそう間違わないでしょう。

また、相手とどうにも話が噛み合わない場合は、このマトリックスを活用し、「相手の意識がどの地点に焦点が当たっているか」を想像すると、「今、この人に言っても話は伝わらないな」と判断できます。私たちはある程度、このマトリックス上の焦点が近い人同士でないと、中々話が通じず、大事なことを一緒にやるのは困難になります。

② 日々の優先順位づけを意識する

そしてもう一つは、日々の優先順位付けを意識することです。

私たちは自覚の有無にかかわらず、必ず何かと何かを天秤にかけて選んでいます。しぶしぶ、嫌々「させられた」と思ったことでも、「それよりも嫌なこと」よりもそちらを選んでいます。極論すれば、今生きているということは、「死ぬよりかはまし」なものを選び続けてきた、ということです。

部屋が散らかっていても、約束の時間に遅刻しない方が大事なら、部屋の片づけは後でする、こうしたことはたいていの人が自ずとやっています。

私たちの日常、そして人生は、大小無数の選択の連続です。この選択の際に「今のこの状況では、何を優先するのか」を意識すると、「日々自分が何を大事に生きているか」が明確になっていくでしょう。

レストランのウエイター、ウエイトレスさんが、どんなにお客さんが立て込んでも、あわてずに落ち着いて動き回れるのは、瞬間瞬間に「今は何を優先するべきか」を考えているからです。

「今入ってきたお客様を席へ案内するのか」「オーダーを取りに行くのか」「出来上がった料理を運ぶのか」「レジで会計をするのか」「お客様が帰った後のテーブルを片づけるのか」これらは、どれも大事な仕事で優劣はありません。しかし優先順位は刻々と変わります。

価値観を明確にする目的のひとつは、優先順位を明確にし、自分なりに納得できる選択をするためです。「ああ、あれもできてない、これもできていない」「できない私はダメだ」ではなく、「何もかも一遍にはできないけれど、納得した選択ができている」この納得感が「自分は自分でいい」という自己受容につながります。

自尊感情豊かに生きている人と、そうでない人の決定的な差は「大事にするべきことを、大事にしているか」「優先するべきことを優先しているか」の自分への質問の有無です。例えばどんな親御さんでも、口では「世間体より子供が大事だ」と言うでしょう。しかし実際にはそうなってない、そして子供が癒しようのない心の傷を負う例は、枚挙にいとまがありません。

関連記事

「子供である自分を親の世間体の道具にされた」癒されがたい傷自分の進学や就職、果ては結婚相手まで「親の世間体大事」で決められてしまった人は、「自分の人生を生きられなかった」悔しさが長い歳月を経ても残ることがあります。進学先の学校や、[…]

世間体とは虚栄心と自己保身、要はエゴなのですが、「大事にするべきことを、大事にしているか」の質問を自分にしていないと、もっともらしい言い訳をして、あっさりとエゴが動機になってしまいます。そして自分では氣づきません。
世間体だけでなく、「相手が必要としていないおせっかいを焼く」「見て見ぬふりをして面倒なことから逃げる」などもそうです。

②-補足:劣位順位を付けられるために「完璧な自分でなくてOK」

そしてまた、優先順位を付けるとは、裏から言えば劣位順位を付けることです。「(今は)これはやらない」順位が劣位順位です。

劣位順位を付けられるためには、「何もかもができる自分でなくていい」「完璧な自分でなくてOKだ」と思えていることが背景にあります。「私は全てにおいて完璧でなくてはならない!」だと、劣位順位は付けられず、そうなると優先順位も付けられません。「あれもやらなきゃ、これもやらなきゃ」に毎日毎日追われる日々になってしまいます。

また逆に、劣位順位即ち優先順位を付けるからこそ、「完璧な自分でなくてOKだ」になっていきます。

質と量、或いは質とスピード、どちらもできればそれに越したことはありませんが、状況によってはいずれかを優先せざるを得ないことも起きます。どちらかを犠牲にせざるを得ない時、「全てにおいて完璧にはできない」ことを受け入れるとともに、「どちらかを犠牲にしたこと」に責任を持つ態度が必要とされます。

ここでも、「自分の選択に責任を持つこと」抜きには、優先順位も劣位順位も付けられず、結果自分の価値観が不明確なままになってしまいます。

面倒なプロセスを歩むためにこそ「大事なことを大事に」

自尊感情を高める習慣③で述べた通り、目標を具体化して、プロセスに落とし込む作業が「これまでとは違う人生」のためには必須です。しかしそれは、誰もがわかっていて、中々やりません。つまり面倒くさいのです。

関連記事

心にとって目標は「あった方が良い」心理セラピー・セッションでは初回セッションの前に「セッション完了後どのような自分になっていたいかを、1~3つ考えて持ってきてください」とお伝えしています。つまり目標です。私は目標を持つべき[…]

面倒なことを、瞬時にやれるためにこそ「大事なことを大事にしているか」の生き方が問われます。

私の百貨店勤務時代、新人の頃に大変よく売る先輩がいました。その先輩は何をしていても、お客様を大事にする心の発露でした。ある時私にこう言われました。

「お客様は二度と戻ってこない人生の時間を、今目の前にいる私に費やして下さってる。だから大事にするのよ」

例えば売り場のご案内も、販売員の大事な仕事の一つです。私を含めた凡百の販売員は、例えば「取引先へ流す注文書のファックスの締め切り時間に間に合いそうにない」と、お客様が売り場を探している素振りを見せても、見て見ぬふりをしてファックスがある事務所へ急いでしまいます。

その先輩は違いました。自分から「どちらかお探しですか?」とお声がけし、ファックスか売り場へのご案内かいずれかを別の販売員に任せ、お客様を放っておかないのです。

そのお客様を大事にする心の現れとして、どんな仕事も蔑ろにしない、それで成績が悪くなるはずはありません。ただその先輩も、特別な人格者だとか、能力がずば抜けて高かったわけでもありません。多くの人から慕われてはいましたが、ごく普通の人だったと思います。
「大事にするべきことを大事にしているか」はこのように、誰にとっても人生に確実に違いをもたらすものなのです。

Amazonのリンクはこちら

【音声版・自尊感情を高める習慣・6回コース】

1回約20分、6回コースの音声教材です。

第1回 自尊感情とは何か。何故大事か
第2回 全ての感情を受け止め、否定しないことの重要性
第3回 「何が嫌だったか」を自分に質問する。目的語を補う
第4回 期待通りに成らない現実を受け入れざるを得ない時
第5回 小さな一歩を踏み出す・最低限のラインを決める
第6回 人生が変わるのは知識ではなく氣づき

第1回目は無料で提供しています。まず一週間、毎日聴き、ワークに取り組んでみて下さい。その後更に日常の中で実践してみたくなったら、6回分の音声教材(税込5500円)をご購入下さい。

🔗第1回・要約・氣づきメモ

6回分ご購入をご希望の方は、以下のフォームよりお申し込み下さい。

    弊社よりメールにて、振込先口座をご連絡します。振込み手数料はお客様負担になります。入金確認後、6回分の音声教材とPDFが表示される限定公開のURLとパスワードをメールにてお送りします。

    NO IMAGE

    生きづらい貴方へ

    自尊感情(self-esteem)とは「かけがえのなさ」。そのままの自分で、かけがえがないと思えてこそ、自分も他人も大切にできます。自尊感情を高め、人と比べない、自分にダメ出ししない、依存も支配も執着も、しない、させない、されない自分に。