コロナ茶番を終わらせるために・認知的不協和の不快に耐える力

「誰か『マスク外していいよ』って言ってよ」と思っていませんか?

コロナのインチキぶりとワクチンと言う名の生物兵器の詳細については、他でも散々言われていますので、ここでは割愛します。「コロナワクチンが危険な理由」については、以下のリンクをご参照ください。

note(ノート)

「コロナワクチンが危険な理由」 ※この記事は2021年6月8日に書いた最初の記事で、コロナワクチンの危険性に関する総括…

詳しく調べてはいない人でも、「ペストやエボラ出血熱のようなものではない」ことは体感的にわかっているはずです。そうでなければ、連休ごとに行楽地が満員御礼にはなっていませんし、緊急事態宣言下なのにオリンピック・パラリンピックが開催されることはないからです。

それなのに、2021年9月現在、外に一歩出れば99%の人がマスクをし、総人口の64%が、治験中、すなわち人体実験中のワクチンを接種しています。このこと自体がおかしい、間違っていると声を挙げている人は、ごくごく少数。多分0.1%程度でしょう。

コロナの嘘を薄々感じ取っていても、目をそらし、ただ何となくやり過ごしている人、マスクさえしておけばとりあえず人から非難されずに済む、いつか誰かが「マスクを外していいですよ」と言ってくれる日が来るだろう・・大多数の人はそんなところではないかと思います。

ですが、詐欺師が自分から「これは詐欺でした」と言うはずがありません。コロナの嘘を見抜いた人から、自分でマスクを外すしかないのです。自分が外さなければ、自分より立場の弱い人はもっと外せません。あまつさえワクチンパスポートの義務化の動きすらあるのに、ひたすら「誰かマスク外していいよって言ってよ~」と口を開けて待っている、自分が判断選択して責任を負いたくない、あなた任せの卑怯さのために、この幼稚な詐欺がいつまでたっても終わらないのです。

人目が気になってマスクを外せないという人が多いです。しかしマスクは感染予防にならないどころか、健康を害するだけだということを、一年半以上たっても調べ学んでいないのは単なる無知・不勉強です。そういう人が睨みつけてきても、「何でアタシがこんな不勉強な怠け者に合わせなきゃいけないのよ」と心の中で思って毅然としていればいいのです。

ちなみに私はどこでも(病院でも)ノーマスクですが、たまに鬱陶しい目でジロジロ見られるくらいで、いわゆるマスク警察に絡まれたことはありません。もし何か言われても「刑法223条の強要罪に当たります。今から110番通報します」と言い返す準備をしておいたら、向こうの方が目を伏せます。

認知的不協和の不快に耐える力

日本人はTV・新聞が嘘を言うはずがないと盲信し、メディアは洗脳装置であることに気づいていません。「大事なことなら報道されるだろう」いいえ、肝心なことは決して報道されません。TVが言っていることと現実がこれほど食い違ってるのに、頑なに認めまいとしているかのようです。

平和ボケと言えば平和ボケですが、日本人に限らず、人は悪を「なかったことにしたい。見て見ぬ振りしたい」という欲求はかなり根強くあるようです。

通常の社会生活では「平気で嘘をつく人」はおのずと排除されていきます。殊に職場ではチームワークが要求され、皆が力を合わせなければ事が進みません。余りに身勝手な嘘つきは誰からも信頼されません。ですから何となく「世界は信頼に足る人が守っていて、悪い奴は世界の端っこの方にいる」とイメージしているのかもしれません。

TV報道を信じ込んでいる人に、コロナのでたらめぶりを話しても、簡単に理解してもらえません。それは、理解し認めてしまうと、「安全安心で守られているはずの世界」が壊れるからです。安全安心を求めるのは誰もが持つ本能です。

裏から言えば、人間は恐怖に弱く、「それが正しいかどうか」よりも「安全安心を与えてくれそうなもの」に飛びついてしまいます。この世から詐欺師が消えないのは、人間のこの心理を巧みに利用する人が絶えないからです。

「事実は何か」を調べ理解し、より正しい選択をするには、認知的不協和の不快に耐えられなければなりません

認知的不協和とは、例えば「夫を愛し信じている妻が、他人から夫の浮気の証拠をどんなに突きつけられても認めまいとする」というようなことです。信じる方が脳にとってはたやすく快感で、疑う方が脳に負荷がかかります。高齢者の洗脳が解けにくいのは、疑って考える脳の機能が低下しているためでもあります。

コロナのインチキぶりを訴える人の方が狂人扱いされるのは、「夫の浮気の証拠を突き付けた方が非難される」ようなことです。「安全安心だったはずの私の世界を壊さないで!」・・まさに「知らぬが仏」です。夫婦の問題なら他人がとやかく言うことではありませんが、コロナの嘘は社会全体の未来にかかっています。だから、コロナの嘘に気づき、一刻も早く食い止めようとしている人は、陰謀論者扱いされ、友人を失っても声を挙げ続けているのです。

「悪に立ち向かうには勇気がいる。だから人々は悪を否定する」デニス・プラガー 

戦後日本人は、従順でおとなしく、言われたことに疑問を持たずに言いなりになる、支配者から見れば都合の良い、勇気のない人間になることを良しとされてきたようです。

大学生が自分たちだけオンライン授業を強いられ、たった一度しかないキャンパスの青春を取り上げられても、学生運動を起こそうとはしません。弊社の近くに某女子大がありますが、キャンパスの外でも学生さんは100%マスクをしています。「こんな茶番に付き合ってられるか!」と反発する学生さんはいないのでしょうか・・・?コロナ茶番ですら見抜けずに、何の最高学府なのでしょう?

勇気は自尊感情の中身の一つです。自尊の心がなければ勇気を持つことはできません。対して、自己保身は自己中心性から来ています。自己中と自尊感情の違いは、勇気の有無でも見分けられます。自己中な人はどんなに威張って見せても、卑怯です。卑怯とは、卑しく怯んだ状態のことです。

そして勇気を持たない「いい子」ほど、この騒動を仕掛けてきた側にとって、やりたい放題の存在はありません。

職場でワクチン接種の圧力をかけられても「地球上で最後の一人になっても接種はしません」「そもそも新型コロナウイルスって、存在証明されてないんですよ?」「ワクチン接種したって感染するし、他人にも移すと厚労省が言っていますし、重症化してるのは接種者だってご存じないんですか?」と仁王立ちして言い切れるようでないと、この難局は乗り切れません。「だって会社が」と自分の命のことなのに、人任せにしてしまいます。

また「この会社にいても、2年後には皆死んで会社ごとなくなる」と見切りをつけて、早い段階で退職し、何とかして生き延びる方途を模索するのも勇気です。勇気がないから「仕事だし仕方がない」と、命がなくなれば仕事もできないのに、そして何の根拠もない正常性バイアス(「自分だけは大丈夫」)で接種してしまう、勇気のなさが正常な判断選択を狂わせてしまいます。これは、いわゆる頭の良し悪しとは関係ありません。

人からどう思われるかを気にしてばかりいると、最悪殺されてしまいます。自分も家族も守れません。

「人々は自由よりも世話をしてもらうことを求める」デニス・プラガー

詐欺は騙す側だけでなく、騙される側も存在して成り立ちます。騙される側は「だってTVがそう言ってる」「だってみんながマスクしてる、ワクチン打ってる」の立ち位置から中々動こうとしません。

自由意思を貫き通すには責任を持つ必要があります。責任を持ちたくない人は「だって」になり、自分から奴隷になります。マスクは奴隷の象徴であることをご存じでしょうか?

そしてごくごく当たり前のことですが、健康管理は徹頭徹尾、その人本人がすることです。他人が風邪を引かないために、自分が有害でしかないマスクをしたり、ワクチンを打とうとするのは、「やってはいけない」ことなのです。まして他人に強要してはなりません。それは子供の宿題を親が代わってやってあげるようなものです。

「人に移さないためにマスクをしたりワクチンを打つ」のは優しさでも何でもありません。

マスクやワクチンを拒否することに、罪悪感を抱かせるのは人心操作の典型です。「いい子でいたい」「悪く思われたくない」と、そのことに嫌悪感すら抱けず「そうなのかな」と説得されてしまいます。

人が自分の問題課題を、自分で解決しようとせず、「誰かに何とかしてもらいたい」そうした厚かましさを全く持ち合わせない人はいません。依存とは厚かましいことなのです。大事なことは、自分の厚かましさを見て見ぬふりをしない、ごまかさないからこそ、「誰かの問題を自分が取り除いてあげようとする」(本当に人はしばしば「何とかしてあげたい!」でやってしまいます)ことをやめ「相手にやらせる」心の強さを養うことができます。

「責任が伴う自由より『誰かに何とかしてもらいたい』」この万人が持つ厚かましさ、依存、それをするからいつまでも自分に自信が持てない、自信が持てないからまた「誰かに何とかしてもらいたい」の悪循環に、この騒動を仕掛けた側は実に巧みに付け込んでいます。

今後始まるであろうデクラス(情報開示)に備えて

コロナ騒動に限らず、この世はいかに謀略に満ちていたか、それがまもなく暴かれる時がやってきます。911しかり、311しかり、1985年の日航機墜落事故しかりです。

童謡の「赤い靴」や「花いちもんめ」は子供の人身売買を語り継ぐものであり、それは現代においてなお行われてきたということ。誰もが名を知っているような権力者が加担してきたことなど、目を覆いたくなるような事実が近い将来開示される予定です。これをデクラス(情報開示)と言います。

このコロナ騒動も、20年以上前から計画されていました。「満を持して」仕掛けてきています。そうでなければ発生から一年経たないのに、ワクチンが開発・製造され、世界中で接種率をまるで競うかのように打ちまくり、ワクチンパスポートの話が持ち上がるなどあり得ません。

平和ボケしておきたい、無関心で「誰かが何とかしてくれる」夢の中で眠っていたい人たちは、デクラスが起きると耐えられないかもしれません。自殺してしまう人も少なくないと予想されています。

私のセッションでは、こうした社会問題ではなく、個人の人生史を扱っています。その中でも「自分が育ってきた家庭が、いかに偽善と自己保身に満ちていたか。嘘にまみれていたか」に、どんなに傷ついても目をそらさなかったクライアント様は、著しく成長します。それに年齢は関係ありません。

一方で偽善から抜け出せない人は、ずるずると同じことを繰り返します。

個人の問題も、社会の問題も、規模が違うだけで相似形です。

そのためにも、まずは自分をごまかさないことです。言い訳しながらマスクをするのをやめることです。つい言い訳したくなるのが人情ではあります。言い訳を全くしたことがない人はいないでしょう。ですが、言い訳をするたびに、必ず貴方の魂は曇り、汚れてしまいます。いい人で「あろうとすること」も同じです。それは打算であり、相手のためになっていません。

自分の魂が嘘とごまかしで薄汚れていては、悪に立ち向かう勇気は決して湧き上がりはしないのです。

【音声版・自尊感情を高める習慣・6回コース】

1回約20分、6回コースの音声教材です。

第1回 自尊感情とは何か。何故大事か
第2回 全ての感情を受け止め、否定しないことの重要性
第3回 「何が嫌だったか」を自分に質問する。目的語を補う
第4回 期待通りに成らない現実を受け入れざるを得ない時
第5回 小さな一歩を踏み出す・最低限のラインを決める
第6回 人生が変わるのは知識ではなく氣づき

第1回目は無料で提供しています。まず一週間、毎日聴き、ワークに取り組んでみて下さい。その後更に日常の中で実践してみたくなったら、6回分の音声教材(税込5500円)をご購入下さい。

🔗第1回・要約・氣づきメモ

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    生きづらい貴方へ

    自尊感情(self-esteem)とは「かけがえのなさ」。そのままの自分で、かけがえがないと思えてこそ、自分も他人も大切にできます。自尊感情を高め、人と比べない、自分にダメ出ししない、依存も支配も執着も、しない、させない、されない自分に。