宗方の挫折と岡との出会い
「エースをねらえ!」は1975年に、宗方仁の死を以って、一旦連載が終わっています。岡が宗方の死を知らないまま。
宗方がなぜ岡に心血を注いだコーチをしたのか、その背景に何があり、どのような思いがあったのかが、この作品の大きなテーマになっています。
宗方はテニス選手としてこれからという22歳の時、練習中のコートの中で倒れ、膝をひどく打って再起不能となります。その上悪性貧血のために余命三年と宣告されました。再起不能になった自分を嘆く宗方、そして彼を祖父が諭し励ますシーンがあります。
「一体何をしてきたんだ 俺は・・
ばかだった!
俺を捨てた男(宗方とお蘭の父)への憎しみで限りある時を無駄に過ごして
一度でいい 純粋な気持ちでプレイしたかったああ ばかだった!!
遅かった! なにもかもかなぐり捨てた心と体で コートいっぱい走りたかった」「遅くはない お前が生きてある限り
万人が迷いの中だ その迷いを断つ力をまた万人が持っている
学問でも 仕事でも 何か一つ命を賭けて己を無にして打ち込む道を得ればよい
迷いを解いた姿はもう神だ
その技は神技だ今のお前ならさぞかしみごとな試合ができただろう
体がきかぬなら 仁 選手を探せ
人にはふさわしい出会いがあるお前が真底打ち込める選手が どこかに必ずいるはずだ
早く探し出して育ててやれ」
宗方は自分が培ってきたすべてを、注ぎこめる相手を探す旅に出、そして岡に出会いました。ですから、宗方の岡への指導は、文字通り命がけでした。岡は宗方に全幅の信頼を寄せ、それに応えていきます。宗方の厳しい指導から、逃げ出すことなど爪の先ほども思い浮かばない、その姿勢は目立ちはしなくても、すでに非凡なことです。
「きらめくような命を込めて 二度とないこの一球を」
宗方の、岡への遺言とも取れる言葉があります。
おれが落ちた落とし穴にお前は落ちるな
この世の全てに終わりがあって
人生にも試合にも終わりがあって
いつとは知ることはできなくても
一日一日 一球一球
必ず確実にその終わりに近づいているのだだから きらめくような命を込めて
本当に二度とないこの一球を
精一杯打たねばならないのだ
宗方は「確実に終わりに近づいている」その一点だけを見つめていました。
しかし本当は誰もが、確実に終わりに近づいています。それを意識するしないにかかわらず。「きらめくような命を込めて 本当に二度とないこの一球を精一杯打つ」ことから、気を散らしているから、それから逃げているから、今は存在しない過去と未来に過剰に囚われ、失敗を恐れて「どうせ」と言い訳し、また失敗を生きた知恵にする代わりに「だって」とまた言い訳して、自分から不幸におぼれてしまいます。
ネットその他では「どうやったら愛されるか」、そればかり望んでいる、そうした姿勢が目につきます。「愛されたい」ではなく「ちやほやされたい」が本当のところでしょう。弊社のセッションでも、自身の問題解決が目的ではなく、私から「大変ですね」「かわいそうね」「すごいですね」を言ってもらうことだけを、ただひたすら待っている、ということもやはり起きます。
愛するとは命がけでやることです。「片手間の愛」「中途半端な愛」は言語矛盾です。
愛されるとは、命がけの愛を受け止めることです。そしてまた自分も命がけで生きることです。
本当は「命がけで愛されたい」のではなく、「ちやほやされたい」「『すごいですね』と言われたい」人は、他人から命がけにはなってもらえず、また仮に命がけになってもらえたとしても、その真剣さから自分が逃げ出します。誰もが宗方の心血を注いだコーチに耐えられるわけではありません。
そして「こいつはちやほやすれば食いついてくる」と考える人に、周囲がどんなに止めたとしても、自分から食いついてしまいます。
「エースをねらえ!」の真の主役は、宗方仁の生き方
宗方が岡を直にコーチできたのは、わずか2年ほどでした。岡は宗方の下で急成長し、三年生の時にはインターハイで優勝、高校生チャンピオンになったものの、テニス選手としてはまだこれからのまま、宗方は死んでいきます。
死期を悟った宗方は、藤堂貴之(岡の一年先輩の男子高校生チャンピオン。物語の最初から最後まで岡を誠実に愛し支える)だけを病室に呼び、すべてを打ち明け岡の今後を託します。
「悩みも苦しみも痛みも
一切が岡を育てられる自分を作ってくれた環境だと思えるようになったそして 求めず父を愛した母の一生もわかった
おれ自身がいつか同じように岡を愛していたから愛している 愛している 愛している!
これほど愛せる相手に巡り合えるとは思わなかった
生きてきてよかった!夢のようだ が この27年が人の80年に劣るとは思わない
岡を頼む」
宗方は一言も、岡の行く末が心配だとか、これから活躍するであろう姿を見られないのが残念だとかは言いませんでした。
岡が宗方を失う衝撃も、実はすでに計算に入っており、また、岡がそのどん底から這い上がり、けた違いの成長を遂げるであろうことも、確信していました。
しかし、宗方も神ならざる身です。岡を信じることはできても、未来に何が起きるかは宗方の手中にはありません。
岡の未来の業績を知ることよりも、見返りを求めず愛する相手に巡り合えたこと、「この27年が人の80年に劣るとは思わない」と言い切れる人生を生きられたこと、それ以上に価値のあることは宗方にはなかったのでしょう。
「エースをねらえ!」は3年後の1978年に連載が再開されます。
岡は宗方の死に大きな衝撃を受けますが、やがてそれを乗り越え、当時実在した女子プロテニスプレーヤーのキング夫人や、クリス・エバートらと対戦するまでになります。
物語の最終盤、お蝶夫人とお蘭(緑川蘭子)が岡について交わす以下の会話があります。
「あなたもあたくしもテニスが好きで
青春の情熱をテニス一筋にかけてきました
でも 緑川さん・・
あの素晴らしい宗方コーチの愛弟子と言えるのは
結局 岡ひろみただ一人だったと思いませんか」「ええ・・その通りです!」
「エースをねらえ!」の主人公は岡ひろみですが、真の主役は、限られた短い人生を、心血を注いで生ききった宗方仁の生き方そのもののように思います。