「エースをねらえ!」における恋愛の描かれ方
「エースをねらえ!」は少女漫画なので、ご多分に漏れず恋愛も盛り込まれています。しかし、少女漫画には珍しく、非常に抑えた筆致です。キスシーン一つありません。
恋愛感情に如何に人は振り回され、自分を見失うのか、或いは耐えて成長の機会にするのかを、作者は描こうとしているかのようです。恋愛はお金や権力と同じで、魔物です。
宝力冴子は岡と同い年の、他校のライバルとして登場します。
「ちょっとあなた! あたし宝力冴子 ねえ お友達にならない?
あたしのパパ 外交官 関東大会の時はオーストラリアに行ってたの
出れば優勝したかもよ あたし わりと強いのよね (宗方)コーチ紹介して あたし ああいうタイプ大好き!」
宝力は洞察力と行動力に富み、同い年の岡よりもずっと大人びて見えました。大変な自信家で、岡の次の試合の対戦相手について
「好きじゃないわ ああいうプレイ」
「でも・・うまいじゃない」
「うまいのと強いのと 違うでしょ」
とばっさり切り捨てます。
そうかと思えば、岡と接戦の末、負けた際にネット越しに岡と握手を交わしながら、笑顔でこう言います。
「おめでとう!」
「ありがとう 残念でした」
「ううん 全然残念じゃない 負け惜しみじゃないのよ ほんとうれしいのよ
日本でこんな同い年のライバルができるなんて 思ってもみなかった!
ステキよ あなた あなたみたいなプレイ大好き!」
岡も宝力のこのすがすがしい態度に「負けた相手をこんな風にほめられるなんて いい人だなあ」と感銘を受けます。
自信に満ち溢れ、怖いものは何もないかのような宝力でしたが、そんな彼女にも試練が訪れます。大学生と恋に落ち、テニスに身が入らなくなったのです。そのため、関東大会でシングルス、ダブルス共に、岡に惨敗を喫します。
そして宝力は、「彼が好きよ でもテニスには代えられない」と苦渋の決断を下しました。
その時々の限界をわきまえてこそ
一方、岡も以前から藤堂に恋をしていました。岡は宗方から「恋をしてもおぼれるな 一気に燃え上がり燃え尽きるような恋は決してするな!」と戒められます。
そして藤堂もまた、岡に思いを寄せていました。しかし宗方コーチから「男なら 女の成長を妨げるような愛し方はするな!」と止められます。藤堂は宗方の言葉に感動し、親友の尾崎に次のように感想を述べます。
「・・いい人だな 宗方さんは
止められるとばかり思ってたんだ
手を出すなと おれの愛弟子に近づくなと そう言われるとばかり思ってたんだどれほど心配で どれほど言いたいかわからないのに
彼女の気は乱すなよと その愛でより彼女が伸びるように愛していけよとまいった スケールが違う
おれは好きになったらはっきり好きだというのが男らしいと思ってた
彼女にもそう言おうと思ってただが・・見境もなく情熱をぶつけるのはわがままなんだな・・・」
愛のつもりで相手を振り回し、引っ掻き回す。相手の気を乱すだけ乱して、ただ関心を向けさせようとする。これは愛ではなくただのエゴです。恋愛に限らずどんな関係でも起こりうることです。相手の成長を妨げるようなら、それは愛ではないと宗方は言いたかったのでしょう。
ですから、宗方はただ単に、恋愛がテニスの邪魔になるから取り除こうとしたのではありません。
岡は宝力のつまずきを目の当たりにし、動揺します。そして雨の中を泣きながら、狂ったように宗方の家に駆けこみました。「自分もああなるのでは」と心配する岡に、宗方は
「藤堂とのふれあいを より大きなプレイにいかしていけるほど お前はまだ大人ではない
人は誰かを愛さずにはいられない それを無理に押し殺すことは 決していいとは思わない
お前が成長すればいいのだお前の精神力が恋愛感情を制御できるようになった時 そのときは 前にも言った もう何も言わない」
とやさしく寄り添いました。
その時その時の、限界を決して無視してはならない。恋愛が挫折の原因になるのではなく、今の自分の限界を無視して暴走することが、身の破滅を招くという、宗方流の戒めであり、愛だったのでしょう。
どんな人も「その時」の限界はあります。これをわきまえることが「あるがままの自分を受け入れる」ことです。そしてまた、「限界があるから仕方がない」で努力を放棄するのではなく、また限界のある自分をただいじめるのでもありません。そうやって自分をいじめるのは「人は誰もみな、神ならざる身なのだ」というわきまえが実はない、つまり思い上がっているからなのです。
今の限界を踏まえつつ、今できることを粛々と積み上げ成長していく、これが真に自分を大切にすることです。
動揺の涙を流しながら宗方の家へ駆けこんだ岡は、宗方の戒めと愛を心で感じ取り、今度は静かな涙を流します。そして宗方に寄り添われ、雨の中を静かな気持ちで帰っていきました。
恋が実っても、態度が変わらなかった岡と藤堂
岡はその後も、藤堂への思いに心が揺れ、人知れず涙を流すこともありました。しかしひそかに耐え続けます。
1年半後、ついに二人は宗方から「自覚に任せる」という許しを得ます。ただし岡も藤堂も、その二人の様子を見た先輩から
「やっと許可されたのに あまり変わらないね」
「まったく偉いよ どっちも」
と評されました。
真の王者は「勝ってもおごらず 負けても腐らず」です。許しを得たからと言って舞い上がって自分を見失っているうちは、宗方は二人の仲を許さなかったでしょう。
得た結果を次への励みや反省材料にするのではなく、自分を見失ったり、自分を責めて落ち込んだりしているうちは、それも凡人の性とは言え、品格のある態度とは言えません。まして他人を見下して安心してみたり、逆に卑下したり、要は他人と比較しているうちは、なおさらです。
そしてまた、「やっと許可されたのに変わらない」態度は目立ちません。
自分を成長させてくれる忍耐は、周囲からはわかりづらいものです。岡と藤堂が互いに魅かれあいつつ、その思いを胸に秘めて耐えていたことを知る者は、ごく少数でした。
誰にも気づかれない忍耐を黙ってやり続ける。人間の品位はここにあり、事をなすためにはこの誰にも気づかれない忍耐が不可欠なのだという作者の思想が、恋愛を通しても描かれているかのようです。