自分の人生から言い訳をして逃げられなくなる出会いとは

宗方を再起不能に追い込んだ、宗方の親友・桂大悟

「エースをねらえ!」は1975年に宗方の死を以って、一旦連載が終わっています。岡が宗方の死を知らないまま。

しかし、3年後の1978年に連載が再開されます。物語は宗方の死の直前、彼の後を引き継ぐことになる桂大悟の登場から始まります。

桂は宗方の無二の親友でしたが、二人は対照的です。宗方は人前で笑顔を見せることはほとんどありませんでしたが、桂は豪放磊落。陰と陽の二人ですが、根っこは同じでした。だからこそ、桂は宗方の死後、岡を育て上げることができたのでしょう。

物語は、宗方の死、呆然自失となる岡、その岡を桂が自分の寺に引き取り、共に修業させ、そして岡が再びラケットを握るようになるまで後半の1/4を費やしています。

この桂大悟は、劇的な生涯だった宗方よりも、物語の前面には余り出てこず、どちらかと言えば黒子的な役割を担っています。しかし、岡の復活のキーパーソンが宗教家であることに、作者の並々ならぬ意図があるようです。

桂は他の登場人物とは何か違うところを見ている、違う意識のあり方が随所に示唆されています。しかし、それが何なのかは明示されてはいません。読者にゆだねる作者の意図なのかもしれません。

桂大悟は宗方と同い年で、宗方とともに将来を嘱望されていたテニス選手でした。しかし、大学4年生の22歳の時、練習中に宗方に再起不能のけがを負わせてしまいます。桂はそのことで自分を激しく責めていました。

「おれが力んであんな球さえ打たなければ!
親友のくせに!ダブルスペアのくせに!!
ああ 仁!! おれの足をお前に渡せるものならば・・!!」

宗方は再起不能と同時に余命三年の宣告を受けます。そのため、自分のすべてを注ぎ込める選手を探し出し、育てる決意をしました。そして桂にこう打ち明けます。

「コーチになる!?」
「ああ だめになっちまったおれの体の代わりを探す どこかにいるはずだ おれの全てを受け入れる選手を探す
 大悟 途中からその選手を引き受けてくれないか」
「途中から?・・どういうことだ」
「2年や3年じゃ選手はものにならない」
「だ だからどういうことだよ!」
「フン 案外ポンコツだよな おれの体 あと3年もてばいいとこだとさ」

桂は宗方と約束を交わした直後、大学を退学し、永平寺に3年間修業のためにこもってしまいます。なまじな覚悟では、宗方の後を引き継げないと考えたためでしょう。

この3年間は、宗方はまだ岡と出会う前、岡がテニスを始める前のことでした。全国をしらみつぶしに探し回ったものの、思うような選手と巡り合えず、その間刻々と命は削られていきます。

宗方は絶望しそうになった時に、厳しい修行中の桂を思って自分を奮い立たせ、桂もまた、宗方との約束のために自分と向き合い続ける日々を送りました。

桂が永平寺を降りたころ、時を同じくして宗方は岡に出会いました。

人とは違うところを見ている桂大悟の意識のあり方

上述したように、桂は他の登場人物とは何か違うところを見ているかのようです。

私たちは世界の全てを意識することはできません。世界の一部を意識が切り取り、切り取った世界を見て聞いて感じています。そして、否が応でも意識が切り取った世界の中に入ってしまいます。

事を為す人は、他人よりも特別長時間働いたり、やみくもに行動しているわけではありません。どこに意識を向けているか、そして意識が「これが大事だ」と感じ取ったことを、事の大小にかかわらず実践しているか、人生はこれで決まるといっても過言ではありません。

桂の、「他の登場人物とは何か違うところを見ている」この特徴は、岡が当時の女子テニス界のトップに君臨していたキング夫人と対戦する際に顕著に現れます。

ビリー・ジーン・キング夫人

大会は日本で行われ、その対戦抽選会で、岡は第一シードのキング夫人と当たることになります。その時、一瞬動揺した表情を浮かべるお蝶夫人やレイノルズコーチ、そして大騒ぎになる報道陣が描かれます。

しかし、その電話を受けた桂は、桂の寺の境内で仲間とともに雪合戦に興じている岡に、心の中で

「そうだ岡
その生き生きした明るさで 試合にのぞむんだ!」

と語りかけます。その表情には一点の曇りもありませんでした。

また試合直前には、岡に対して次のように話します。

「スポーツじゃあ『勝つと自信がつく 負けると勉強になる』っていうんだ どっちもいいものなんだ

ただし 勝ちざま負けざまってものがある
悪く勝ちゃ慢心する 悪く負けりゃ卑屈になる これが勝負の鉄則だ

いい試合をすることだ・・・」

そしてキング夫人との対戦中も、興奮気味の先輩たちと違い、桂の冷静な横顔とモノローグが挿入されているだけでした。

「がんばれ 岡
テニス界の王者(キング)と1秒でも長く打ち合っておけ!」

岡はこの試合でキング夫人に負けます。この作品はスポーツ漫画には珍しく、主人公が負けるシーンが多いです。

岡は

「情けない!なんてみっともない負け方!ひとりきりの代表だったのに!
勝てるなんて思っちゃいなかった 
だけど なぜ初めからベストを尽くせなかったんだろう!」

とひとり悔し涙を流しました。

王者に心で出会ってしまった者は、言い訳をして逃げられない

しかし、桂はこの時も、岡を叱るでも慰めるでもなく、「よう 来たか」と普段通りの淡々とした表情でした。

そして対戦翌日、岡に

「きのうさ (試合後の)握手の時キング夫人お前さんに何言ったんだい?」

「はい 『17歳で初めてウィンブルドンに出た時にね わたしも1回戦で負けたのよ ひろみ』って」

「さすがだな お前さんにも輝かしい可能性のあることを言ってくれたんだ わかるかい?
10余年前 初めてのひのき舞台でさんざんに負けた少女プレーヤーが 厳しい道を極めつくして 今 世界最高峰として立っている
そして 世界中の若手プレイヤーに呼び掛けているんだ」

(キング夫人のイメージ画)『こっちへいらっしゃい! ここまで来なさい!』

スポーツや仕事では、当然結果が問われます。しかしそれも、中身、すなわち心の在り方が伴わなければ何の意味もありません。

悪く勝って慢心し、人気に驕り、道を踏み外して転落してしまう、そうした誘惑はどんな人にも忍び寄ります。有名無名問わず、そうした生き方の例を、ある程度の年齢になれば人は否が応でも知っていきます。

まただからと言って、最初から卑屈になって挑戦から逃げるのも、結局は同じ事です。そしていずれも、他人はそれを止めることはできません。

宗方は単に、自己満足で、自分のコピーとして岡を育てたのではありません。挫折を味わったからこそ得た境地を、体現できる選手がテニス界のために是非とも必要だと考えたからです。

桂も同じ使命感を持てばこそ、岡に厳しい指導ができました。その様はお蝶夫人に「とにかく練習がキツイのです 藤堂さん 宗方コーチの時よりずっとキツイのです!」と言わしめたほどでした。宗方コーチの指導も、岡が吐いて気絶するまでだったにもかかわらず(勿論今ではそんな指導法は取られないと思われますが)。

厳しい指導を受けるのも辛いですが、指導する方がもっと辛いです。しかし宗方も桂も、その辛さを表に出すことは決してありませんでした。真の指導者とはそうしたものでしょう。

そして、中身が伴った王者(キング)でなければ、誰がそれを仰ぎ見、自分も厳しい道を極めようと思うでしょう。そしてまた、そうした王者に心で出会ってしまった者は、言い訳をして逃げることができなくなります。

勿論そうは言っても、自ら心を盲目にして、王者を目の前にしても出会えない、出会うまいとする人も、残念ながら少なくはありません。

桂の「がんばれ 岡 テニス界の王者(キング)と1秒でも長く打ち合っておけ!」の言葉は、岡ひとりのためだけではなかったのだと思います。

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