失敗を恐れる3つの原因・挑戦し自己を確立するために

原因③「結果をコントロールしたくなる」自己中心性

「世界は自分が考えたとおりにあるべきだ」の自己中心性

失敗を恐れるとは、結果を恐れている、ということです。結果が全く気にならないのは寧ろ不自然ですし、気になればこそ、精一杯の努力もします。

しかし「もし失敗したら、うまくいかなかったらどうしよう」が延々と頭から離れないのは、「望まない結果になるのが受け入れられない」「世界は自分が考えたとおりにあるべきだ」の自己中心性のためでもあります。

自己中心性とは単なるわがままではありません。自分が望むものだけが欲しい、望まないものは欲しくない、それは自然と言えば自然ですが、現実はそうなっていません。どんな人にもこうした自己中心性がある、自分も決して例外ではないという自覚を持つことが第一歩となります。

この自己中心性を脱していくためには、「望まないことは起きて当然」と現実を受け入れていくことが必要です。これには痛みが伴います。

そして「望まないことは起きて当然」の態度が、少々のことでは投げ出さない忍耐力の基礎になります。嫌なことをしぶしぶ嫌々する我慢ではなく、投げ出さない粘り強さの忍耐力に乏しいと、失敗を恐れ、挑戦しなくなってしまいます。

例えば、昨今自然災害が多発しています。誰しも災害が起きることは望みません。しかし、「もし災害が起きたらどうしよう。起きてほしくない」と誰にもどうにもできない結果をコントロールしようとするより、「災害は起こるもの。自分も被害に遭う可能性は避けれらない」と腹をくくって対処するのが、責任ある大人の態度でしょう。

これは災害に限ったことではありません。人間関係でも仕事でも「望まないことは起きて当然」です。その前提の上で、予防できることは予防する、その不断の努力をすること、つまりは、「失敗するかしないか」ではなく「失敗はするもの」という前提に立てばこそ、失敗を恐れなくなります。

サーブを打つ工夫はできるが、サーブが入るかどうかはコントロールできない

私たちはプロセスと、そして起きた結果から何を学ぶかは、自分次第でコントロールできます。

テニスでサーブをする時、サーブが入らないことを望む人はいません。しかし、サーブが入るかどうかは、ジョコビッチも大坂なおみもコントロールできません。

どのタイミングでどうやってトスを上げるか、しっかりボールを見て、腰や腕の使い方をどうするのか、そのプロセスを工夫することはできます。ジョコビッチも、一テニス愛好家も、やれることは実は同じです。

「やれることは実は同じ」これが腑に落ちると、自分もジョコビッチも、同じ道の上に立っていることがわかります。勿論ジョコビッチの方が、より長いプロセスを歩んでいるでしょう。それに対するリスペクトはしても、「あの人は特別だから、天才だから」を言わなくなります。というよりも、言えなくなります。

同じ道の上に立っている、その道を歩むか歩まないかだけで、全員違うユニークさや、限界はそれぞれにあっても、「特別だから私とは違う(だから私は努力しなくてもいい)」人は存在しません。

できることは準備と工夫と学びだけ・PDCAサイクル

私たちは誰ひとり、結果をコントロールできません。できることは準備と創意工夫と、上手くいってもいかなくても、結果から学び次に生かすことだけです。

昔から言われているPDCAサイクルは、仕事のやり方だけではなく日々の生き方そのものです。

PDCAサイクルを回すには、自主性が不可欠です。PDCAサイクルにのっとって日々を生きると、「だってあの人が○○するから/してくれないから」「どうせ私はダメだから」の責任転嫁や自己卑下ができなくなります。

「だって」「どうせ」を言っている間は、どんな人であっても、何も変わりません。10年間のセラピー・セッションを通じて痛感しています。

責任転嫁や自己卑下をして逃げるのは、その時は楽です。いずれにせよ「私は正しい被害者」のポジションを得られます。いわゆる「不幸好き」な人は「正しい被害者ポジション」を失いたくない人とも言えるでしょう。

そしてまた失敗を恐れてしまうと、Dばかりやる、やりっぱなし、やることに振り回されっぱなしになり、どんなに動き回っていても積み上げにはなりません。毎日へとへとになるまで「頑張っているのに」自信が持てないのは、PDCAサイクルになっていないからなのです。

「失敗か成功か」から「いかに小さな失敗の内に修正できるか」へ

問題が小さいうちに行動を起こして対処する人は、不幸が嫌いなんです。我慢ではなく工夫が好きなんです。
問題が大きくなるまで行動しない人は、不幸が好きなんです。我慢が好きで、工夫や行動は嫌いなんです。 斉藤一人

不幸が嫌いな人、裏から言えば幸福が好きな人は、ただ幸福を口を開けて待っている人のことではありません。「問題が小さな内に」「小さなほころびの内に」すぐに腰を上げてほころびを繕ってしまう人のことです。

或いは、転びそうになった時に、上手に受け身を取って、回復可能なかすり傷にとどめる工夫をする人のことです。生きていれば傷を負うことは避けられません。腕一本もがれてしまうのか、回復できる傷にとどめる工夫をするのかの差です。その工夫は自分しかできません。

例えば、舞台俳優がセリフを間違えるなどの失敗をしても、「お客様に気づかれない内に」電光石火で立て直す、或いは、それさえ笑いに変えてお客様を動揺させないようにするようなことです。舞台上の失敗はないに越したことはありません。しかし「絶対に失敗したくない!」では、誰も舞台には立てません。

ヒヤリハットの法則

災害防止のゴッドファーザーと呼ばれたアメリカのハーバート・ウィリアム・ハインリッヒによる「ヒヤリハットの法則」があります。これは1件の重大な事故の背景には29件の軽微な事故があり、更に300件の事故に至らない「ヒヤリハット」の事例がある、と言う法則です。「ヒヤリハット」とは文字通り「ヒヤリとした」「ハッとした」「でも大事に至らなくて良かった」例です。

「ヒヤリハット」を隠ぺいせず、こまめに報告させ、対策を講じることにより、より大きな事故を防いでいくという考え方です。建設や公共交通など、労働災害が起こりやすい仕事に携わっている方なら、実践されているかと思います。

これには「人間はミスをするもの。完璧はありえない」という背景があり、ミスそのものを罰しないことが運用のカギになります。

この考え方は、労働災害とは無縁の人にも応用できます。というよりも、卓越している人は自ずと、このヒヤリハットの法則にのっとった対処を実践している筈なのです。

失敗=自分を否定された/行動や結果と自己認識の区別を

失敗を恐れる人の中には、「失敗=自分を否定された」と捉えている人が少なくありません。就活や営業で断られると「その会社との縁がなかった」「商品やサービスが『いらない』と言われた」と思えずに、「自分自身がダメだと言われた」と思い込んでしまうタイプです。

或いは、行動や態度を注意されただけなのに、全人格を否定されたかのように落ち込んだり、逆切れしたりするのも同じです。

失敗は結果であり、下のニューロロジカルレベルの図では「環境」に当たります。自分自身を作るのは、このニューロロジカルレベルの三角形ですが、下のレベルになればなるほど、当然ですが数が多くなります。

失敗を恐れない人は、失敗は無数の「環境」もしくは「行動」の一つに過ぎない、と捉えています。だからこそ、失敗しても自分自身を否定はしません。その代り、この無数の行動の集積が自己認識(自分はどういう人間か)に影響を及ぼすことがわかっているので、すぐに行動を改める「反省」ができます。

挑戦とは、今できる小さなことから始めること

挑戦というと、何か大きなことに立ち向かっていくというイメージがあるかもしれません。結果的に大きな事を成し遂げた人であっても、今できることは何かを自分に問い、その小さなことから始めています。この小さな一歩を軽んじない人が、挑戦する人です。

自尊感情を高める生き方とは、小事を大事にすること、小事に渾身の自分を込める、そのことそのものが喜びであり、報酬であるという生き方です。

報われればうれしいし、報われなければ寂しい思いをするのは人情です。それでもなお、「報われなければしない」では、取引でしかなく、そこに自分に対する愛情はありません。そしてまた、逃げずに挑戦した自分は、結果がどうあれ、誰も知らなくても存在しています。

そして、責任放棄と思考停止と自己卑下に逃げ続ける人生か、挑戦することをやめない人生か、どちらを選ぶかは自分にしか決められません。

無料ステップメール「自分を大切にする7日間のレッスン」

自尊感情を高めるとは、自分を大切にすることと言い換えても良いでしょう。
「でも、具体的に何から始めたらいいの・・・?」の声にお応えして7日間のレッスンにまとめました。

《レッスンの一例》

● 体の声は心の声・体の状態に耳を傾ける
● 望まない人間関係に心の中で「No」を言う
● 「今・ここ」を生きるための自分への質問

Pradoの心理セラピー・セッションでお伝えしている内容を含んでいます。

どんな自分も否定せず、そのまま見て、耳を傾けることで「生きやすさ」は増していきます。
自分を大切にすることで、打たれ強く、柔軟で、ぶれない心を・・・!

 

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生きづらい貴方へ

自尊感情(self-esteem)とは「かけがえのなさ」。そのままの自分で、かけがえがないと思えてこそ、自分も他人も大切にできます。自尊感情を高め、人と比べない、自分にダメ出ししない、依存も支配も執着も、しない、させない、されない自分に。