失敗を恐れる3つの原因・挑戦し自己を確立するために

「失敗が怖い」で挑戦から逃げると、自己を確立できない

大変多いご相談の一つに「失敗が怖い」があります。

「もし失敗したらどうしよう」
「上手くいかなかったらどうしよう」
「人からどう思われるだろう」

しかしこれらには、あらかじめ答えはありません。どんなことも「やってみなければわからない」のです。

「やってみなければわからない」からやる
「やってみなければわからない」からやらない(「どうせ無駄」「ダメに決まってる」「前例がない」)

大雑把に言ってしまえば、人間の生き方にはこの二通りしかないのかもしれません。ただこれも一生固定されたものではなく、失敗が怖くて挑戦できなかったクライアント様でも、地道な取り組みの結果「『やってみないとわからない』からやる」に変わっていかれます。

もっとも、綿密な調査や予測の元に「やらない」選択も時には重要です。蛮勇が良いわけでは決してありません。ただ「やらない」根拠が、「やってみなければわからない」からでは、何の発展も成長もありません。

私たちは自分が何者であるかを、外側の現実という鏡に映してようやく知ることができます。部屋の中でじっと座っていても、自分がどんな人間かはわかりません。

自分の意志でやることを選択してこそ、そのフィードバックを得て自分自身を知っていきます。自分は何が好きで、何が大事で(価値・信念)、何ができて、何ができないのか(能力)を選択と行動を通して知って(環境)いきます。「あの人がやれと言ったから」では、上手くいっても自信にはならず、上手くいかなくても反省し次への糧にしようとはしません。

ですから、「『やってみなければわからない』からやらない」「誰かに決めてもらってその通りにしておく」は、その時は楽ができるようでも、繰り返せば繰り返すほど、自分が何者かがわからなくなってしまいます。自分ではない「決めてもらった誰か」の人生を生きることだからです。

つまり一番肝心な自己の確立ができません。学校の成績がどんなに良くても、大企業に勤めても、人がうらやむような恋人がいても、自己を確立することなしには、自分に自信を持てません。そしてその埋め合わせとして、人からかまってもらいたがったり、自分を誇張して空威張りしたり、逆に自己卑下(どうせダメだ)をして逃げたりを繰り返してしまいます。

挑戦すること、裏から言えば失敗を恐れないこと、これをどう捉えるかが「この世に二人といない自分をどう生きるか、或いは『誰かの人生を生きる』か」の分岐点になるでしょう。

では人は何故、失敗を恐れるのでしょうか・・・?主だった原因を以下に挙げていきます。

原因①「ほれぼれする自分でなければ愛せない」のナルシシズム

「気になる人の目」は、実は自分の目

「ほれぼれする自分でなければ愛せない、認めたくない」のナルシシズムが強いと、失敗した自分を受け入れることができません。「失敗が怖い」原因の最たるものでしょう。

「失敗したら、みっともない。誰かに何か言われたらどうしよう。人の目が気になって挑戦できない」・・非常に多い悩みですが、実はこの「人の目」は「自分が自分を見ている目」です。他人という鏡に、自分を映し出し、その目を恐れています。「失敗したみっともない自分を、自分が見たくない」

「皆失敗はするものだし、第一皆忙しいから、いちいちあんたのことなんか気にしてないよ」他人からそう言われたり、自分でもそれはわかっているでしょう。しかし、恐れているのは自分の目ですから、環境を変えたところで同じことは続きます。

特に親御さんから、何か失敗すると「これだからお前はダメだ」と、行為ではなく自分という存在そのものを否定されてしまうと、自信を持てなくなってしまいます。そうなると尚更「失敗しちゃダメだ!」になり、最初からチャレンジしないことを選んでしまう、そのパターンがいつの間にか染みついてしまうことがあります。

失敗を励まされて育った人は、何にも代えがたい宝物を貰っているでしょう。そしてまた、何かに失敗しても、その人自身がダメだということは決してありません。

そして大人になった後は、「失敗=自分がダメ」の声に屈し続けるか、屈するのをやめるかは、自分次第で選べます。親に否定された人全員が、大人になっても「これだから私はダメだ」を生きるわけではありません。その代り屈するのをやめるということは、「だって私がダメだから」と何の根拠もない言い訳ができなくなるということです。

原因②「正しい/正しくない」「○か×か」の二元論

「誰かに教わった『正解』通りにしておきたい」に潜む責任放棄

失敗を恐れる人によくありがちな思考に「どこかに『正解』があるのではないか」「誰かに『正解』を教えてもらいたい」「誰かに『それでいいよ』と言ってもらいたい」があります。勿論仕事の場面では、自分で勝手に判断せず、上位者に確認することが必要なことも少なくありません。

しかし自分の人生の選択には、最初からわかりきった「正解」はありません。覚悟を決めるとは、「最初からわかっている正解などない」前提を受け入れることでもあるでしょう。

物事を「より効果的なやり方や選択は何か」ではなく、「正しい/正しくない」「○か×か」の二元論で捉えていると、決まった「正解」がこの世にあるかのように錯覚してしまいます。しかし現実は、二元論ですっぱり割り切れるものではなく、多面性があり、濃淡のあるグレーがマーブル状になっているものです。

「正解」を求めてしまうのは、「だってあの人が『これが正しい』と言ったから」にしておきたい、責任放棄が実は潜んでいます。

無責任な人が、信頼されることはありません。そして信頼こそが、人を人たらしめる社会性の生命線です。「自分はどこへ行っても、お互い多少の好き嫌いはあったとしても、まずまず人と信頼を築くことができる」と自分に対して思える人が、失敗を恐れず挑戦することができ、また大切なことに挑戦すればこそ、人から信頼を得ていきます。

思考停止しておきたい誘惑

「今、この状況における最善を尽くす」ことは誰でもできますし、それが責任ある大人の態度でしょう。ただそれも、その時の自分が「最善だと思ったこと」でしかありません。

今この瞬間は、すぐに過去のものになります。「次はどうする」の未来を考える時、ベストではなく「より良い選択」モア・ベターしか存在しません。

「より良い選択」を考えるとは、選択の幅を広げ続けることです。つまり、「このやり方で上手くいかなかったら他のやり方」を考え続けなくてはなりません。

「正解を求める」態度には、複数の選択肢を考え続けることが面倒だから、思考停止しておきたいという誘惑も実は隠れています。

次ページ:原因③「結果をコントロールしたくなる」自己中心性

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