① 弊社Pradoの心理セラピーを受けようと決めたきっかけはどのようなことでしたか?
会社の部下の結婚披露宴で、主賓のスピーチを頼まれたことがきっかけでした。
私は人前で話すのが苦手でした。会社の朝礼などよく知っている人相手で、少人数ならなんとかなるのですが、大人数の知らない人相手に、しかも部下にとっては晴れの舞台となると尻込みしてしまいました。
しかし、自分の苦手意識のために断ることなどできず、期限も迫っているし何とかしなくてはと思い、申し込みました。
② セラピー・セッションの中で、印象に残ったものはどんなことでしたか?いくつでもお答えください。
足立さんは最初に「部下の方にとって人生最大の晴れ舞台ですね。良いスピーチをプレゼントできるといいですね」とおっしゃいました。私は実はその時ハッとしました。
部下のためというより、自分が恥をかきたくないからじゃないか・・・内心恥ずかしく思っていましたが、その時は素知らぬふりをしていました。
初回は実践的なことを教えてもらいました。私に「緊張する時/しない時」の二パターンを実際にやらせ、足立さんは私の違いを観察されました。緊張する時は視線が下向きでうろうろと泳ぎ、しない時はまっすぐ前を向いて視線が定まっている、と。
人間は視線が下を向くと、自動的にネガティブなことを考え始めるとのこと。確かに私もそうだな、と納得しました。
そのセッションでは、会社の朝礼で視線を定めて話すことを宿題に出されました。実際にやってみると緊張が徐々に減ってきました。
③ また、あえて最も心に残ったものを一つ挙げるとするなら何だったでしょうか?
それでもなお「頭が真っ白になってふっとんだらどうしよう」という心配は拭えませんでした。そんなことで誰かが笑ったりバカにしたりするわけではないのに。いい歳をしてそんな不安を抱えている自分が情けなくもなりました。
足立さんは「わかっているけど、不安なんですね」と受け止めてくれました。その上で「○○さんが、△△さん(結婚する私の部下)に、一番伝えたいことって何でしょう?」と尋ねました。
ありきたりの言葉ですが「末永く幸せになってほしい」と答えました。
そこからがユニークでした。
足立さんは「その『末永く幸せになってほしい』という気持ちは、体のどのあたりにありますか?」胸のあたりと答えると、その気持ちの色や温度、匂いなどを尋ねました。
丸いピンクで、温かく、匂いはないと答えると「では、その温かい丸いピンクが、体中に広がり、やがて披露宴会場全体、そして特に△△さんを包み込むとイメージしてみましょう。そしてその温かいピンクを届けるために、スピーチをしているとイメージしてみましょう」
部下の幸せそうな晴れ姿のイメージと共に、長年叱ったり励ましたりした思い出がよみがえってきました。練習なのに、何だか目頭が熱くなりました。
そして私は、自分の苦手意識に囚われて、一番肝心なことがどこかに飛んでしまっていたことに気づかされました。
この気持ちを部下に届けるためのスピーチではなかったかと。少々噛もうが、言葉に詰まろうが、それがなんだというのだ、という気持ちになりました。
それ以後、家でスピーチの原稿書きや練習が苦にならなくなりました。緊張してもいいんだ、と自分を受け入れられたからでしょう。
④ 弊社の心理セラピーを受ける前と、受けた後とで、変化したことは何だったでしょうか?
当初は、単に「自分が緊張しないでスピーチができること」だけを考えていました。足立さんはその術を伝えつつ、さらに大事なことに気づかせてくれました。
披露宴のスピーチは、やはり緊張はしましたが、後で部下がとても感激したと伝えてくれました。彼の人生の門出を、ささやかながら祝福できたことがうれしかったです。
そしてその後、不思議なことに、会社の仕事、部下、子供たちに対しても、「どんな心を伝えようとするのか」に意識が向くようになりました。私自身もそうですし、部下や子供たちが「どんな心を込めているのか」に意識をはらうようになると、おのずとコミュニケーションが変わってきました。
叱るにしても、言葉は同じでも伝わっているものが違うようです。
部下から相談を受けることが増えました。結果的に業務の質が上がったように思います。
子供たちも、それまでは夕食後はすぐに自分たちの部屋に行ってしまっていたのに、リビングにいる時間が増えたように思います。息子二人なので、特におしゃべりをするわけではありませんが。しかし家の空気が穏やかになったように思います。
⑤ 弊社の心理セラピーを受けようかどうか迷っている方に、メッセージをお願い致します。
私は三回でセッションを完了しました。ほんの三回でしたが、大げさに言えば人生の転機となりました。
「価値観を明確にしましょう」とは本や研修で何度も聞き知っていましたが、何が大事かを日々生きるとはこういうことなのかと。大げさかもしれませんが、「同じ風景なのに違って見える」毎日です。
勿論、仕事でも家庭でも難しいことはありますが、それを「ストレス」とは思わなくなりました。「ストレス」と思っていた間は、どこかに被害者意識があったのでしょう。
被害者意識があった間は、自分の人生を生きているようで、生きていなかったのだと思います。
Pradoのセッションを受けなかったら、ただただ忙しさに追われ、消耗するだけの人生になっていたと思います。今では、この機会をくれた部下に感謝しています。
誰にとっても人生は有限。一度立ち止まってみるのもお勧めです。
そして、「自分では考えつかない」質問をしてくれる足立さんと立ち止まり、振り返るのも、さらにお勧めします。