① 弊社Pradoの心理セラピーを受けようと決めたきっかけはどのようなことでしたか?
実家の両親のコロナワクチン接種を巡り、心に深い傷を負いました。接種を止められなかったこと以上に、そのいきさつにおいて、親の卑怯さ、娘である私をまるで尊重しようとしなかった態度が辛く、親を憎み恨みました。
PradoのHPの「コロナの嘘」や「不幸にする親」「親との葛藤」などの一連の記事を何度も読みました。非常に共感はしたのですが、やはり読んだだけでは解決にはなりませんでした。
私は実家と遠く離れたところで、一人暮らしを長く続けています。大学生の頃から年に2回、30年以上にわたって帰省し続けましたし、親が70代に入ると帰省のたびに「これが今生の別れになるかもしれない。あと何回、親と食卓を囲めるだろう」と思っていました。
2020年の正月以来、帰省はしていません。暗に「帰ってくるな」と。田舎ですから、それはある程度仕方がないとは思っています。
しかし2021年の春先、何としてもワクチン接種を止めたく、コロナワクチンは今までの不活化ワクチンと違って大変危険であること、既に海外で死亡者や重度障害者がたくさん出ていることと共に、「ワクチンシェディングの被害があるので、お父さんとお母さんが接種をしたら、私はもう帰省しません」とメールで書き送りました。
そうやって脅せば、思いとどまってくれると考えていた私が甘かったです。
両親はこれ幸いとばかりに、私が帰省しないと自分から言ったことに飛びつきました。しかもワクチンを打ったかどうかは、のらりくらりとかわして絶対に白状しません。打ってなければ「打ってないから、心配せずに帰っておいで」と言うでしょう。その一方で私の機嫌だけ取ろうとするかのように、お米や食料を送り付けてくる。それがどんなに私を傷つけるか、まるでわからないのです。送られるたび怒りと情けなさでに泣きました。
そして「もう送ってこないでほしい」とメールで伝えると、母は「こんなに心配してるのに」みたいな手紙を送ってよこしました。余りに馬鹿馬鹿しく気分が悪く、その手紙はすぐに捨てました。
両親は本当にコロナにビビッて、ワクチンを打たないと死んじゃうとは思ってはいないんです。「あんたも打たないとコロナに罹るよ、ワクチン打たなくていいの?」とは言わないのですから。コロナが大したことないなんて、2020年の秋ごろにはわかっていたようです。その頃の電話での会話の感触でわかりました。ワクチン接種も、私の帰省を拒むのも、要は世間体だけです。
私の命がけの嘆願より世間体か、この怒りと悔しさ、そして「この親子関係は一体何だったんだ」の思いが拭いきれず、セッションを受けることを決意しました。
② セラピー・セッションの中で、印象に残ったものはどんなことでしたか?いくつでもお答えください。
足立さんはセッションの中で、コロナのこと以外で、親が私や他の人を尊重しなかった、思いやりをかけなかった場面はどのようなことがあるか、思い出してみるように促しました。
身内の恥をここに書くのは余りにも恥ずかしいので、具体的なことは書きませんが、まだ私が幼かった時にはわからなかったものの、大人になった今振り返ると「それはダメでしょ⁉」ということを、父や母が若いころから何度も繰り返していたことに思い当たりました。
兄夫婦が実家の近所に住んでいますが、義姉は結婚当初は両親に良くしてくれていたのに、今では家に上げようとしないそうです。余程嫌な思いをしたのでしょう。義姉は他人だからこそ、客観的に捉えることができたのだと思います。
そういう感想を述べると足立さんは「実の子供だと、親にどうしても期待してしまいますから。どんな子供も、自分はごく普通の愛情ある親に、愛され認められ、尊重されたと思いたいんです。そうでなかったことを認めるのは辛いから、自分の見方を歪めてでも親を庇うんです」と。
確かにその通りだったと思います。大人になって帰省した際に、母から「帰省してやってるのか」と冷たく言い放たれたこともありました。母は、自分を信頼している相手の心を平氣で踏みにじって、反省することがありません。それは父や、兄、孫たちに対してすらそうです。義姉はそれに心底嫌氣が差したのだと思います。
コロナ以前の長い間、私はそうした母の態度を見て見ぬふりしてきた、そのツケがここにきて自分の首を締めていたと氣づきました。それは父に対しても同じです。
「もし、コロナの前にそれに氣づいていたら、どう違っていたでしょう?」と訊かれました。「ワクチン接種について、一度は止めても、『一度は言ったからね。後は知らないよ』とある程度は割り切れたと思います」と答えました。
親への期待、幻想、それはどんな子供も本能的に持つものですが、その幻想にしがみついては自分が落とし穴にはまるんだと今はよくわかります。
それと「『あの人はダメだ』と思ってはいけない」と自分で自分を縛っていたことにも氣づけました。「『あの人はダメだ』と思う」=思いやりがない、みたいな。足立さんは冗談めかして「では、ビル・ゲイツやクラウス・シュワブは極悪人だと思う人は、思いやりがないんでしょうか?」と質問しました。そんなことはないですね。
また、私も時折動画を拝見している馬渕睦夫元ウクライナ大使が「未だに目覚めの時に至っていない人はダメなんだ」と仰っていたという話を聞き、あの高潔で、別の動画で子供のワクチン接種に真摯に反対されていた馬渕さんがそう仰るのなら、と自分に許可ができました。
そして「あの人はダメだ」は、今の私には付き合いきれない、付き合わない方が良い、関わっていては肝心なことにエネルギーを割けないと判断した、という意味であって、他の誰かにとっては違うかもしれない、それで良いのだということも。それは親であっても、というか、親だからこそそう判断すべきなんですね。
③ また、あえて最も心に残ったものを一つ挙げるとするなら何だったでしょうか?
色々と心の整理をする中で、ある程度氣持ちは軽くはなったものの、両親への恨みや怒りが全く消え去ったわけではない、と言いました。足立さんは「心の痛みには、見方を変えたり、時間が経てば癒えて忘れていくものと、一生抱えざるを得ないものとがある。痛みに押しつぶされず、抱えて生きていける力を養うのが成熟した大人の条件だと思います」と仰いました。
「登山のリュックもパッキングのコツを学ぶと同時に、腹筋背筋、足腰の筋肉を鍛えなければ、パッキングだけ上手になっても、10㎏20㎏、或いはそれ以上の重さのリュックは背負えない。心理セラピーも、体の負担になりにくいパッキングのコツを学ぶと同時に、抱えていける力をつける、その両方が必要なんです」と。
私の命がけの嘆願を蔑ろにされた怒りが、消えてなくなりはしません。消そうとするのは、自分の人生を否定することです。そしてこの件を通して、両親に心底失望したことも同様です。
親に無視され、蔑ろにされるのは、他人にそうされるのとは次元が違う出来事で、それは経験した人でないとわからないかもしれません。
人はこうした失望を抱えながら生きる。それを否定しないことが、自分を裏切らず、いい人ぶらず、正直に生きることなのだとセッションを通じ、学ぶことができました。
コロナの嘘に相変わらず騙されている、もしくは騙されたふりをしている大多数の日本人にも失望してますが、前向きに生きるとは、この失望をなかったことにしない、抱えながらそれでもなお投げ出さず、「後世のために、やれること、やるべきことをしよう」とする態度だと思います。不都合なことを見まいとするのは、前向きなのではなくただの現実逃避で、それで氣分だけ前向きになったようでもそれは欺瞞ですね。
④ 弊社の心理セラピーを受ける前と、受けた後とで、変化したことは何だったでしょうか?
実際に起きたことや、自分の感情を、きれいごとでごまかしてはいけないんだと心の底から思うようになりました。ですから、正直な感情をはっきり表現する人がもっと好きになりました。そういう人の方が信頼できますね。
コロナ騒動は第三次世界大戦です。5月に五類下げになることにより、マスクを始めとしたさまざまな規制は緩和され、多くの人はコロナを忘れていくのでしょう。しかし、薬害が顕著になるのはこれから、働けなくなったり、死ぬ人が増えるのはこれからです。
事実をありのままに見る勇氣を持てなければ、誰も生き延びることはできないでしょう。
事実をありのままに見れば、見たくない、知りたくない現実に直面します。それに恐怖し、怒り、時には憎む自分にも。
「私は良い親に愛され、受け入れられ、尊重された」そう思いたかった望みは打ち砕かれました。もし本当に愛され尊重されていたら、私が二度と故郷に帰れなくなっても親が平氣ということはあり得ません。仮にシェディングの問題がなかったとしても、私はもう親には会いません。
でも、その幻想を信じていた自分と、今の自分がどちらが好きか、信頼できるかと言えば、勿論今の自分です。
⑤ 弊社の心理セラピーを受けようかどうか迷っている方に、メッセージをお願い致します。
家族のコロナワクチン接種を止められなかった人は、私と同じく、生涯癒えない傷を負うと思います。老親に対してすらこれだけ葛藤するのですから、相手が配偶者やお子さんだったらどれほど辛いか、私には想像もつきません。
Pradoのセッションでは、その傷を癒して忘れることは勧められません。整理し氣づきは得ながら、その痛みを抱えて生きる。その考え方の方が、陰影に富んだ成熟した大人になれるのではないかと思います。
足立さんの趣旨に賛同し、共感される方は一度ご相談されることをお勧めします。