誰にとっても一日は24時間
自分の手持ちの資源ーお金、エネルギー、人脈、知識・スキル、そして時間ーを一日の中でどう割り振るか、これを意識的に考えて実践するのが、流されずに生きる、主体的に生きることです。
特に時間は、誰にとっても一日は24時間であり、過ぎ去った時間は戻ってきません。知識・スキルは、使わなければ錆びついて忘れてしまいます。お金なら、「また稼いで取り戻す」こともできます。しかし時間はそうではありません。
ではだからと言って、いつもいつもきっちりかっちりと、何時になったからさあこれをして、と時間割通りにはできないものです。それだとまるで囚人のような毎日になってしまいます。そしてまた、仕事でも家庭でも「横入りの案件」は避けようがなく、計画通りに一日が終わることは中々ありません。
また、ふらっと立ち寄った本屋で何気なく手に取った本が、新たな人生を切り開くきっかけになったとか、ネットサーフィンでたまたま見かけた記事で、長年自分が疑問に思っていたことが氷解したとか、そうしたことも人生の妙味です。これらは計画外の出来事です。
どうすれば、誰にとっても同じ一日24時間を、「大事なことを大事にするために」使うことができるのかの、考えるヒントです。
緊急中毒の悪循環
さて、時間管理についてよく言われるのは、重要度×緊急度のマトリックスでやるべき行動の優先順位をつけることです。下の図の縦軸が重要度、横軸が緊急度です。
緊急度が高いものとは、締め切りや相手との約束など、自分では決められないことに拘束されています。仕事ではまず相手ありきのもの、締め切りがあるものから手を着ける人も多いでしょう。
そしてまた、皆「重要度・高×緊急度・高」はやるのです。例えて言うならこの領域は「サイレンが鳴っている」領域だからです。但し、「鳴りっぱなしのサイレン」をどうにかすることに明け暮れている毎日だと、「緊急中毒」になり、疲弊します。そして疲弊すると「重要度・低×緊急度・低」の領域に逃避してしまいます。もう重要度の高いことをするエネルギーが残っていないからです。
重要度の高いことほど、それに取り組むにはエネルギーが要り、緊急度が下がって時間的な拘束がなくなり、殊に苦手意識があると「重要度・高×緊急度・低」の領域、即ち予防や準備をつい後回しにしがちです。
しかし、予防や準備をしておかないと、また「重要度・高×緊急度・高」の領域が増える、つまりまたサイレンが鳴ります。これが緊急中毒の悪循環になります。
「予防・準備」が最も効率が良いのは誰しもわかっていても
上記のように、「予防・準備」が実は最も効率が良く、それに時間を割くべきだ、とは誰しも頭ではわかっています。そしてまた、予防・準備ほど後回し、一日伸ばしにしてしまうものはないでしょう。
・・・だから、「重要度・高×緊急度・低」の行動を前もって計画しましょう、手帳に書き込んでおきましょうと教わって、バーチカルタイプ(縦型)の手帳を買った人もいらっしゃるかもしれません。
しかし、今この記事を読んでおられる方は「バーチカルタイプの手帳を買ってはみたものの・・・」「一度はやろうとしたものの・・・」に結果的になってしまったのではないでしょうか。これを実践できていれば、既に時間管理で悩んではいないはずだからです。
計画通りに行かないのが世の常・逆転の発想で考える
上述した通り、計画通りに行かないのが世の常です。しかし何せよ、「重要度・高×緊急度・低」の領域、予防や準備にできるだけ時間とエネルギーを割く大切さは変わりません。予防・準備に該当するものは、健康維持・管理、コミュニケーション、人材育成、スキルの取得・向上、視野を広げるための勉強等が挙げられます。
特にコミュニケーションは、家族や部下は無意識のうちにSOSのサインを出しているものです。常日頃からそれをキャッチする重要性が腑落ちし、短い時間であってもコミュニケーションを取ろうとしていないとーそれはこちらの「言いたいことを言う」ため以上に、「相手が何を感じ、考えているのかを知ろうとする」ためですー、ある日突然離婚届けを突き付けられたり、「もう会社を辞めます」と切り出されてしまいます。「サイレンが鳴っている」時期がもう過ぎて、家が焼け落ちて手の打ちようがない状態です。
また、視野を広げるための勉強は、これほど毎日の積み重ねが問われるものはありません。優れた人が目の前で大事なことを言っても、受け取る側が理解できなければ何もなりません。生まれ持った知能の差だけではなく、感性や教養、そして「今起きていることの重大性」を、人からくどくどと説明されなくても直観でわかるようになるための勉強です。
2020年からのコロナ騒動はその最たるもので、わかる人は自ら疑問を持ち、ほんの少し自力で調べただけで、「これは人類史上最悪の謀略事件だ」とわかる、だから死に物狂いで抵抗しなければならないと誰に言われなくても心を決められます。わからない人はいつまでたってもわからず、「皆がマスクを外したら」「ただ(本当は私たちの税金でなのですが)の内にワクチンを打っておく」とその溝は全く埋まりません。そしてそこで運命は決してしまいます。
ですから、逆転の発想で、「今やっていることは重要度×緊急度のマトリックスの何に当たるか」を意識してみます。例えば「重要度・低×緊急度・高」は、仕事で言えば作業的なこと、一般的には「用事」と呼ばれるものです。集中して作業を早めに終わらせ、予防・準備ー特に職場のコミュニケーションーに時間を使うのも一つですし、また例えば作業を始業時に充てて、頭のウォーミングアップにする、また移動は「重要度・低×緊急度・高」に入りますが、出来るだけ階段を使ったり、意識的にサッサと歩いて運動を兼ねれば「重要度・高×緊急度・低」に重ね合わせられます。電車での移動なら読書や情報収集の時間に充てるのも同じです。疲れていれば目をつぶって休息するのも「重要度・高×緊急度・低」です。こうしたことは実践されている方も多いでしょう。
息抜きで動画を見るのも、「感性を刺激するものを選んで見る」と意識すれば、単にダラダラとした暇つぶしの「重要度・低×緊急度・低」から、「重要度・高×緊急度・低」に変えられます。
「重要度・高×緊急度・低」の予防や準備は、自分が好きで得意なことでもない限り、また習慣化しない限り、かなり意識的にやらないとやりません。即ち意識的なエネルギーが必要です。他の領域は「何も考えなくても」やるものです。ただ流されて生きると「重要度・高×緊急度・低」以外の領域に人生が埋め尽くされてしまいます。これが腑落ちしているかどうかで、極論すれば人生は変わります。
「横入りの案件」は重要度×緊急度と結果予測を考える
時間管理において、避けて通れないのが「横入りの案件」です。昔と違って責任者は全員社内内線の携帯電話を持たされているでしょうから、その分「横入り」が否が応でも増えます。その案件ごとに「すぐに対応するべきことか」「相手に待ってもらうことか」を一回一回の判断する、その際も「重要度×緊急度」のマトリックスに当てはめることと、「それを受けたら/受けなかったどうなるか」の結果予測を合わせて考える必要があります。
結果予測をしないと、何でも反応的になってしまい、「今聞かなくていい話」をダラダラ聞いてしまい、「本当にやるべきこと」を後回しにしてしまいかねません。
相手が「今、いいですか?」と尋ねてきたとき、「5分ならいいですよ」と先に具体的に時間を提示するのも一つです。大抵の場合、相手は「この話が何分かかるか」「その分相手の予定の横入りをしている」を考えてはいません。例えば5分以上かかることなら「今は急ぎの仕事があるので、改めて時間を設定させていただけませんか?」とか「この仕事が終わってからでもいい?」など、すぐに丁重に断れる返事を自分の頭の中に用意しておきます。その仕事の内容を、わざわざ相手に言う必要はありません。意義が腑落ちしていない相手にとっては「後回しでいいんじゃないの?」と思われるような、「職場のコミュニケーション」でも良いのです。
そして「今は聞いても良い時」であっても、相手によっては無制限にダラダラと話すこともあるので、こちらから話の内容をまとめて「あなたが伝えたいことはこういうことですか?」とフィードバックし、長引かせないようにするスキルを身に着けることも時間管理においては大切です。
また、話をし始めて例えば5分以上たったなら「それ以上時間がかかるなら、改めてアポイントを取って頂けませんか?」と毅然と、そしてつんけんせずに丁寧に伝える心構えを前もってしておくと良いでしょう。安易に境界線を乗り越えさせないのもこちらの責任です。
ですからこちらも、クレーム対応など緊急の場合を除いて、氣軽に相手の予定の横入りをしない、話をする場合は先に簡潔にまとめておく、また「お忙しいようでしたら、後ほどお時間がある時で構いません」と最初に伝えるなどの配慮が必要です。そうすると相手にも「この人は自分の時間を尊重してくれている」が伝わります。
仕事においては、本当はこまめに時間を取って行うべき職場のコミュニケーションが、こうした横入りの案件の犠牲に一番なりやすく、これが士気の低下を招き、結果「重要度・高×緊急度・低」のサイレンが鳴りっぱなしになりかねません。
不安や承認欲求に振り回されない自制心
頭で考えたようには事が中々進まないのは、上記の横入りの案件のように、外側から影響もあれば、「仕事の途中でラインの返信をチェックしたくなる」「氣にかかっている不安材料があると、集中できない」など自分自身の要因もあります。
下図の「マスローの欲求段階説」の内「欠乏欲求」は本能に属します。生理的欲求が強い時、疲労、睡魔、発熱や痛みなど体の不調等があるとそちらに引きずられるのは当然です。だからこそ予防が大事になります。
また安全・安心の欲求の裏返しの不安、所属と愛の欲求の裏返しの孤独が怖い、承認欲求の「ちやほやされたい、注目されたい」、これらが強すぎるとやはり引きずられてしまいます。恋愛中の人が仕事の最中に恋人からラインやメールの返信が来ないか気になって仕方がないなども、これらの欠乏欲求を満たしたいからです。
欠乏欲求そのものは、本能ですからなくすことはできません。しかしこれらのことで、「本当に自分がやるべきこと」を疎かにしていないかを考える客観性と自制心を、常に養い続ける、その心がけをしてようやく、振り回されないとまでは行かなくても、振り回されにくくはなっていくでしょう。
不安を消すのではなく、耐性を高める不安を感じやすい人ほど、「不安を感じたくない、不安を消したい」と望みがちです。もっともな心情ではありますが、現実には不可能です。何故なら、不安は恐れから生じ、恐れは私たち人間が生き延びるた[…]
「これ以上自分が関わっても奏功しない」見極めと撤退
緊急度は締め切りなど自分が決めたことではない制約があり、比較的客観的に判断が下しやすいものです。
しかし重要度は基本的には自分が判断することです。自分自身が「本当に大事なことを大事にしているか」を常に問い続け、そして「その心に忠実であろうとする」その生き方が問われます。世間体、忖度、人に合わせてばかりの生き方では、「本当に大事なこと」を瞬時に見抜く目を、自分から曇らせます。
「正しい/正しくない」から「何が大事か」へ私たちの心が深く傷つくのは、大事なものやことを傷つけられた時です。「どうでもいい」とはある種の救いで、どうでもいいことには私たちは余り悩みません。価値観のない人はいません。しかし多[…]
そしてまた、もう一つ加えて大事なことは「これ以上自分が関わっても、頑張ったところでもう奏功しない」その見極めをつけることです。「大事なことを大事に」頑張る人ほど、「ここまで頑張ってきたんだから・・」とサンクコストの心理が働き、撤退することが難しくなります。どんなことでも諸刃の剣です。
客観的に見れば「もうやっても無駄な努力」を、一生懸命し続けて疲弊してしまう、そうしたこともやはり起きます。最初から見極めと撤退を上手にできる人はいませんし、これは誰かに教わる類のものでもなく、自分自身が苦い思いを重ねながら体得するしかありません。
これも結果予測をしないと、「大事なことだから!」と頑張り続けてしまいます。結果予測は意識しないと中々やりません。
一生に一度か二度の大試験の時に試される胆力
出来る限り「重要度・高×緊急度・低」の予防・準備に時間をかける、それは「大事なことを大事にしたか」、裏から言えば「不要なことに時間を割かない」ためです。不要と思われたことが、意外と大事だったこともありますが、後から「こんなことなら・・」と後悔しないためです。健康管理をイメージするとわかりやすいでしょう。
こうした時間の使い方は、当たり前のようで当たり前には中々できません。何故なら、相当に意識的に考えてエネルギーを割かなければならないからです。意識的に生きるとは、言葉を換えれば真剣に生きる、集中力を養うことです。
予防・準備の中に勉強が入りますが、ただ本を読む、優れた人の話を聴くだけではなく、常日頃から、自分の良心と感性、品位に沿って物事の真偽を洞察できるその眼を養うことそのものです。
人生に一度か二度起きる大試験が、いつとは知れずに突然やってきます。上述しましたが、2020年からのコロナ騒動が最近では典型中の典型です。そしてそれが「大試験だ」とまずわからなくては何もなりません。大試験ですから、それまでのその人が積み上げてきた人生が全て出ます。他人はそれをどうにもできません。カンニングさせてあげることはできないのです。
「重要度・高×緊急度・低」の予防・準備は、好きなことでもなければ中々やらない、楽ですぐに得ができることではありません。楽で得で、面倒がない、目先の不安が取り除かれる、そうした選択ばかりをしていて、いざという時に胆力を発揮することなどできません。その胆力を日々養うことこそ、「重要度・高×緊急度・低」の最たるものでしょう。
(スティーブン・R・コヴィー「7つの習慣 最優先事項」キングベアー出版 を参考にし、応用しました)