下手な同情は勇気を挫き、自尊心を傷つける
「エースをねらえ!」の面白さの一つは、脇役が魅力的なことです。
主要な脇役に、岡の一つ上の学年の、共に超高校級と目されるお蝶夫人(竜崎麗華)と、ライバル加賀高のお蘭(緑川蘭子)がいます。
お蘭は宗方仁の異母妹で、加賀のお蘭の異名を取る長身の強豪です。
物語の序盤、岡は先輩たちをおいて、お蝶夫人とダブルスを組むことを宗方コーチに命じられます。そのことで先輩達からいじめられ、またお蝶夫人との息も合わず、すっかり意気消沈している岡に、お蘭が声をかけます。
「無理ないわね テニス王国じゃ
部員のプライドも相当なものだし 追い越されるほどプライド傷つけられることないし
抜く者と抜かれる者と 摩擦があるのが当然よだから 同情する気にはならないわ
あなたには人を追い抜く力があるんだし それにたとえどんな思いをしようと
それはテニスをするための苦しみじゃないの同情なんかするもんですか テニスができない苦しみだってあるのに!」
お蘭は全治2ヵ月のけがを負っていました。
下手な同情は勇気を挫きます。
下手な同情には「あなたは無力な存在だ」というジャッジがあり、自尊心を傷つけます。そしてまた、「どうせ私はダメなんだ」という、何の根拠もない言い訳を相手に許し、逃げ癖をつけてしまいかねません。
逃げ癖は人生の、そして人類の敵と言っていいでしょう。責任や困難から逃げ回る人が、信頼を得ることはできません。そして信頼こそが、社会的動物である人間の生命線です。
お蘭は「部員のプライドが高いテニス王国では、抜く者と抜かれる者との間に摩擦があるのが当然だ」と起きている状況に理解を示しつつ、
「あなたには人を追い抜く力がある」と認め励まし、そしてまた
「たとえどんな思いをしようと、それはテニスをするための苦しみじゃないの」
と岡が自分で選んだテニスの道に、真正面から向き合うよう示唆しました。
そして「テニスができない苦しみだってあるのに!」と岡がはまり込んでいたコップの中の悩みから、視野を広げさせようとしました。
そして岡は
「いつか・・4日テニスを離れたことがあったっけ
わずか4日であんなに辛かった!
それを・・2ヵ月・・・!ああ私は一体何を悩んでいるんだろ
悩むことなんかなんにもないじゃないか
たかが初コンビと息が合わないぐらいのことで バカ!
この人2ヵ月もテニスができないそれだけじゃない
コートを離れてもわたしなんかに想像もつかない悩みがあるんだ
(宗方コーチと)異母兄妹だなんて・・・!」
悩みから抜け出すためには、技術や能力を高め、成功体験を積むことも大事です。しかしそれはむしろ結果であって、ものの見方を変えることがその前に必要になります。
悩みから逃げず、あるいはそれに自らおぼれず、真正面から向き合う。それをすると葛藤が生じます。その葛藤のエネルギーが、コップの中の嵐から抜け出し、より高く広い視野に自分を押し上げる契機になりうるのです。
責任転嫁や自己卑下をして(「だってあの人のせいで」「どうせ私は」)葛藤をなかったことにしようとすると、そのエネルギーもなくなってしまいます。自分をより高い見地に押し上げるためには、葛藤の耐性が必要です。
お蘭の誰にも言えなかった苦悩
お蘭は岡のものの見方を変える手助けをしましたが、自分自身にも、やがて更にもっと深いレベルで、それが必要になりました。
岡の恩師である宗方仁の父は、かつてお蘭の母と不倫をし、お蘭が生まれたため宗方の母を捨てました。そして宗方の母は、心労がたたったためか、若くして亡くなります。
因果は巡るというべきか、お蘭はそれを知らないまま、自分にテニスを教えてくれた大学生の宗方に恋をします。
お蘭は背の高さをコンプレックスにしていましたが、テニスを始めたことでその背の高さが武器になり、自分に自信をつけます。自信を持たせてくれた宗方に、好意を寄せたのは当然の成り行きでしょう。
「そうよ 思う方は真剣なのよ
そしてそれが許されないことだと
相手にとって迷惑なことだと知った時
心は粉々に砕け散る!!なぜ恋しちゃいけないのよ 兄さんだなんて知らなかった!!
兄妹として暮らしたこともなかった!!
なのに 異性としてみることも許されない!!ああ ああ 父が憎い!母が憎い!
仁のかあさまを捨てた父 仁の家庭を壊した母
その子のわたしは呪われて 見るがいい こんなに仁を愛したわ!!」
葛藤を乗り越えてこそ得られる深いものの見方
宗方もまた、自分とお蘭の父を長い間憎み恨んでいました。しかし宗方はやがて、次の境地に達します。
「結局 おれは父を求めていたのだ
夫として母を愛してほしく 父として息子を愛してほしかった
愛されたいのに愛されなかった 当然愛されるべき相手に愛されなかった
恨み憎み呪いぬいた激情は 愛されたいとしたう心の裏返し最近やっと気がついた
捨てても捨てられても 子は子 親は親」
そしてお蘭に、こう話します。
「何もお前のせいではない
第一何も起こらなかった
おれも母も不幸ではなかった命がけで愛していったのだ
命がけで愛せる相手に巡りあえたのだ 母は
不幸なはずがないおれも生まれてきてよかったと思っている」
お蘭はその時初めて、「よくこの人の妹に生まれてきた」と、かつて恨み呪っていた自分の境遇を肯定できました。
はじめてこの血のつながりを幸せに思う
どんな運命(さだめ)のもとであれ
片親きりのつながりであれ
けっしてけっして切れぬ絆の わたしだけのおにいさん
「おにいさん おにいさん」と宗方の胸の中で泣きじゃくるお蘭に、宗方はやさしくこう告げます。
「そうだ お前はおれのたったひとりの妹だ」
葛藤をなかったことにせず、時に長い時間を耐えながら、より高い見地に自分を押し上げる力にする。葛藤がなければ、人はそうした高貴なことを、おのずからやろうとはしません。知識のお勉強では無理なのです。
葛藤から「だって、どうせ」で逃げ、自らおぼれてしまうか、高い見地に自分を押し上げる力にするか、そこにその人の品位が問われています。そして否が応でも、その品位の高さ低さは、隠しようもなくにじみ出てしまうものなのです。