結局、自分を変えるのは自分しかいない
こんな自明の理に気付かないほど、心が弱り果てていたのかも知れません。
でも、環境に翻弄されればされるほど、外へ外へと答えを求め続けてきました。
講演を聞いたり、セミナーに出たり、本を読んだり、ネット上をあてもなく彷徨ったり・・・。
もちろん、そこには有益な教えもたくさんありました。
自分が求めていたものと出会えた気になって、一時的に昂揚したことも・・・。
しかし、ひと時の興奮が冷めれば、また元の木阿弥です。
結局は自分。
それも、遠く未来の自分ではなく、明日の自分でもなく、今この瞬間の自分。
自分の心をどこに置くか。それこそが勝負・・・なのですね。
3か月半に渡る6回のセッションの中での、最大の気付きはそこなのかも知れません。
自分で自分の心を強くしていく事でしか、日々のさまざまな出来事に正しく対応していける術はないのだと思います。
頭がボーっとしました。
特に、初セッションでは開始早々から最後まで、頭がボーっとなっていました。
3回目以降くらいからは、それほど顕著ではなかったけど、でもやはり話をしている内に、頭がぼんやりして瞼を閉じたくなることがしばしば。そんな時は、自然に目を閉じてみたりしました。たぶん根本的に安心しきっているからでしょうね。
普通なら話をしながら目をつむるなんて、相手に対して失礼なこと。
でもここでは、それが許される。というより、むしろ積極的に受け入れられている。そんな心地よさをいつも感じていました。
一か月も経たない内に売り上げに変化が・・・
心に変化を起こしたくて通いはじめたのですが、不思議なことに3回目のセッションくらいから、なぜか会社の業績があっという間に好転しました。
正直、そこまでの想像はしていなかったのです。
次々と新規相談が入ってきて、そのすべてが成約ベースのお客さんです。
今年度も赤字だと思っていたのですが、5回目のセッションくらいの時点では、年度末での黒字がほぼ決定。こんな事が起こるなんて、今でも信じられません。
シンクロニシティーが続発
4回目のセッションの前後で、シンクロニシティーが多発しました。
仕事で私が出会わせた人達が、両方とも一人娘がいて、名前が全く同じだったり・・・・。
高知出張の時にたまたま買ったお菓子が、次の週に東京出張に行った先のテーブル上になぜか置いてあったり・・・。
その東京出張の時、間違えて下りてしまった朝霞という駅に住んでいる人に、次の日のセミナーで隣同志だったり・・・・。
泊まった部屋の番号が、自分の両親が住んでいるマンションの部屋番号だったり・・・。
でも、シクロニシティーは宇宙が応援してくれている証拠と聞いて、嬉しかったです。
自分の口からポンポン出てくる不思議な言葉
足立さんに質問されると、なぜか、自分の中から「正しい言葉」が出てくるんです。
そうです。「正しい言葉」というのが、私にとって一番ピンとくる表現です。
それは、会社のデスクやスターバックスや自宅の書斎で、いくら頭をひねっても、マインドマップを何枚書いても出てこない言葉です。でも、とっても素直で、妙に腑に落ちる感じの響きのある言葉です。
考えてひねり出すわけではなく、質問に対して、答えがふーっと湧いて来るんです。
それは不思議としか言いようがありません。
例えば・・・
自分自身のミッションステートメント
「その人の持っているリソースを最大化すること」
自分のビジョン
「ヒューマンサポートの総合商社」
大切にしたいポリシー
1) その人を守る
2) 問題解決
3) フラットであること
4) 誠実
5) スキル
6) 好循環
新しく立ち上げた研究会のミッションステートメント
「傷ついた人に無意味な苦労をさせないしくみづくり」
習慣こそ最強
自己啓発の本は、あれこれ読み漁るよりも、一冊の本を何度も読み返した方が効果的。
習慣こそ最強だから。
足立さんにそう言ってもらった日(5月24日 3回目)からジェームズアレンの「原因と結果の法則」を毎朝少しずつ読み始めました。たった1行しか読めない日もありましたが、ここ2か月半ほどの間に5回読み返しました。
読んだ後、毎回5~10分ほど瞑想もしています。瞑想中は、少しでも心をきれいに掃除します。
その事で、引き寄せの法則が働いて、売り上げという形につながったのだと思います。
自分自身は水道の蛇口 その中を良きものが流れてくれるように常にきれいにしておくことを心がけたいものです。自分がこれこれをする。自分が何々をする・・・ではなく、自分というパイプを通って、宇宙から流れてくるものを、ただ妨げないようにだけする。
そう考えると、人生なんてある意味シンプルとも言えますね。
他人に対して感じている気持ち(妬み、イライラ等)の種は自分の中にもある
例えば、私は、CHILDISHな人をみて、ずっと「いいな~」とあこがれ続けてきました。自分の中にはないものだと思い込んできました。でも憧れるという事は、その種が自分の中にもある証拠と指摘していただき、非常に嬉しく思いました。
今では、決して無理せずとも、いつか自然にそういう自分からも出てくるのだという気がしています。
また、自己防衛が過剰な社員にイライラしていた事も、実は自分自身の鏡であったと発見できました。今までずっと「YOUメッセージ」という形で自己防衛し続けてきたのです。
(実をいうと、自分の中にも自己防衛の種があるという事は、すぐには認めたくなかったのですが、でも結果として気付けてよかったです。)
今まで自分が弱かった理由・・・それがやっと分かった日
無意識にIメッセージを避けて、YOUメッセージで生きてきたことが、弱さの根本原因でした。そして、それは父親をまねていた事でもありました。(12歳までは誰もが無防備なので、それを防ぐことはできなかった・・・ただそれだけの事だったんですね。)
それに気づけたからには、今後意識的にIメッセージを使っていけば、徐々に強くなっていけると知って、非常に勇気が湧きました。
そして、最終セッションの時、「Iメッセージを使うとどんな感じでしたか?」と質問されて「気持ちがいいです」との私の答えに「だったらこれからも続けられますね」という励ましをいただいた事が本当に感謝です。
長い間培われた習慣(YOUメッセージ)だから、変わるまでには多少時間がかかるかも知れませんが・・・。
引き寄せの法則こそ最高のマーケッティング
以前から、たぶんそうだと薄々感じてはいました。
でも、今回は、非常に短期間で変化が起きたことで、それを確信するに至りました。
なかなか人に話せないのが残念です。
本当に不思議です。
今でも、心がざわざわしている時は、何の良い引き寄せも起こりません。
逆にほんのわずかでも、心を整えようと努力すると、大小いろんな事が起きます。
整わなくてもいい・・・整えようとするだけでも十分効果があることが、最近の発見です。
自分の中からいろんなモノがポンポン飛び出してくるワーク
単純に楽しかった・・・いえ、楽しみました。
自分の中のどこかで冷めている自分がいると、ここまでイメージが出てこなかったと思います。夢中にのめり込めたのは、足立さんを信頼しきっていたからだと思います。
特に、自分の気持ちを掌に取り出すワークは何度かさせていただきましたが、これは自分でもできると思いました。 自分の心に色、形などをつけて、それをじっくり味わう。
そのことで、自分の中にある「もやもやしたもの」と向き合ったり、適度な距離をとったり、・・・要は自分の気分に対して、いろんなポジションが自由自在に取れるんですね。
今でも、ときどきこのワークをしています。
あと特に印象に残っているワークは・・・
未来を変えてみるワーク (暗い道を明るい青空の広がる草原の中の道に・・・)
中井貴一になってリラックスするワーク
質問に答える たったそれだけでホントの自分に気づける嬉しさ
「・・・その時、○○さんはどう感じるでしょうね。」
というような質問を、たくさんしていただけました。
それは決して誘導ではなく、私自身の中から自分で答えを導き出すお手伝いをしてくださっていたのだと思います。
●体の力を抜いてリラックスすることでパワフルになれる
実は、これが自然にできるようになるには、もう少し時間がかかりそうです。
ふと気づくと、顔がこわばっていたり、肩や背中に力が入っています。
それこそ、長年の習慣です。
力を抜くことは、意識的に行わないと難しいです。
でも、気付いたら力を抜く・・・これを繰り返すしかありませんね。
何に心を注いだのか、何に気を向けたのかが重要
小さなことに心を注ぐ(潜在意識は大きいことも小さいことも区別がつかないから)ことの重要性を認識した3か月でもありました。
大きいことをしようと思っても、なかなか実現しませんし、続きません。
ところが小さな事だと即実行可能であるし、潜在意識的には見分けがつかないのであれば、これをしない手はありませんよね。
実際に私が今、やっている事は・・・
朝起きた後、掛け布団を整える。
机の上のホコリをふき取る。
庭の雑草を抜き取る。
トイレのドアを閉める時に、「私はドアを閉める」と心で唱える。
玄関の靴をそろえる。
といった感じです。
待つこと
変化はすぐには起こらないかも知れません。潜在意識の変化は少し遅れて、現象に表れてくることがあると聞きました。
しかし、同時に潜在意識は、目的を達成する方法をすでに知っているので、ただそれを信頼すればよいのですね。
やるべきことをやった後は、信頼して待つ。ただ、信頼して待つ。
繰り返し悩む
わかっていたつもり・・・が実はわかっていなかった・・・この気づきの繰り返しが心を強くするという教えは、とてもパワフルだと思いました。
渡辺和子さん(ノートルダム修道会修道女。226事件の際、父・渡辺錠太郎教育総監を目の前で惨殺される。足立注)の例を挙げていただきました。
許していたつもりが、許していなかった・・・。でも、やはり私は許す・・・。
父上をクーデターで斬殺された方の試練の道に比べれば、私たちのような凡庸な人間も、その何十分の一でも、受難の道を歩いてもいいのですね。
苦しむことや悩むことが悪いこと、よくない事のような風潮がありますが、悩んだり苦しんだりして良いのだと気付き、逆にすっきりしました。
巡礼の道
久寿川駅からPradoさんまでの5分足らずの道のりは、毎回、参道を歩くような感じです。
冷静に見ると、特別な光景はなにもないのに、何か違う世界にいるような感覚。
それをどう表現したらいいのか、やっと言葉が見つかりました。
「村上春樹の小説の中にいる気分」です。
心からの感謝を込めて