共感と同意はどのように違うか

心の状態とコミュニケーションは密接な関係が

人生の質はコミュニケーションの質とも言われます。コミュニケーションは、外国語を勉強するかのように、何かのお手本に沿ってさえいれば上達するわけではありません。自分と相手の心の状態に大きく左右され、また、コミュニケーションの質が心の状態に影響を及ぼします。

人間は関係性の中でのみ生きられます。
この関係性には自分と他人、そして自分と自分の両方があります。
今回は他人とのコミュニケーションにおいて、しばしば混同されやすい共感と同意の違いについて取り上げます。

頭ごなしに否定されるとカチンとくるもの、しかし同意はできない場合も

人は自分の話を肯定してもらうと、自分を受け入れてもらえたかのように思えるため、嬉しく感じます。
そしてまた誰しも、頭ごなしに否定されることは望みません。話の内容ではなく自分を否定されたかのように感じてしまうからです。

だからと言って、相手の話の全てを「同意」しなくてはならない、ということはありません。人は皆それぞれ違いますから、感じ方や考え方が違うことがあるのが当然です。

本当は同意していないのに、相手の機嫌を損ねたくないがために同意してしまうと、自分を偽ってしまいます。相手にとっても本当は不誠実です。かと言って、「えー、それ違うやん!」とそのまま言えば気まずくなる、こうしたことに悩む人も少なくありません。

頭ごなしに真っ向から否定はせず、相手の存在そのものを受け入れ、尊重する、そして相手とは違う自分の考えを伝えることを躊躇しない、これが優れたコミュニケーターがやっていることです。

そしてこの優れたコミュニケーターが基盤としていることが、「同意」ではなく「共感」です。

同意は話の内容(コンテンツ)に賛同すること

人が話をする時、言葉と、表情や声のトーン、身ぶり手ぶりなど言葉以外の表現を使って相手に伝えようとします。

例えば

「雨が降って来た」

これは単なる事実ですが、声のトーンを落とし、うつむき加減で言うと、それはその人が望んでいないと伝わります。逆に明るい声で、嬉しそうな表情で言えば、望んでいたことだ、と伝わります。
そして私たちは、「雨が降って来た」という事実より、その人がどう受け取っているのかの方が、印象に残ります。

また、人は無意識のうちに、報告した事実よりも、それに対する自分の感情を受け止めてほしい、と願っています。

会話における同意とは、この話の内容「雨が降って来た」に同意することです。「そうだね、降って来たね」
そして共感は「残念ね」「良かったね」と相手がそれをどう受け止めているかに共感することです。ですので、共感の方が相手の心の動きを読み取り、想像する力が必要とされます。

こうしたお天気の話題のような、「それほど感情的な問題ではないこと」は、同意でも共感でも相手にとっては大差はないかもしれません。

しかし例えば

「あの人、嫌な人なのよ!」

これを顔をしかめ、いかにも嫌そうに言った場合はどうでしょうか。ついやってしまいがちなのは

「へえ、嫌な人なんだ!」

内容に同意してしまうことです。

この同意は意外と曲者です。
相手は「賛成してくれた!」と悪い気分にはならないでしょうが、お互い話のコンテンツに「はまり込み」、「あの人がいかに嫌な人か」に焦点が当たります。
飲み屋での愚痴はこれが延々と繰り返されています。鬱憤晴らしにはなっても現実は何も変わりません。

また逆に

「え、そうかな、あの人にだっていいところがあるよ!」

だと、相手は「あんたは嫌な目に遭っていないからそう言えるんだ!」と反発してしまいかねません。心を閉ざすか、むきになって反論しようとするか、いずれにせよ建設的な会話にはならないでしょう。

ちなみに同感は、「そうそう、嫌な人よね~、私もそう思うわ~」と同じように感じていることです。同意と同感は重なり合う部分が大きいです。

共感は相手が事実をどう受け止めているかを尊重する態度

共感は先の「雨が降って来た」の例と同じく、「相手が事実をどう受け止めているか」に焦点を当てることです。

「あの人、嫌な人なのよ!」
「余程嫌なことがあったのね」「嫌な思いをしたのね」

「あの人が嫌な人かどうか」は相手の主観、判断、解釈です。事実とは異なります。これもまた、尊重されるべきことですが、自分は違う主観、判断、解釈があるかもしれません。

そして相手が「嫌な思いをした」こと、これは表情や声のトーンから読み取って、「事実だろう」と推測されることです。
そしてまた、「あの人が実際にどんな人か」とは無関係に、「相手がどんな感情を抱いたか」もそのまま尊重されることです。

共感は話の内容そのものに是非や判断を下すのではなく、相手が「事実をどう受け止めているか」だけをそのまま尊重する態度です。
これは「心の中で起こる感情は全てOKだ」が前提になっています。

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そして「あの人が実際に何を言ったりしたりしたのか」という事実の有無を、この場合議論しません。
それは「その場にいなければわからない」ことですし、それに焦点を当てると「やった、やらない」の水掛け論になってしまいかねないからです。

「あの人、嫌な人なのよ!」
「余程嫌な思いをしたのね」
「そうなの、すごく上から目線の言い方をするのよ、あの人」
「上から目線が嫌だったんだ」
「そう、言い方ってあるじゃない?言ってることはもっともなんだけど・・・。あんな言い方されるとどんなに正しくても傷つくわ」
「言い方に傷ついたのね」
「そうなの、もうちょっと配慮した言い方をしてくれるといいんだけどな」

聞き手は話し手の感情、「事実そのものではなく、事実をどう受け止めているのか」をフィードバックしています。

そして会話がここまでくると、「あの人の全てが嫌」なのではなく「上から目線の言い方が嫌」だと問題の焦点を絞っています。そしてそれは尤もなことです。普通の人なら「あの人は嫌な人」と好き好んで思いたいわけではありません。「上から目線の言い方が嫌」だと、そう思う自分を受け入れやすくなります。

同意だけだとコンテンツに巻き込まれてしまうことも

では、同意だとどうなるでしょうか?

「あの人、嫌な人なのよ!」
「へえ、そう。嫌な人なんだ!」
「あんな言い方するなんて、よっぽど根が意地悪なのよ」
「根が意地悪なのね、あの人は」
「根が意地悪な人なんだもの、こっちはどうにもできないわ・・・。どうにかしてほしい、異動にならないかしら」

先の共感では、「話し手の感情、つまり反応」に焦点が当たっていますが、同意だと焦点は「あの人存在、人となり」に当たっています。「あの人は嫌な人」にお互いはまり込んでいるので、それ以上の進展は望めません。

また特に、こちらも「あの人に嫌な思いをしたことがある」と、つい「そうそう、わかるわ!嫌な人なのよね~」と同感になりがちです。

ただ、まずは感情を吐露して気持ちを落ち着かせるためなら、同感が効果的な場合もあります(「私も同じ目に遭ったことがあるのよ、嫌な人だと思ったわ」など)。

人は「このようなことを感じているのは自分だけだろうか?」と思うと孤独になり、悩みを絶対化しがちです。「自分だけじゃないんだ」と思えると安心し、氣持ちが落ち着いてきます。

しかし繰り返しますが、同感だけでは根本的な「解決」にはなりません。話し手の感情がいくぶん落ち着いたら、「同感」から「共感」へ移行することが「解決」のためには必要です。

共感はどちらかと言えば、「自分は中立の立場にある」ことを明確にしたい場合に効果を発揮します。
例えばクレーマーへの対処は、「会話の内容の是非(正しい、正しくない)にはまり込まない」のが鉄則です。これをするとクレーマーの思うつぼです。ですから「同意」ではなく「共感」を心して行うことが肝要です。
私自身の経験ですが、百貨店勤務時代の食器売り場担当だった時、しばしば進物品のお品替えがありました。その際、先様から頂いた進物品を「こんな趣味の悪い物!」とわざわざ私たち販売員に向かってこき下ろすお客様も中にはいました。
「そうですね、趣味が悪いですね」と同意してしまうと、「じゃあ、何でこんな悪趣味なもの売ってるの?」になります。
この場合は「ご趣味に合わなかったんですね」「お氣に召さなかったのですね」などと共感して返します。
「趣味に合わない」と感じたのは、そのお客様の感じ方であり、自由です。その感じ方だけを尊重し、「その商品が悪趣味か否か」の議論にはしないのが、販売員の心得です。

また話の内容そのものを論じなくてはならない場合は、自分が「同意」つまり「賛成」するのか、「反対」するのか明確にする必要があります。

「同意」が悪くて「共感」が良い、と言った単純なことではなく、違いを知って使い分けられることが大切です。

同意は自分の意見を言うのと同じ責任が

共感能力、と言う言葉があります。一方で同意能力・同感能力と言う言葉はありません。
共感は想像力と客観性、そして「相手が問題を解決できる」という信頼に基づくものです。
同意は話の内容に「同意」すること。共感と似てはいますが、実は共感の方が奥が深く、鍛錬が要ります。

つい、よりたやすい「同意」になびきがちですが、同意は自分の意見を言うのと同じ責任を伴います。
共感は必ずしも相手の意見に「同意」していなくても構いません。上の例では自分は必ずしも「あの人は嫌な人」だと思っていなくても、共感することはできます。

この違いを知ることも、共感と同意の使い分けのために大切です。

共感のベースには「心の中で起こることは全てOK」

共感は、誰かにできて、誰かにはできない類のものではありません。「心の中で起こることは全てOK」の自己受容、「相手が何を感じているのか」を考えられる想像力や感受性、そして何より「相手が問題解決できる」という信頼、これらも全て、「誰かにできて、誰かにはできない」ものではないからです。ただし、意識的な努力の積み重ねが必要です。

その場その場で相手の感情を想像し、言葉にするのが難しい場合は、「大変でしたね」「しんどかったでしょう」「腹も立つよね」「イライラもするよね」「がっかりするよね」等、あらかじめ言葉の引き出しを用意すると効果的です。そして相手が「がっかりと言うより、情けなかった」と返したら、「そう、情けなかったんだ」と言い直せばよいのです。何でもそうですが、共感に百発百中はありません。

また、「どうにかしてあげたい」と共感ではなく同情してしまうと、相手が求めていないのにアドバイスをしたくなり、結果相手の自尊感情を傷つけてしまいます。同情は、どこかで相手を下に見ています。

共感は、自分と他人を分けて考えられること、「選択はその人がするもの」というわきまえがあってこそです。そして自分も相手も、同じようにかけがえがない存在であること、立場の上下は別として、人としては対等であるという態度がベースになっています。

共感は単なるテクニックではなく、その人の自尊感情の高さが問われるのです。

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第1回 自尊感情とは何か。何故大事か
第2回 全ての感情を受け止め、否定しないことの重要性
第3回 「何が嫌だったか」を自分に質問する。目的語を補う
第4回 期待通りに成らない現実を受け入れざるを得ない時
第5回 小さな一歩を踏み出す・最低限のラインを決める
第6回 人生が変わるのは知識ではなく氣づき

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🔗第1回・要約・氣づきメモ

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    生きづらい貴方へ

    自尊感情(self-esteem)とは「かけがえのなさ」。そのままの自分で、かけがえがないと思えてこそ、自分も他人も大切にできます。自尊感情を高め、人と比べない、自分にダメ出ししない、依存も支配も執着も、しない、させない、されない自分に。