自尊感情にまつわるコラム

「べき思考」をゆるめ、違う生き方を受け入れるには

真面目な頑張り屋ほど振りかざしやすい「こうあるべき」

自分の価値観や信念を明確にして、日々を生きる。当Pradoで大切にしていることの一つです。
これをすることにより、「自分は何者か」という自己認識が明確になります。

すると、判断にぶれがなくなり、過剰に「他人の顔色をうかがう」ことがなくなります。自分は自分でいい、と自然に思えるからです。

一方で、価値観とは好き嫌いであり、信念とは「こうあるべき」でもあります。

ですので、葛藤も実は増えます。人とは違う自分を、否が応でも目の当たりにするからです。自分らしさを貫くとは、ルンルンで楽しいことばかりでは決してありません。

特に、自分の価値観や信念を共有してくれているはずだ、と思っていた仲間が、違う選択をしているのを知ると、猛烈な葛藤が起こることがあります。

その時、内心であっても「こうあるべき」を振りかざしたくなる、そんなことが起こります。

近い人ほど自分と同じ基準を要求しがちになるのは

人はある程度社会経験を積んでくると、自分と遠い人には、「こうあるべき」を振りかざそうとはしなくなります。

例えば、嫌がらせ目的のクレーマーには、ほとほと迷惑し、愚痴の一つも出てしまうものの、「いるんだよねえ、そういう人」と存在そのものは受け入れられるようにもなります。

「そんな嫌がらせをするのはおかしい!改心するべきです!」とクレーマーに説教しようとはしません。自分とは遠い存在、思い入れのない相手だからです。

しかし、信頼している仲間が「えー、それはないでしょ!」とこちらが思うことをしていると、「それはおかしい!そんなことをするべきではない!!」を振りかざしたくなります。

一方で、いい大人が少々他人に何を言われたからと言って、あっさりと態度を改めることー大きな事柄であればあるほどーはない、それがわかっていればこそ、葛藤が起こります。

大喧嘩ができるくらい、肝胆相照らす仲になれるのは、生涯に一人出会うか出会わないかなのでしょう。
そこまでの仲ではない、しかし「どうでもよい相手」でもない、だからこそ人は葛藤し、悩みます。

どんな人でも、共感できる人を失うのはとても辛く感じ、潜在意識がそれに抵抗しようとするからです。

「こんな人だと思わなかった!」孤独に耐える力と人間関係

「そんなことをしてほしくない!」の怒りもまたよし

特に相手が、その選択をすることで、第三者を苦しめるようなことが起きる時、葛藤が起こります。
「自分の好きなあの人に、あんなことをしてほしくない。他人を苦しめるのを見たくない」と思えばこそです。

むしろ自分に直接迷惑のかかることなら、文句の一つも言いやすく、かえって救いになるかもしれません。
「あんたには関係ないでしょ!?」「何で余計なおせっかいを焼くのよ」になりかねない、こうした微妙な関係ほど悩みの種になります。

まずは、「あの人にそんなことをしてほしくない!」「馬鹿馬鹿、何でそんなことするのよ!」という気持ちそのものに、OKを出すことから始めましょう。

それくらい悔しく、悲しく、情けなく思った。人に対してそう思えるのは、相手が大切な存在だったからこそです。

赤の他人が人を苦しめる、そんなニュースを見聞きしても、「嫌だなあ」とその時は感じるかもしれません。しかし後々まで悶々と苦しむことはないでしょう。

相手を大切に思っていたからこその気持ちを、まず自分がしっかりと受け止め、決して否定しないことです。私見ですが、どんなに近い存在であっても、全くそういう気持ちを全く抱かないことの方が、不自然に思います。

そして、その人にも、自分にも、同じように「内心の自由」があります。
だからこそ、葛藤が生じます。そしてまた、葛藤こそが私たちに人間存在の複雑さを教えてくれたりもします。

自分に対する「べき思考」をゆるめるには

自分自身に対する「べき思考」が強い人も少なくありません。そしてその「べき思考」通りにできない自分をまた罰し、悩みにはまり込んでしまいがちになります。

これも他人に対する「こうあるべき」と同じで、現実の自分自身よりも期待値が高い場合に起こります。

期待は一見ポジティブなようですが、「世界は自分が考えたとおりにあるべきだ」という自己中心性が実は潜んでいます。

目標を持ち、努力する、これをやめてしまえばそこまでで終わってしまいます。しかし目標を達成するには、「今現在の、等身大の自分」を受け入れることが実はセットになっています。コインの裏表の関係になっています。

自分に対する「べき思考」が強すぎ、苦しくなっている時は、「今現在の、等身大の自分」を受け入れる自己受容が不十分になっている、というサインです。

違う生き方を受け入れるとは、賛成することとは異なる

「べき思考」をゆるめる、とは、うんと平たく言うと「まあ、仕方がないよね」「そうしたものかもね」と事実を受け入れていくことです。

この事実の受容は、諦めて投げ出すことでも、賛成することでもありません。

ジャッジを抜きに、評価や判断をせずに、「良い悪いは別として、そういうことが起こっている」と受け止めていくことです。この「そういうことが起こっている」ことに、賛成するか、反対するかはその次のことです。賛成か反対かは、その人の内心の自由ですから、大いにやっていいことです。

自分に対しても、他人に対しても、ジャッジする前に、賛成・反対をする前に、「そういうことが起こっている」、そしてそれが起きること自体は、殊に他人のことであれば自分の領域を超えたことです。また自分自身に対しては、「自分は完璧な人間ではない」と、受け入れていくプロセスが重要です。

「べき思考」をゆるめるとは、実は「世界は自分が考えたとおりにあるべきだ」という自己中心性を脱していくことでもあるのです。

そして謙虚さとは、この自己中心性を脱していくこと、自分の限界をわきまえることです。自尊感情の中身には、こうした謙虚さも含まれています。自尊感情を高めるには、時として葛藤を乗り越えつつ、自己中心性を脱するという外側からはわからない努力が要ります。

悩みにはまり込むのではなく、向き合うということは、この努力の入り口に立つということでもあるのです。

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自尊感情を高めるとは、自分を大切にすることと言い換えても良いでしょう。
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● 体の声は心の声・体の状態に耳を傾ける
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Pradoの心理セラピー・セッションでお伝えしている内容を含んでいます。

どんな自分も否定せず、そのまま見て、耳を傾けることで「生きやすさ」は増していきます。
自分を大切にすることで、打たれ強く、柔軟で、ぶれない心を・・・!

 

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