世間体を優先する親・同調圧力に屈しないために

「世間では」「これが常識」は自己判断からの逃避

子供に無関心であれ、過干渉であれ、世間体に囚われている親は大変多いです。そして子供にとって、自分よりも世間体を優先されたと感じるのはたまらなく辛く、自尊感情を傷つけます。

世間とは何の実体のないものです。しいて言うなら近所の誰それとか、親戚の誰それなど、50人もいません。自分の見栄、虚栄心、面子でしかないのですが、いかにも他人のせいにする卑怯さがあります。

「これが常識」も同じことです。常識は地域や時代によってどんどん変わります。「この辺りでは、こういう風習が常識とされているから、あなたもそれに従った方が、トラブルがなくていいわよ」とアドバイスするのは相手のためになりますが、たいていの場合は「あの人非常識よね」といったただのうっぷん晴らしに使われています。

「世間では」「これが常識」は「私はこれが正しいと思う」の自己判断からの逃避に過ぎません。自己判断は間違ったときに謝罪と反省が必要になります。つまり責任が伴います。

「だって世間では」「だってこれが常識だから」の、責任回避がしたい「だって星人」をやっているのですが、子供のころは中々そこまで洞察できないでしょう。不本意ながらしぶしぶ従い、しかし心の奥底では責任から逃げている親の狡さを感じ取っています。

だからこそ、成人後も、親の世間体に嫌悪感が拭えないのです。

子供より世間体が優先するのは虐待と同じ

子供にとっては家庭が全宇宙です。そしてどんな子供も「自分は親に無条件に愛されている」と思いたいものです。心身ともに庇護されなければ、家庭から放り出されたら生きていけない子供が、親にそう望むのは至極当然のことです。子供が「自分は親に無条件に愛されている。かけがえのないわが子だと思ってもらえてる」と思えてこそ、心の中に「安全基地」を作り、足の踏ん張りがきく、逆境にめげない子供になっていきます。

子供の好み、望み、喜びや悲しみよりも、何の実態もない世間体が優先している。親が自分の方を向いていない。それは「自分のことはどうでもいい」と言われているのと同じです。

今時の話で言うなら、世間の目を気にして子供にマスクをさせている親のことです。少し調べれば、マスクは感染対策にはならず、却って有害でしかありません。子供の脳と体の発達においては更に有害です。そうした勉強を怠り、「どこの誰とも知れない人から、何か言われないためにマスクをさせる」のは、自分が毅然として理不尽な言いがかりから子供を守ることを放棄して、「だって世間の目が」と責任転嫁をしています。

世間体を優先するのは、親にその自覚はなくても、結果的に子供を虐待するのと同じです。

世間体優先とは今風に言えば「同調圧力」

子供が親に対して、世間体を優先するのをやめてほしいと願うのは当たり前のことです。

世間体とは、権威主義と責任回避なのですが、もっともらしい言い訳に使える上、自己正当化でき楽なので、滅多なことでは自分からは止めません。

今風に言えば「同調圧力」ですが、この同調圧力に負けないためには強い信念と、孤独に耐える力、そして自分の良心に従っている自負が要ります。同調圧力に屈しない胆力は、外側からはわからない不断の努力の賜物です。そして残念ながら、皆が皆それを養っているわけではありません。

同調圧力と言う言葉も、いかにも自分には責任のない、被害者意識が潜んだ言葉でしょう。厳しい言い方をすれば、同調圧力に屈してしまう程度にしか、自分を鍛えていなかったということです。

同調圧力に屈しないとは、自分の外側にある権威らしいものに、依存しない、寄りかからない、媚びを売らない生き方です。本当に誇り高い人は、同調圧力に屈することも、自分が同調圧力をかけることもしません。「みんなそうしてるよ」は、人間が孤独を恐れる心理を巧妙に利用した、大変卑劣なやり口です。

虚栄心と自尊感情は反比例の関係

本当の誇り高さは、他人が与えることは決してできない、自分にしか養えないものです。他人はその誇りを傷つけないこと、そして大切に励ますことができるだけです。

世間体を気にする人はプライドが高そうに思いますが、それは本当の誇り高さではありません。誇り高い人は外側の評価評判にいちいち振り回されません。「世間では」を振りかざすのは、人の目ばかりに戦々恐々として、びくびくしているということです。

即ち世間体とは虚栄心の現れです。そして虚栄心と自尊感情は反比例の関係です。「自分は自分で良い」「誰が何と言おうと、これが大事と思うことに従って私は生きている」そうした強い自負を持っている人が、世間体を優先することはありません。

「世間って誰のこと?」と理屈で問い詰め、論破し考えを変えさせようとしても無駄に終わるのは、その人の臆病さはその人自身にしか変えられず、しかも長いプロセスが伴う鍛錬がいるからです。

実体のない権威に振り回されない生き方を自分のものに

親が世間体を優先するばかりに、自分の進学先や、就職先、果ては結婚相手まで干渉され、自由意志を踏みにじられた怒りは生涯消えなくても当たり前です。

子供の自分にはなすすべもなかった、その無力をいいように利用された悔しさは、仮に行った先の学校や職場、結婚相手が良かったとしても、それとこれとは別物です。

例えば進学先が、経済的な理由で希望がかなわなかったのであれば、やむを得ないと受け入れられたことでしょう。親の世間体、見栄で左右されるのはおかしいと、それを受け入れてはいけないと、貴方の自尊心が叫んでいる証拠であり、その叫びはなくなってはいけないのです。

人間の自由意志を踏みにじられることはあってはいけない。それがどれほどの禍根を残すか、裏から言えば自由意志による選択こそが、責任と表裏一体で、人間の尊厳そのものです。だからこそ、それを踏みにじられたら怒って嘆き切ることが大事です。へらへら笑って言いなりになるのは、自分から奴隷根性に落ちてしまうということです。

私たちは怒るべきこと、嘆くべきことに、ちゃんと怒り、嘆いているかが問われます。それをきれいごとや見て見ぬふりでごまかすから、中身のない張りぼて人間になってしまうのです。自尊感情高く生きるとは、へらへら笑いでごまかしたり、指示待ちの言いなりにならない、要は奴隷にならないことでもあります。

そのためにこそ「自分にとって大事なものは何か」「大切にするべきことを、私は本当に大事にしているだろうか」という、自分にしか答えの出せない問いから逃げない。目先の都合や、快不快、損得に飛びついていないか、常に自分を点検し続ける、誰にも知られることのない不断の努力が不可欠です。

「親が世間体を優先してばかりいて、私は辛かった」その辛さから目をそらさず、受け入れるのは、ほんのスタートラインに過ぎません。ただ単に被害者意識に埋没してしまえば、もっと嫌な人間に自分からなってしまいます。

そこから「世間体に振り回されない生き方を、私はしているだろうか。そしてそれはどんな生き方だろうか」と自分に問い、実践すること。それが理不尽さに傷ついた子供の自分に、誰でもなく自分が報いてあげることなのです。

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第2回 全ての感情を受け止め、否定しないことの重要性
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