人間関係の肝・相手を見ているのか/安心できる自分を見ているのか

相手ではなく、相手という鏡に映った自分

私たちは子供のころから「人を思いやりなさい」と言われ、また仕事では「お客様のために」を言ったり言われたりします。

どんな場面でも、さんざん「相手の立場に立つ」ことを言われ続けるのは、実はそれがたやすくはできないからです。誰にとってもたやすいことであれば、わざわざ繰り返す必要はありません。

人間関係がうまくいかないことが、しばしばコミュニケーションの問題だと捉えられがちです。そしてコミュニケーションの研修やセミナーが大変盛んに行われています。

しかしコミュニケーションを、単なるスキルと捉えていると、思わぬ落とし穴があります。

スキル以前の自分のあり方、つまり言葉を発する以前、その人と面と向かい合う以前の段階が非常に重要です。

相手が今実際に、何を感じ、何を考え、何を望んでいるかを、ジャッジせずにそのまま見て、聴こうとするのではなく、

「相手が自分の期待どおりに振る舞っているか」
「相手という鏡に『ほれぼれとする自分』『理想の自分』が映っているか」
「相手という鏡に『安心できる自分』が映っているか」

だけを見ようとする、かなり頻繁に起こっています。そして中々自覚できていません。これらは、相手を見ているようで見ていない、聴いているようで聴いていません。自分の不安や、不安からくる執着が強くなればなるほど、「相手の振る舞いによって自分を安心させたくなる」をやってしまいます。

しかしこれらは、「相手の立場に立つ」とは正反対の姿勢です。

そしてまた、自分自身に「ほれぼれとする自分でなければ許せない!」「100点取ったら愛してやる!」をしてしまう間は、つまりナルシシズムがある間は、期待値と現状のギャップが大きくなるために、自分で自分の不安や焦りを増幅してしまいます。どんなにコミュニケーションのスキルだけをお勉強し、スキルを使っていたとしても。

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相手という鏡に「安心できる自分」が映っているかを見ようとする具体例

以下に、日常の中で起こりがちな、相手そのものではなく、相手という鏡に「安心できる自分」が映っているかを見ようとする具体例を挙げます。

  • 恋人が自分を好きでいてくれているかどうかばかりが気になる。
    恋人を見ているのではなく、恋人という鏡に「あの人に愛されている私」が映し出されているかに躍起になり、その自分に恋をしている。
  • 売り上げが下がると、やたら会議や提出書類や研修が増える企業。顧客を、ではなく、「何かをしている(つもりになっている)自分」を見ている。また忙しくしていると、それが必要か、効果的かは関わりなく、忙しさという鏡に「何かをやっている気分」を見て、満足してしまう。
  • 子供の塾やお稽古事が、子供の成長と喜びのためではなく、親の安心や虚栄心のためになっている場合。子供という鏡に「理想の親である自分」「よそと比較してちゃんとやっている親である自分」が映っているのを見ている。
  • 何かの失敗をした時、解決でき、先方が許してくれたのに、いつまでもくよくよと気に病む場合。「迷惑をかけ、そして許してくれた相手」ではなく、「失敗した自分」だけを見ている。「こんなはずじゃなかったのに!みっともない!」と「ほれぼれとする自分」でないことを責める。
  • また、「相手が許してくれない」場合、「何で許してくれないんだ!許してくれたっていいのに!」と逆切れするのも、相手を見ていない。「許してほしいという自分の都合」が相手という鏡に映っていないので、腹を立てている。
  • 相手が何度も辞退しているのにお節介を焼き、相手が自分の期待ほど喜んでくれないと腹を立て、文句を言う。
  • 相手に悪く思われたくない、悪口を言われたくないために、叱ったり、断ったりすることができない。相手のためではなく「自分がいい人でいたい」が優先する。
  • SNSでのリア充自慢、感謝アピールも「ほれぼれとする自分」のアピールなので、それを見ている相手のためにはなっていない。

どんな人も、殊に不安や怒りに囚われると、この落とし穴に落ちてしまいます。「私は絶対にそうなりません!」ではなく、自分も決して例外ではない、と自覚することが、逆説的ですが真の自尊感情「どんな自分も自分」なのです。

自分を「欠けた丸」だと思っていると、相手を「欠けた丸を埋める道具」に

ところで、ナルシシズムとは、「今ここにはいない、ほれぼれとする完璧な自分」を夢見ている状態です。裏から言えば、今ここにいる現実の自分は、「完璧ではない。欠けた丸」だと思っている、ということです。

ナルシシズムは、言葉の印象から「自分にうっとりとしている状態」かのように、受け取られるかもしれません。むしろ「うっとりできる、ほれぼれできる自分であろうとする」ことです。そしてそうした自分でないと、安心できない状態です。「良くも悪くも、今の自分はこんなものなんだ」という等身大の自分を受け入れられない状態です。

しかし現実には、何をどうあがいても、すべてにおいて「ほれぼれとする自分」が実現することはありません。

ナルシシズムが強ければ強いほど、漠然とした不安もまた強くなります。「今の自分はほれぼれとする自分ではない」とどこかで心が感じ取り、それをどうにかしなくてはと焦っているからです。

ナルシシズムは、この不安と向き合い、受け入れ、バネにする態度ではなく、不安という不快を排除しようとする態度です。
不快を感じていると「うっとりする自分」ではなくなるからです。

しかし、排除しようとしたところで、不安が消えてなくなるわけではなく、逆に「私は不安を恐れている」という暗示を強化します。そして、ますます不安の耐性が弱くなってしまいます。

人は不安の耐性が弱いと、相手という鏡に「安心できる自分」が映っているかどうかを、また確かめずにはいられなくなる、これが上記のような例が引き起こされる原因です。

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ナルシシズムを完全に脱している人は、恐らくいないでしょう。誰でも程度の差はあれ、持っています。そしてこのナルシシズムが、自己中心性の温床になります。

自己中心性とは、単なるわがままではなく、「相手を自分の欠けを埋める道具にしている」ことです。自分では善意のつもりであっても。
また、自己中心性とは持って生まれた性格とは関わりありません。気持ちが優しくても、自己中心性にはまっているケースもあります。相手を見ていない自己満足のお節介や、自己犠牲などがこれに当たります。

即ち、どんな人にとっても自己中心性から脱していくのは、実は大変難しいことなのです。

自分の中のネガティブな感情も、大切な丸の一部

自己中心性から脱していくためには、自尊感情が高まる必要があります。自尊感情とは、どんな自分であっても受け止め、大切にするということです。あたかも、どんな子供であっても、見捨てずに根気強く向き合う親や教師のように。

槇村さとるの漫画「おいしい関係」で、心を病んだ母親を施設に預けている加奈子という女性が、母親が狂言自殺を図ったという連絡を受けるシーンがあります。

母親の狂言自殺はこれが初めてではなく、加奈子は同居している恋人に向かってこう叫びます。

「もううんざりよ。あんな母親、死にたければ勝手に死ねばいい・・・!私はこんな女なのよ、がっかりしたでしょ!」

するとその恋人は
「どうして?それも加奈子の大切な一部だろう?」
と応じ、一緒に施設に赴きます。

肉親の死を願う自分も、「大切な一部」です。それを排除せず、受け入れて初めて、私たちは自分を完全な丸だと思えます。肉親、ことに親の死を子供が願う、子供にとってこんな辛いことはないでしょう。ただそれは「うっとりする自分」ではないから、痛みを伴います。

「肉親の死を願う」ことと、それをいつ、誰に向かって、どのように表現するかはまた別です。母親に面と向かって「あんたなんか、死ねばいい!」と叫ぶのは、やはり不適切な行動化と言わざるを得ません。

自分を完全な丸だと思えると、つまり見栄えの悪い自分を排除せず受け止めると、もう他人を「欠けた丸を埋め合わせる道具」にしなくなります。その必要がなくなります。

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自尊感情を高めるとは、見栄えの悪い、げんなりする、かっこわるい自分も全部含めて、自分は完全な丸だと思えることです。そしてこれまで見てきたとおり、単に自分一人のためだけではありません。

人間関係の改善は、小手先のコミュニケーションスキルでは、根本的な解決にはなりません。逆から言えば、「自分は完全な丸だ」と受け入れられると、特別にコミュニケーションスキルを「お勉強」しなくても、おのずと改善されます。

「相手のためになっているか」に焦点を当てる習慣

ところで、舞台演劇ではどんなベテランの俳優さんでも、セリフを忘れたり間違えたり、小道具を持って出るのを忘れたり、などの失敗は起こるそうです。

この時「セリフを完璧に言える自分でなければ!」だと、セリフを忘れたことに立ち往生してしまいかねません。

セリフを完璧に言えることよりも、もっとずっと大切なことは、「その役を舞台上で生きて、観客が感動する」ことです。また「失敗を観客にわからないようにリカバーし、観客を動揺させない」ことです。

「その舞台は誰のためのものか?」がどこかに飛んでしまうと、「ほれぼれとする完璧な自分」だけを見ようとしてしまいます。

「ほれぼれとする完璧な自分」とは、単に自分がそう判断しているだけ。観客や演劇評論家など「それを見た他人」の評価ではありません。つまりは、自分が安心したいだけのことです。

どんな自分も受け入れていくのは、誰にとっても永遠の課題です。これでいい、これで終わりということはありません。ですからそれに取り組みつつ、「相手のためになっているか」を考える習慣が同時に必要です。

この二つを同時にやって、ようやく自己中心性から脱する道筋がつき始めます。

そして単に気持ちがやさしいだけではない、真の思いやり、「相手の立場に立って考えること」ができるようになるのです。

【音声版・自尊感情を高める習慣・6回コース】

1回約20分、6回コースの音声教材です。

第1回 自尊感情とは何か。何故大事か
第2回 全ての感情を受け止め、否定しないことの重要性
第3回 「何が嫌だったか」を自分に質問する。目的語を補う
第4回 期待通りに成らない現実を受け入れざるを得ない時
第5回 小さな一歩を踏み出す・最低限のラインを決める
第6回 人生が変わるのは知識ではなく氣づき

第1回目は無料で提供しています。まず一週間、毎日聴き、ワークに取り組んでみて下さい。その後更に日常の中で実践してみたくなったら、6回分の音声教材(税込5500円)をご購入下さい。

🔗第1回・要約・氣づきメモ

6回分ご購入をご希望の方は、以下のフォームよりお申し込み下さい。

    弊社よりメールにて、振込先口座をご連絡します。振込み手数料はお客様負担になります。入金確認後、6回分の音声教材とPDFが表示される限定公開のURLとパスワードをメールにてお送りします。

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    生きづらい貴方へ

    自尊感情(self-esteem)とは「かけがえのなさ」。そのままの自分で、かけがえがないと思えてこそ、自分も他人も大切にできます。自尊感情を高め、人と比べない、自分にダメ出ししない、依存も支配も執着も、しない、させない、されない自分に。