過去の執着を手放す「この程度ですんで良かった」の8つのステップ

悩みから抜け出す最大の障害・執着

悩みから抜け出すためには、辛い感情を否定せずに受け止めるとともに、「次に似たようなことが起きた時、どのように違った反応と選択をするのか?」を考える必要があります。

そうでないと、自罰か(「私がダメだ」)他罰か(「あいつが悪い。あの人のせいだ」)の堂々巡りにはまり込み、否が応でも自尊感情は低下します。自尊感情の中身に、問題解決能力があります。自罰も他罰も、要は犯人探しです。問題解決にはつながりません。

もっともらしい「正しい/正しくない」のレッテル貼りをし、思考停止に陥ります。思考停止は脳にとって非常に楽なので、自覚なくそれに逃げてしまいます。(「あの人非常識ね!」で終わりにするなど。非常識だと思うのは自由ですが、今後どうしてほしいかを適切に伝えなければ、ただのうっぷん晴らしです)辛い感情を否定せずに受け止めるのは、単なるお慰めのためではなく、思考停止せずに問題解決をするための、下準備です。

「自信を持って堂々としていたい」「ぶれない自分でいたい」「夫や子供に優しく接したい」・・・どれも大切なことです。

目標や願望は、実現したいからこそ持つもの。それを実現させるために努力もします。

そして中々実現しない時、人は「まだまだ努力が足りないんじゃないか」と思いがちですが、最大の障害は、努力の不足よりも執着と言ってよいでしょう

人の行動の二つの動機・愛か恐れ。そして執着は愛ではなく恐れ

人の行動の動機には二つしかない、それは愛か恐れかだ、と言われます。
そして執着は恐れです。「もし、実現できなかったらどうしよう」「これが実現できなかったら困る・・・!」しがみついている状態であり、これを愛とは言いません。

マラソンのラストスパートとか、津波から走って逃げるなど、極々短い時間であれば、「何が何でも・・・!」の執着心が効果を発揮する場合もあります。

恐れが動機になることも人生には起きますが(「売り上げが上がらなかったらどうしよう」「彼に振られたらどうしよう」)、「売り上げが上がらない恐怖のために、売り上げを上げようとする」のは、中長期的には上手くいきません。その恐れは「自分の」恐れだからです。売り上げが芳しくないのはこちらの事情、都合であって、お客様には関係ありません。恐れをバネにしつつ、お客様に喜んで頂く、お役に立つためにできること、やるべきことを探す、この順序がとても大切です。彼に振られる、振られないも同じです。

恐れが「こんな社会を将来に残したくない」とか、「このままだと大事な人が大変なことになる」であれば、表面的には恐れでも、中身は愛です。表面的な快不快の気分だけで決めつけず、中身を掘り下げてみましょう。

愛は相手のため、そして結果的に自分のためにもなるものです。

並のセールスマンは「どうやったらこの商品が売れるだろう」と考え、
優秀なセールスマンは「どうやったらこの商品はお客様のお役に立つだろう」と考える、と言われています。
この差が結果の差になります。意識のベクトルが自分に向かっているか、相手に、外側に向かっているかです。

過去の執着を手放すと、未来への執着も減る

ところで、潜在意識は過去・現在・未来の区別をつけません。
ですので、過去の執着を手放すと「執着を手放せた」=「未来の執着も手放せた」という暗示を入れることができます。

未来に対して過度な不安を抱きがちな人は、過去に執着するからこそ、未来にも執着する(「またもしあんなことが起こったらどうしよう」)のです。

「この程度ですんで良かった」の8つのステップ

過去の執着を手放すとは、「望んだ通りにはならなかった。あの時は悔しい思いをしたけれど、まあ、この程度ですんで良かったなあ」と自然に思えることです。

松下幸之助が、社員を採用する時に「君は運がいいかね?」と必ず尋ね、「運がいいです」と答えた若者だけを採用した、という逸話があります。これはただのラッキーボーイ、ラッキーガールという意味ではありません。望まない出来事にも「この程度ですんで良かった」と前向きに、そして謙虚に受け止められる姿勢があるかを見ていたのだそうです。

「0か100か思考」の尻尾が残っていると、「この程度ですんでよかった」の中間解ではなく、「全く何事も起こらず無事」か「酷いことが起きた」かの二択になりがちです。例えば嫌がらせ目的のクレーマーは、誰だって来店してほしくはありません。しかし万が一来てしまった場合は、「他のお客様のご迷惑にならないよう、早めにお引き取り頂く」「その時限りで解決して、引きずらない。粘着されない」にできれば「この程度ですんで良かった」の及第点とする、現実的な着地点を探るということです。「大難を小難に」できればOK、その小難をどこに設定するかは自分の頭で考えることです。これも意識的にやろうとしないと、中々考えません。

「この程度ですんで良かった」は、過去と現在の状況を認め、肯定しています。つまり、「自分の望み通りにはならなかったけれど、そのままの世界を肯定している」になり、「世界を信じている」になります。

世界を信じているとは、未来の世界も信じているので、過度な不安、そして執着は持てなくなります。

そしてこれは、段階を追う必要があります。

1.先に「この程度ですんで良かった」と無理に言い聞かせようとしない

最も大切なのは、まだ傷が癒える前に、無理やり「この程度ですんで良かったじゃない!」と自分や他人にお説教しないことです。

そうすると、傷ついた感情のもって行き場がなくなり、不適切な行動化(八つ当たり、自分を責めるなど)や身体化(やる気が起きない、ぐったりするなど)になりかねません。

自然に結果的に「この程度ですんで良かった」と湧き上がってくるには、プロセスが必要です。

2.悲しみ、悔しさ、怒りを受け止め、「何が欲しくて悲しんでいるのだろう?」

人が何かに傷つき、悲しみ、怒るのは、「自分が本当に欲しかったものを得られなかった時」です。どうでもいいことには、私たちはそれほど感情を揺さぶられません。

それほど悔しかった、悲しかった、怒りが収まらない。その感情を「感じきる」ことがとても大事です。中途半端に抑えようとするからいつまでも長引きます。但し、自分一人きりの時間と空間を確保するとか、自分一人では抱えきれない場合は、しかるべき人に聴いてもらうなりします。他人に聴いてもらう場合は、予め「これこれのことで話を聴いてもらいたい」と打診し、相手の時間とコンディションに配慮をします。ちょっとした愚痴を聴いてもらう時とは違う対応が必要です。

そして感じきった上で「私は一体何が欲しかったのだろう?相手にどうして欲しかったのだろう?私はどうしたかったのだろう?」と静かに自分に質問します。自分がいつの間にか持っていた相手への期待を振り返ります。

例えば、信頼、友情、愛などを、傷つけられたために辛い思いをする、これは人間であれば当然のことです。また頭では無駄とはわかっていても、真摯な反省と謝罪を相手に求めたくなるのも、当たり前の心情です。

「私は『信頼』を裏切られて、悲しんでいるんだなあ。『信頼』が欲しかったんだなあ」と欲しかったものに氣づけると、悩みの渦を外側から眺められます。

3.その「欲しかったもの」は、今後もそのこと、その人からしか得られないことか?

例えばその「信頼」は、今後もそのことや、その人からしか得られないことでしょうか・・・?

現実にはそうではないでしょう。未来にはあらゆる可能性があります。

しかし、その可能性を信じられないと、「あの人は私に『信頼』をくれるはずだったのに!」と自分からしがみついてしまいます。これが過去への執着の中身になっています。

人は信頼を裏切られると、信頼していた自分を否定されたかのように取りがちです。しかし現実には、信頼を裏切って平気な人は、他でも同じことを繰り返します。共感、思いやり、誠実さ、皆同じです。「あの人、他の人にも同じことをやってるのよ」「私も同じことをされたのよ」と噂話にでも聞くと、少しホッとした経験があるかもしれません。「傷つきはしたけれど、これは相手の生き方の問題」と分けられると、気持ちが軽くなるでしょう。相手の生き方は相手の領域であり、自分の感情の処理は自分の領域です。

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4.その出来事を経て、以前よりも自分が賢くなっている点を探す

どんな出来事も、人は学びに変えられます。「あの経験がなければ、生きた学びを得られなかった」ことは、どんな人にも無数にあります。
ただ、普段は余り意識していないだけです。

その出来事を経て、それ以前よりも、確実に自分が賢くなっていることは、どんなことがあるでしょうか?

この問いは、一回では終わらせず、時間をかけて繰り返してみましょう。そして、辛い出来事の中から学びを得られた、と実感するたびに、その自分をねぎらい、認め、励ましています。

そしてまた、人には「その年齢にならないとわからない」こともたくさんあります。
今はまだわからないけれど、もっと時間がたつと「ああ、あれはああいうことだったのか」とわかるかもしれません。
その可能性も心にとめておきましょう。

5.今後似たようなことが起きても、同じ結果にはならないことを確認

そしてこの点も非常に重要です。恐れは「また、あんなことが起きたらどうしよう・・・!」と思ってしまう限り、湧き上がってしまうからです。前もって「違う結果になる」のを、シュミレーションしておきます。

「相手に『何でこうしないの!』『こんなことをするの!』ではなく、『自分はこう思った、こう感じた』を素直に伝えてみる」
「人を支配したがる人には、あまり深入りせず、サッと距離をあける」
「『この人についていけば安心!』と自分からすがらない。どんな人にも限界や欠点はある」など
対応策を自分が身に着けている、と実感できると、安心感が増します。

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6.今は無事に暮らせていることを確認

困難、トラブルの渦中にいる間は「この程度ですんで良かった」とは思えません。
今は全てが終わって、無事に過ごせているんだなあ、と実感できて初めて、安心して振り返れます。

7.傷ついたけれど、無事に乗り越えさせてくれた自分に感謝

そして、こうやって無事に乗り越えた最大の功労者は自分です。

他人が自分に成り代わって、困難を乗り越え、傷を癒し、学びを得ることはできません。他人ができるのはせいぜい、共感と助言くらいです。

「無我夢中だったし、どんくさいこともいっぱいあったけれど、何とか無事に乗り越えたなあ」
自然にそう思えれば、以前とは違う段階にもう入っています。

8.「この程度ですんで良かった」は最終的に湧き上がってくるもの

これらのプロセスを踏んで、最終的に「ああ、この程度ですんで本当に良かった」と湧き上がってくる、そうなるとそれは、潜在意識レベルで「世界を肯定した」ことになります。

勿論すべての出来事を「あの程度ですんで良かった」とは思えないでしょう。親から受けた肉体的・精神的虐待などは最たる例です。

弊社の心理セラピーでは、大きな事柄を扱うことが多く、大きなステップの中に小さな無数のステップがあります。そしてまた、人間の心は揺れ動くもの。癒されたと一旦思えても、また行きつ戻りつもあります。これにがっかりする必要は全くなく、「まだまだ学びや氣づきがその中に入っている、発見されるのを待っている」というサインです。氣づくから成長できるのと、逆も真なりで、自分が成長して初めて発見できる氣づきもあります。

できる限り、「過去の嫌な出来事への執着を手放す」ことは、嫌な思いをさせた相手ではなく、自分自身を癒し、未来に希望を持つ原動力となります。

ですから、ご自分で取り組む場合は、どんな人生にも起こりがちな、小さな、でも癒し切れてはいない嫌だった出来事から始めることをお勧めします。「一か月後には忘れているだろうけれど、今はもやもやする」ようなことがお勧めです。

小さな、でも嫌な出来事は、もしかすると私たちを鍛える「小さな練習問題」としてやってくるのかもしれません。

【音声版・自尊感情を高める習慣・6回コース】

1回約20分、6回コースの音声教材です。

第1回 自尊感情とは何か。何故大事か
第2回 全ての感情を受け止め、否定しないことの重要性
第3回 「何が嫌だったか」を自分に質問する。目的語を補う
第4回 期待通りに成らない現実を受け入れざるを得ない時
第5回 小さな一歩を踏み出す・最低限のラインを決める
第6回 人生が変わるのは知識ではなく氣づき

第1回目は無料で提供しています。まず一週間、毎日聴き、ワークに取り組んでみて下さい。その後更に日常の中で実践してみたくなったら、6回分の音声教材(税込5500円)をご購入下さい。

🔗第1回・要約・氣づきメモ

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    生きづらい貴方へ

    自尊感情(self-esteem)とは「かけがえのなさ」。そのままの自分で、かけがえがないと思えてこそ、自分も他人も大切にできます。自尊感情を高め、人と比べない、自分にダメ出ししない、依存も支配も執着も、しない、させない、されない自分に。