感謝という境地⑥ 力がある人ほど目立とうとはしない・謙虚さの意味

感謝という境地に不可欠な謙虚さ

感謝とは、傲岸不遜とは正反対のことです。傲慢な人が感謝のある人になる、というのは矛盾しています。すなわち、感謝とは謙虚さが伴ってのことです。

よく混同されがちですが、謙虚と卑下は異なります。

自己卑下には「どうせ私なんか」という「どうせ」が見え隠れします。取るべき責任から逃げ、拗ねてみせる、そして「そんなことないわよ!」と暗に持ち上げてもらいたい卑怯さがあります。

自己卑下は、先に自分を下げておいたら、それ以上叱られたり注意されたりしないだろうという逃げの態度です。人はそれを無意識に感じ取り、不快に思います。卑下とは「卑しく下げること」です。そこに美しさはありません。

一方謙虚さとは、打たれ強さでもあります。少々注意されたり叱責されたりしても、決してふてくされたりしない態度です。
「叱っていただき、ありがとうございました」が真の謙虚さです。

自尊感情が高まった結果、到達するのがこの謙虚さです。巷間よく言われる「あの人はプライドが高いから・・」のプライドは、自尊心と言うよりも、メンツと言った方が良いでしょう。

謙虚さとは、これ見よがしに目立とうとはしない慎み同様、力のある人しか取れない態度です。

感謝という境地には、この意味での真の力が備わってこそ、到達することができます。

選ぶのはその人自身

人はどんなに善意の(つもりの)人であっても、知らず知らずのうちに思い上っているものです。

「こっちの方が上等だ、こっちの方がよくわかっている、そんなことをするとアンタ自身のためにならないじゃないか」をやりたくなってしまいます。
これが余計なおせっかい、求められていないアドバイスになり、相手の自尊感情を傷つけます。

大切なことは「私はやりません!」ではなく、ともするとやってしまうものだという前提に立つことです。それがあるがままの自分から目をそらさない、なかったことにしないことです。だからこそ、やってしまう自分に気づけます。気づかないと止められません。

人間関係のひずみは、あからさまな嫌がらせや八つ当たりもありますが(それをすると自分がつまはじきにされるリスクがあります)、「善意のつもり」のおせっかいによるところが大きいでしょう。

勿論、意見の主張は大いにするべきですし、自分が迷惑をかけられたら態度を改めてもらうよう伝えるのは当然の権利です。黙っていれば「それでいいんだ」と人は思うものです。
また部下や子供など、自分が責任を負う立場の相手なら、注意や叱責は仕事の内です。

それでもなお、「選ぶのはその人自身」です。その人にしか、選べません。
その人がそれを選びたい、手に持っておきたいと思わなければ、どんなに「これを持つべき!」「これが良いから!」と握らせようとしても自分から手放してしまいます。

そしてその人が自分で選んだ、自分で決めたという自己責任の実感、これが自尊感情を高めます。
同じ行動でも「だってあの人が(親が、先生が、上司が、会社が)やれと言ったから」なのか、「自分でやると決めたから」なのかでは、行動後の自己信頼感が異なります。

「だってあの人が」「みんなが、世間がこう言うから」「あの人は特別」「だって、どうせ、私がダメだから、馬鹿だから」「(考えたり調べたりを飛ばして、いきなり)どうしたらいいかわかりません、できません」・・これらは皆「誰かに責任と行動を押し付けて、自分は逃げておきたい」言い訳です。何の理由にもなっていません。

自己決定と自己責任から逃げ回れば逃げ回るほど、その時は楽ができたように思っても、自尊感情は下がる一方です。

ですので、違う物の見方の提案や、時には「それってどうかと思うよ」の意見具申はしても、最終的に決めるのはその人、これが人間関係作りにおいて大変重要です。相手に「自分が選んだ」実感を持たせることです。

そしてこの「選ぶのはその人自身」の裏返しが、「私は何者でもない」です。

自分自身を何者でもない、何様でもないと思えればこそ、「こっちの方がよくわかっている」をやらず、「相手に委ねる」ことができます。

これには自分と他人、つまり人間そのものへの信頼と、忍耐力、そして「全てはプロセスであり、自分次第で何度でもやり直せる」信念が必要です。

本当に力のある人ほど目立とうとはしない

或る程度の年数を生きていれば、尊大で威張っている人ほど実際には大したことはないと、人は経験から学びます。

それとは逆に、本当に力のある人ほどー自然と存在感を醸し出すことはあってもー自ら目立とうとはしないものだとも。歌手や俳優が、ステージの上で自分の存在感を押し出すのは、お客様のためであって、自分に酔うためではありません。それでは仕事とは言えません。

力のある人ほど、評価されたいとかちやほやされたいとか、自分は少数派で特別だとか、取り巻きが欲しいとか、また逆に自分が誰かの取り巻きになりたいとかは、意識に上っていません。

力のある人でなければ「私は何者でもない」を生きることはできません。

ところで、手塚治虫の「ブラック・ジャック」は、膨大な手塚作品の中で、最も多く読まれているのだそうです。

私の手元にあるのは、手塚の死後、秋田書店から文庫シリーズとして編集されたものです。このシリーズは、必ずしも発表順には所収されていません。

この第一巻目に「六等星」という作品が収められています。これは、ブラック・ジャックが難しい症例を奇跡のような手術で治して・・といういつものパターンではありません。

「見える星は一等星から六等星まで分けてある
一等星はあのでかい星だ 六等星はほとんど目に見えないくらいかすかな星のことだ
だがなちっちゃな星に見えるけど あれは遠くにあるからだよ

実際には一等星よりも もっと何十倍も大きな星かもしれないんだ」

と、ブラック・ジャックは六等星に「見える」ある医師の話をピノコにします。

その医師、椎竹先生は優秀な腕を持ちながら、大病院の中で決して目立たず、ヒラの医局員として下働きをしていました。
そしてそのことを卑下するわけでもなく「人には分相応というものがある わしには今のままが一番合ってるんだ」と、淡々と妻に語ります。

その大病院で、新しい院長の選挙の際、候補者の大先生方が買収疑惑でことごとく逮捕されてしまいました。
その時も、椎竹先生は何も言わず、淡々としています。

そんな中で、花火の地上暴発事故が起こり、全身大やけどの患者がその病院に運び込まれてきました。ブラック・ジャックに手術の依頼の電話がかかってきます。

「なぜ治療ができないんです!!
そんな大手術をやりおえる先生が もうひとりもいないって?

冗談じゃない 大病院でしょう ひとりくらいいるでしょう
椎竹先生なんかどうです?

そんな先生の執刀なんか考えられないって? じゃあ考えてみたら?

とにかくね どうしても私に手術を頼みたいのなら 手術料は五千万円ですぜ」

そして病院のスタッフは、椎竹先生に手術の依頼をします。内心「どうせおじけづくんだよ」と思いながら。

椎竹先生はその時も、気負う風でもなく淡々と

「やりましょう

そのかわり みなさん私の執刀にぜひ協力してください
責任者である私の指示に従ってください

病院内から植皮提供者をつのってください 大至急!!」

と次々と明確な指示を出し、手術に立ち向かいます。

「今頃病院の連中は目が覚めてるぜ 新院長を誰にするかってことをね」

とブラック・ジャックはピノコに語ります。

六等星でいられるのは、本当に力のある人だけです。そして椎竹先生のように困難から逃げず、挑戦する心を持ち、見返りを求めない人であればこそ、六等星でいられます。

この一見地味な話を文庫版の一巻目に収めたのは、編集者の並々ならぬ慧眼があればこそでしょう。

「私は何者でもない」そして感謝という境地に至るには、これらの本当の力が必要なのです。

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第1回 自尊感情とは何か。何故大事か
第2回 全ての感情を受け止め、否定しないことの重要性
第3回 「何が嫌だったか」を自分に質問する。目的語を補う
第4回 期待通りに成らない現実を受け入れざるを得ない時
第5回 小さな一歩を踏み出す・最低限のラインを決める
第6回 人生が変わるのは知識ではなく氣づき

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🔗第1回・要約・氣づきメモ

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    生きづらい貴方へ

    自尊感情(self-esteem)とは「かけがえのなさ」。そのままの自分で、かけがえがないと思えてこそ、自分も他人も大切にできます。自尊感情を高め、人と比べない、自分にダメ出ししない、依存も支配も執着も、しない、させない、されない自分に。