「深刻にはならず、真剣になることが大切」(松岡修造)
スポーツをしている人なら、負けそうな時、ピンチになった時、深刻になると益々悪い状態にはまってしまうと経験済みでしょう。
そういう時こそ、深刻にはならず、真剣になってこそ道は開けます。
これはスポーツのみならず、全てのことに言えることです。
深刻と真剣はどう違うのか、真剣なつもりで深刻になっていないか、自分でわかる必要があります。他人が指摘したところで、中々受け入れられません。
自分でわかればこそ、そこから抜け出すことが出来るのです。
「できるか、できないか」を考えると深刻に、「どうやればできるか」を考えると真剣に
深刻になるのは「上手く行かないかもしれない」という不安に囚われ切っている状態です。不安を感じるのはごく当たり前の心情ですが、それにはまり込むと結果的に「望まない方」へ突き進んでしまいます。
そういう時は「できるだろうか、できないだろうか」「もしできなかったらどうしよう」を考えてしまい、「できない」可能性に意識を向けてしまっています。「もし、東京に行けなかったらどうしよう」だけを考え続けて、東京に辿り着くことはありません。
真剣な時は「どうやればできるだろう」「何をしたらうまくいくだろう」を考えている時です。これは「できる」ことしか実は考えていません。
東京なら東京に行く手段(電車かバスか飛行機か)だけを考えている状態です。この時「東京に行けるかな、行けないかな」とは考えていません。「東京に行かない」選択は意識に上っていません。ですから、手段は何であれ、いずれ東京には辿り着きます。
どうしてもやりたいこと、どうしてもほしいものに、私たちは「手に入れられるか、入れられないか」を考えません。
どんなに高額なものでもどうしてもほしければ、時間がかかっても手に入れる方法を考えようとします。
「できるか、できないか」をつい考えてしまう時は、まずは「本当にできるようになりたいのか」「心からそれを望んでいるのか」を考えてみましょう。
(これは自分が選べる事柄の場合です。会社の仕事など自分が選べない事については後述します。)
それを本当にやりたいかどうか迷う時は、「もし、それをしなかったら後悔しないか」を問いかけてみましょう。
しなくても大して後悔しないのなら、自分にとってやらなくてもいいことです。周りがそれをやっているからとか、何となくちょっといいなと思ったから、が動機だったかもしれません。
やらなかったら後悔することは、潜在意識が求めていることと判断していいでしょう。つまり自分の本音です。
そして、「どうやったらできるか」だけを考えるには、「それを本当に実現させたい」熱意、もっと言えば愛が必要です。「別に東京に行けなくてもいいや」と心のどこかで考えていたら、東京には辿り着けません。受験生が「浪人してもいいや」と思っていると、やはり浪人してしまうのと同じです。
「それが実現されたら、どんなにいいことがあるか」「自分や周囲の人にとって、どんなに意義深いことか」これを心の底から感じればこそ、「実現させたい」⇒「どうやったらできるか」になります。
敢えて退路を断つと真剣にならざるを得ない
「どうやればできるか」には、「やらない」選択肢はありません。つまり既に自分で退路を断っています。
深刻になってしまうのは、少々辛口な言い方をすれば「退路を断ち切っていない」、つまり迷えるだけの余裕がある状態です。
津波が迫ってきて死に物狂いに逃げている時は、事態は深刻でも心の状態は真剣です。「逃げられるかなあ、逃げられないかなあ」など悠長に考えている余裕はありません。
好きではない仕事をゲームにし、真剣にやると面白く
会社の仕事など、本音は大して好きではない仕事だけれど、取り組まざるを得ないこともやはりあります。
その時も深刻になってしまうと、ただでさえ大して好きではない仕事がますます嫌になってしまいます。
その場合、その仕事そのものをいきなり好きになろうとするより、「真剣にやること」にまず意識を向けてみるのがコツです。
学校の体育の授業で、元々それほど好きな種目ではなかったけれど、真剣にやるうちに楽しくなった、そんな経験を応用すると上手く行きます。
殊にスポーツは、たらたらやっても楽しくありません。真剣にやるから楽しくなります。
日々小さな目標を自分で立て、ゲームと思って取り組むと効果的です。この目標は「頑張ったら達成できる」レベルのものにすると、真剣度が増します。
ゲームに勝つつもりで真剣にやると、嫌だったりつまらなく感じた仕事も面白くなってきます。
例えば「提出しても大して読まれない、体裁だけの書類づくり」をせざるを得ない時もあります。
他に大事な仕事もたくさんあるのに、体裁だけの書類づくりに追われると、ストレスを感じるのも当然です。「他にもやることはいっぱいあるのに!何でこんなことしなきゃならないの!」
大きな組織ほど、こんな仕事が増えるものです。
その時は目先を変えて「如何に素早く、『それなりの』書類を作ってしまえるか」のゲームにしてしまうか、などです。
どうせやらなければならないことなら、如何に目先を変えられるかで、ストレスを減らせます。
肩に力が入り過ぎるのは深刻な時、真剣な時は集中し、かつリラックスした状態
「もう少し肩の力を抜けばいいのに」と人から言われても、中々できない人も多いでしょう。
これは人から言われたから出来る類のものではないからです。
肩に力が入り過ぎてしまう時は、「上手く行かなかったらどうしよう」をどこかで考えてしまっているので、深刻になっています。
不安が増幅されますから、体に力が入った状態になって当然です。
「どうやったらできるか」は集中し、かつリラックスした状態です。これが真剣な時です。
不安もなくはないけれど、「あれをやってみよう」「こうしたらいいんじゃないか」と工夫しようともします。
集中してリラックスした時にこそ、工夫のためのアイデアが浮かんできます。
どちらが良いパフォーマンスが出来るか、考えるまでもありませんね。
ただ、やってもやっても思うような結果が出ない時や、ミスや失敗が続いたりした時など、自信を失ってしまうこともあります。そうなるとつい「上手くいかなかったらどうしよう」が浮かんできてしまいます。
その時、もう一人の自分が「あ、今真剣ではなく深刻になってるな。『東京に行けなかったらどうしよう』を考えてるな」とキャッチできること、即ち客観視がこの状況から脱げ出るためのカギになります。キャッチできれば、「そうそう、『どうやったら上手くいくか』を考えるんだった」と自分に言い直すことができます。
そしてまた、大切なことは「また深刻になって!!ダメじゃん!!」とその自分をジャッジしていじめないことです。ただ「深刻になってるな」と受け止めるだけ、自尊感情を高めるためには、「心の中で起きることをジャッジしない」ことが重要です。ジャッジせずに受けとめた上で、「では、どうしていくか」を考え、行動に移すことが真剣な態度です。ただの開き直りではありません。
真剣な時、人は「自分に自信があるかないか」を考えない
「どうやったらできるか」だけを真剣に考えている時は、自信があるとかないとかを考える余裕はありません。
そして日々、「心から実現したいことを、どうやったら実現できるか」だけを考えている人に、「あなたは自分に自信がありますか?」と尋ねてもきょとんとされるでしょう。
「心から実現したいことを、どうやったら実現できるか」を真剣に生きている人が、はた目から見て「自信があるように見える」のが実際のところでしょう。
勿論、特定の技術(英会話や車の運転やプレゼンテーションなど)に自信がある、ないはあります。或いは「今度の商談は中々厳しいかも」など、特定の事柄に自信がある、ないもあります。
人は技術つまり能力と、それに付随する評価を得られたら自信が持てると考えてしまいがちです。
しかし、これらは失う可能性のあるものです。
失う可能性のあるものに、自信の根拠を求めていては不安がつきまといます。
だからこそ、自分よりも高い能力や評価を得ている人をうらやんだり妬んだりして、心が落ち着くことがありません。
自分が大事だと思うことに、深刻ではなく真剣になる
人格を蹂躙されるような精神的・肉体的虐待や圧迫を受けると、自尊心が著しく傷つきます。
「私は何のために生まれて来たのだろう・・・?」「この世にいてもいなくても意味はないのではないか?」
生きづらさとはそのまま「自分への自信のなさ」と置き換えられるかもしれません。
そこから立ち上がるために、「人から受け入れ肯定してもらう」ことは最初のきっかけであり、不可欠なプロセスです。しかし実はこれはほんの入り口であり、最終的な解決ではありません。
他者からの共感と受容を通して、自分を承認し、受容すること、そして「自分が大事だと思うことに、深刻ではなく真剣になる」ここまで来て、傷ついた自尊心は回復します。それは「どうやったらできるか」を考え、行動に移した時点で、「私には大事なことを実現できる」という暗示を自分の潜在意識に入れているからです。Pradoの心理セラピーでは、必ずクライアント様の価値観を引き出す所以です。
だからこそ、「自分はこの世にいて良い」「自分の存在はそのままで価値がある」と誰に言ってもらえなくても自然とそう思えます。
そしてまた、この境地に達すると、人と比べることもなくなります。そのようなことには、意識が向かなくなります。
またこれは、何か特別な活動や仕事をすることでは必ずしもありません。日々の在り方を通じて実現しようとするものです。ですから寝たきりの人であっても、意識がある限り可能です。
当Pradoのクライアント様の、抱えている課題や状況は千差万別です。ですが必ずこの道筋を経て「自分だけの人生」を力強く生きていかれています。