裏切り行為があったというよりも、実際には
「裏切られた!」という悔しさは、人間関係のトラブルの中で最も辛く、精神的にこたえるものでしょう。
最初は確かに信頼し合っていたのに、付き合いの最中で裏切り行為(浮気、不倫、横領など)が起きてしまったケースも勿論あります。
しかし、相手は実は最初から何も変わっていないけれど、相手の感じの良さや親切によって、相手を信じ、しかし心の奥底では「あれ?おかしいな」と薄々感じていたのを、見て見ぬふりをしていたことの方が実際には多いようです。詳しくは後述します。
裏切られた方は深く傷つく一方、相手は何も感じていず、そのことがまた、傷を深めてしまいます。
自分が美化し、歪曲していた「甘い夢」から覚めると、
「いい人だと思っていたのに、騙されていた!ああ信じたくない!」
そして相手を自分の望む「いい人」に変えたくなったり、或いは、騙されてしまった自分を責めたりしがちです。
今回は、「相手は最初から何も変わっていない」「そして自分から騙されてしまう」3つのパターンと、そのメカニズムを取り上げていきます。
人は一旦好意と信頼を寄せた相手を疑うことにストレスを感じる
どんな人も、一旦相手を「いい人だ」と思ったり、またその人が魅力的で、自分に親切にしてくれると尚更、好意と信頼を寄せます。
マスローの欲求段階説の「所属と愛の欲求」は、三番目に根源的なものです。仲間が欲しい、共感しあいたいのは、人としてごく当然の欲求です。心から「そうだよね」「よくわかるよ」と言い合える人に出会うことは、生きていく上で大変重要な要素です。
自分はどんなに孤高の人間のつもりでも、誰かに自分をわかってもらいたい、共感し合いたい、愛し愛されたい、と潜在的に望み、そしてそれを得られると「快」を感じずにはいられません。所属と愛の欲求は犬猫にもあります。欠乏欲求は本能なので、理性である程度自制はできても、消してしまえるものではありません。
そして脳は、一旦感じた「快」を失うことに非常に抵抗します。
失恋が他の人間関係の離別よりも辛いのは、その関係性で得た「快」が大きいから、という側面があります。恋は現実離れすればするほど甘い陶酔をもたらし、なおかつその陶酔は他の人間関係では味わえない「快」があります。
性的な一体感があれば尚更です。恋は盲目とは普遍的な真理でしょう。
人間は、一旦好意と信頼を感じた相手を疑うことにストレスを感じ、脳が抵抗します。所属と愛の欲求が脅かされる、つまり本能が脅かされるので激しい抵抗が起きます。詐欺師が感じが良く親切なのは、人間のこの心理を知り尽くしているからです。
遠い関係性の人だったら、「あれはおかしい」とすぐ気づくことでも、好意と信頼を寄せた相手だと、見て見ぬふりをするか、「あの人のことだから、何か事情があるに違いない」と自分から歪曲しがちです。時には「私が悪いことをしたかな?」と自分を責めてまで、その関係性を失うまいとします。
最終的に騙されていたことに気づくと、「可愛さ余って憎さ百倍」になるのは、この「快」を失うことに対するストレスが非常に大きいことを示しています。
それでは、「自分から騙される」3つのパターンを以下に見ていきましょう。
1.愛情と承認が不足しているほど、「優しくしてくれる人」に騙されやすい
人間の心理には「返報性の原理」があります。
好意を寄せられると、その相手に自然と好意を返そうとします。笑顔であいさつされると、こちらも自然と笑顔であいさつを返そうとするなど、人間関係の潤滑油にもなります。また「恩に報いたい」と自然に思うのも返報性の原理です。
しかし、この返報性の原理を悪用する人も少なくありません。ナンパ師がその典型です。
ナンパ師がターゲットにするのは、例えばアンジェリーナ・ジョリーのような、世界中のいい男からちやほやされることに慣れ切った、自信満々な女性ではありません。
自信なさげな、愛情と承認に飢えた女の子ほど格好のカモにされやすいです。それでいて、自分の虚栄心や支配欲を満たせる程度には、性的に魅力のある女の子を狙います。
ターゲットにした女の子を、ちやほやし、持ち上げ、有頂天にさせます。そこには真の愛はおろか、好意すら存在しません。
しかし、女の子の方は、常日頃愛情と承認に飢えていればいるほど、それを満たしてくれる(ように思える)相手に好意を感じずにはいられなくなります。
これがナンパということです。
また30年ほど前、豊田商事事件というお年寄りをターゲットにした詐欺事件がありました。
騙されたお年寄りの中には、豊田商事会長が、押し寄せたマスコミの前で刺殺され、大々的なニュースになってもなお、自分を騙した豊田商事の若手社員を
「あんないい子はいなかった。自分にこんなに親切に、優しくしてくれた若者はいなかった」
とかばう人もいました。
寂しいお年寄りの心の隙につけこむ悪質な行為ですが、つけこまれた方は中々その洗脳を解きにくいのです。
2.「善人願望」があると「善人を演じる人」に騙されやすい
自尊感情が低い状態とは、言葉を換えれば自己愛(ナルシシズム)が肥大化している状態です。
つまり「ほれぼれとする自分しか愛せない。自分を『いい人』だと思っておきたい。自分の中の怒り、恨み、憎しみを認めたくない」状態です。
どんな感情や反応もそのまま受け止めてくれた親に、育てられた人は他に代えられない宝を得ています。
しかしほとんどの場合、親自身がそう育ってはいないので、子供を「親にとって都合のいい子」に育てようとしてしまいがちです。
社会人になって責任ある立場になったり、子育てをしていくうちに、「憎まれ役を買わざるを得ない」経験を通して、自分の「善人願望」を少しずつでも脱することが出来ます。しかしこれもまた、人によりけりです。
大人になっても「いい人でいたい」という善人願望が抜けきれないと、厄介なことが起こります。
自分を「いい人」だと思っておきたい、これが「自分の周りはみんないい人だと思っておきたい」に転ずることがあります。
そうすると、「善人を演じる人」の格好のカモになってしまいます。
同調圧力の強い日本のような社会では、「いい人でいた方が、社会からはじき出されない」と知らず知らずのうちに思い込んでいることがあります。人間は社会的動物なので、「社会からはじき出される」と、どんなに一匹狼のつもりでも生きていけなくなります。どんな人も潜在的に「社会からはじき出されることの恐怖」を抱えていることでしょう。
美辞麗句(「人は素晴らしい」「苦しい時こそ生かされている」などのきれいごと)、SNSでの美談や人道的な記事のUPやシェア、これらは実は要注意です。こうした美辞麗句や美談を口にする人をいかにも「いい人」のように思ってしまう、そうした思考の罠が人間にはあります。だからこそ、言葉ではなく行動を見ることが重要です。
善人を演じる人に認められ、好意を持たれたと思うと、「私は善人だ。何故ならあのいい人に認められたから。そして善人の私は社会からはじき出されたりしない」と自分を無意識のうちに安心させてしまいかねません。そしてこのかりそめの安心感を一旦得ると、それを手放すのはそう容易ではありません。
3.自分を信じていないと「この人についていけば安心」の権威づけに騙されやすい
人は能力や経験の不足から来る自信のなさと、「等身大の自分でOK」と思えていない自信のなさを、混同していることがあります。
例えば私が、「セラピストをやめます!今日からお寿司屋さんになります!」と仮に決めたとして、「お寿司屋さんとしては自信が持てない」のは当然のことです。しかしそのことと、「私は私でいい」ということとは別のことです。
「私は私でいい」と思えるためには、自分が嘘偽りなく生きている実感が必要です。嘘をつかない、約束を守ることも勿論そうですが、より大切なことは言行一致していることです。即ち「言ったことはやる。やりもしないことは言わない」ことです。
嘘をつくと、他人を騙して自分はいい目をしているようですが、実は「自分はまがい物である」という暗示を自分に入れてしまいます。嘘をつくことそのものが、他人を傷つけるのみならず、自分への虐待になります。
自尊感情の低下とは自己虐待の結果自尊感情(self-esteem)とは「あるがままの自分を大事にする」ということです。これは自己卑下や傲慢とは180度違う態度です。自尊感情を高めることが、誰にとってもたやすければ、人は自分や他人をい[…]
そして嘘偽りなく生きている自分を、心から信じていないと、「権威のありそうな人」「自信たっぷりに振る舞っている人」に「この人についていけば安心」とすがってしまいたくなることがあります。
上から目線でお説教されるのは嫌なものですが、それをする人が後を絶たないのは、「自分は思考停止して、堂々と意見を言ってくれる人の後ろからついていきたい」と思う人も少なくないからでしょう。
真のリーダーシップが取れる人は、こうした依存的な態度を時にそれとなく、時にはっきりと戒めます。しかし、世の中そんな善意の人ばかりではなく、こうした心の隙を、巧妙についてくる人も多いです。
物事をあるがままに見るのは勇気のいる行為
人間の脳は、物事をあるがままに見ているのではなく、「自分にとって都合のよいように」削除したり歪曲したりしています。
目に入る全てのものを脳にインプットはできませんし、世界共通で信号の「赤」が「止まれ」の意味であるのは、人間の脳が「赤」に特別な意味づけをしているからです。
ですから、削除や歪曲は「起こるものだ」という前提に立つことが第一です。
その上で、物事をあるがままに見る、その比率を上げる努力をするしかありません。
あるがままに見るとは、都合の悪いことから目をそらさないことです。失望や恐れ、怒りを感じること、心が傷つくことがむしろ増えます。ですから、これらの感情はOKだ、にしておかないと、あるがままに物事を見ることはできません。
関係が浅いうちの不幸話(「わあ、かわいそう。なんとかしてあげたい」)と共に、ちやほや、美談、美辞麗句は人が人を騙す常套手段です。
簡単には言えない「本当に辛かったこと」ショックな出来事の直後は別ですが、本当に心が深く傷ついたことは、時間がたてばたつほど、人はそうたやすく口に出せないものです。当時の辛い感情を追体験しなくてはなりませんし、また聞き手の無理解にさらさ[…]
甘い夢の世界で生きる方が楽でしょう。しかし私たち人間は皆、夢の世界ではなく現実を生きています。
上記の「自分から騙される」3パターンは、
物事をあるがままに見る勇気と、その習慣づけ
「いい人でなくていい」「等身大の自分でいい」と自分を受け入れること
嘘偽りなく生き、言行一致すること
これらの習慣を身につけることによって、避けることが出来ます。
自尊感情を高めるとは、これらの習慣を身に着けることでもあります。この記事の内容は忘れても構いません。潜在意識が「あれ、おかしいな?」と素早く気づけるようになり、「自分から騙される」3つのパターンにはまることが結果的に減っていきます。
また逆に、自尊感情が高まると、「騙してやろう」と意図する人が最初から寄ってこない、或いは向こうから「この人はカモにならない」と早い段階で感じ取るようにもなります。カモを探し回ってる人は、悠長に構える余裕がないので、「この人は違う」と悟るとすぐ次のカモを探します。人を騙すとは、利用すること。自分の負うべき責任を他人になすりつけ、自分は甘い汁を吸うことです。「あなたは一体どうしたいの?そしてどんなことから始めるの?」と言外に突きつけてくる人には、近寄ることはできないからです。