実は相手を追い詰める「あの人にもいいところがあるんだから」

「人の悪口を聞きたくない」「悪口を言うのは良くない」と思うほど

愚痴や悪口の聞き役になった時に、つい言いがちなのは
「あの人にもいいところがあるんだから・・・!」

しかし、自分が辛い思いをしている時に、こう言われて嬉しい人はいるでしょうか?
「わかってるよ!そんなこと・・・」
と心を閉ざし、それ以上何かを言う気になれなくなった、そんな経験をした人もいるでしょう。

そしてこう言われたところで、心が晴れるわけでもなく、モヤモヤだけが残ってしまいます。人によっては「私が心が狭いから・・」などと自分を責めてしまいかねません。

この世のほとんどの人は、自分が愚痴や悪口を言いたかったとしても、聞くのは嫌なのです。
「そうそう、わかる~!私もあの人には嫌な思いをしたのよ!」と一緒になって悪口を言える場合以外は。

だからこそ、自分が「救ってあげたくなって」、「あの人にもいいところがあるんだから・・・」を言ってしまいたくなります。
しかしこのことは、繰り返しになりますが相手を追い詰めるだけです。

脳は「正しい・正しくない」ではなく「どうすれば生き延びられるか」を学ぶ

悪口を言う方も、理性では「あの人にもいいところがある」はわかっているでしょう。しかし、心では中々受け入れられません。

これは何故かと言うと、人間の脳は「正しい・正しくない」「事実か・そうでないか」を学習するためにあるのではなく、「どうやったら生き延びられるか」を学習するためにあるからです。

「正しい・正しくない」「事実か・そうでないか」を学習したのも、「それを学習した方が、より良く生き延びられる」からです。

人間も含めた生物の二大使命は、まず「生き延びること」、そして「子孫を残すこと」です。例外はありません。
ですので、人間の脳が「どうやったら生き延びられるか」を生まれてから死ぬまで学習し続けるのも、当然のことです。

「あの人は嫌な人!もう近づきたくない!」は

あの人にとても嫌な思いをした。

もう二度とあんな思いをしたくない。またあの嫌な思いをすると、生き延びていけない。

しかし今の自分は対処方法が身についていない。

生き延びるためには「あの人は嫌な人」とラベリングした方が良い。なまじ「いい人」と思うと、またあの嫌な思いをするかもしれない。

あの人は嫌な人、だから近づかなければ嫌な思いはせず、自分は生き延びられる。

こうしたロジックで、脳が生き延びるための学習をした成果なのです。

より根源的な「逃げるか/戦うか」の脳

ところで、人間の感情には色々な種類があります。そして、脳の同じ部分で全ての感情を司っているのではありません。
思いやりや感謝など、人間ならではの高度な感情は大脳新皮質という脳の一番外側の、前頭連合野という前の方で担っています。

一方で、恐れや不安は大脳辺縁系というより内側にある「古い」脳の、扁桃体という別名「脳のパニックボタン」が担います。

大脳辺縁系はまた、本能を司るところでもあります。

恐怖を感じると「逃げるか/戦うか」の反応になる、これは「生き延びるための」本能的な反応です。生き延びるために、この反応自体はなくしてはいけません。

「逃げるか/戦うか」反応は、より「古い」脳が反応している、これは言葉を換えれば、その人の本能がちゃんと機能している証拠です。生きる意欲が極度に低下すると、この「逃げるか/戦うか」反応さえ現れなくなります。

「とにかくあの人から逃げなくては/あの人をやっつけなくては、自分が生き延びていけない」時、「あの人にもいいところがある」と思っていては、逃げることも、やっつけてしまうこともできません。

「あの人にもいいところが・・・」は、極端に言えば「私を生き延びさせようとはしないの!?」と却って敵意を誘発しかねません。
「必死に生き延びようとしていること」を否定することになるからです。

「あの人にもいいところがある」は最終的に自分で気づくこと

ですから、まずはそれほどの恐怖を感じたことを、ジャッジせずに受け止め、共感することが第一です。

「そんなに嫌だったんだ」「そんなに傷ついたんだ」

感情そのものには良い悪いはありません。怒りや恐れなどのネガティブな感情=悪、と意味づけしていると、この共感が出来なくなります。
この時、同意・同感はしなくても構いません。話の内容、コンテンツに入りこまず、「相手がコンテンツをどう受け止めているのか」に焦点を合わせるのがコツです。

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そして共感してもらえると、脳のパニックボタンである扁桃体は沈静化します。扁桃体が沈静化しないと、理性を使って客観視することはできません。

共感してもらって気持ちが落ち着いても、上記の「 しかし今の自分は対処方法が身についていない。」のままだと、「またあの人に会った時に、嫌な思いをしたらどうしよう」という新たな不安が出ます。

あの人、もしくは似たような人に会った時、違う対処が出来るようになりたい、と相手が望んだ時に初めて、こちらが引き出しを開けて「こういうやり方もあるよ」と提案できます。

そして新たな対処方法が身に着いたと実感できた時、もう脳のパニックボタンは押されなくなるのです。「逃げるか/戦うか」反応は起こらなくなります。

その状態になって初めて、「世の中、ああいう人もいるよね」と相対化して事実を受け止められ、また「あの人だって、嫌なところばっかりじゃないけどな」と違う角度から見ることが出来ます。

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「あの人にもいいところがある」はこうした段階を踏み、最終的にその人が自分で気づくことです。

善人願望があると「あの人にもいいところが」を言いたくなる

そしてこちらの自尊感情が低い状態、「ほれぼれする自分しか愛せない」「いい人でいたい」の善人願望が強いと、つい「あの人にもいいところが」を言いたくなります。

そういつもいつも、いい人ではいられない、内心では恨みや憎しみが煮えたぎることもある、そういう自分を受け入れられないと、目の前にいる人が恨みや憎しみに煮えたぎっていることに、自分が耐えられなくなります。

善人願望が強いと、「自分はいい人⇒自分の周りの人もいい人」と思っておきたくなるのです。

「あの人にもいいところが」は相手のためでなく、自分がおきれいな自分でいたいからになっていないか。これを振り返ることが、結果的に相手も自分も守ります。

「あの人は嫌な人」のラべリングはいつか外せる時が

ただし、「あの人は嫌な人」とラべリングしっぱなしであることは、実は私たちの自我という心の器、「ねばならない」と「したい」の調整弁となる心のしなやかさを、実は損なってしまいます。

人間は複雑な存在です。

いわれのない攻撃を受け、心が深く傷ついたときは「あの悪魔!」「あいつは人間のなりそこないだ!」と内心であっても罵倒せずにはいられなくなることもあります。しかしそれは実は、人間の存在の複雑さを理解しようとすることに、今の自分は耐えられないということでもあります。自分の自我がそれだけ弱いから、という側面でもあるのです。

人は愛し、受け入れるよりも、憎み、蔑む方がずっと楽なのです。戦争をするより、平和を築く方がずっと難しいのです。

しかし私たちの自我、心の器は、葛藤を乗り越えることでしか鍛えられません。

「あの人は嫌な人」のラべリングは、実はこの葛藤を乗り越えるという私たちの宿題を先送りしています。先送りしなくては、今の自分は生き延びていけない、ということでもあります。

かつては「あの人は嫌な人」と思っていたけれど、長い時間ののち、自分から「あの人にも私にはない立派なところがあった」とか、「あの人がああなるのは、致し方なかったんだ」と思えた経験は、多くの人にあるでしょう。

ですから、あの人のためだけではなく、自分自身のためにも「いつかこのラべリングは、外せる時が来るかもしれない」と思うことも、自分も他人もかけがえがないという自尊感情を高めるために、大切なことだと思います。

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生きづらい貴方へ

自尊感情(self-esteem)とは「かけがえのなさ」。そのままの自分で、かけがえがないと思えてこそ、自分も他人も大切にできます。自尊感情を高め、人と比べない、自分にダメ出ししない、依存も支配も執着も、しない、させない、されない自分に。