0か100か思考をやめるには・過度な一般化とナルシシズム

「0か100か思考」の背景とは

自尊感情が低いと思考の柔軟性に欠けるため、「0か100か思考」になりやすいです。これは自分に厳しい完璧主義のようですが、実際は異なります。

仕事に愛情を持てばこそ、安易な妥協をせず、改善点を探し続けることとは根本的に異なります。一方で仕事には締め切りや予算、人的資源の限度があります。その限度の枠内で、責任を果たすのが仕事です。資金を青天井でつぎ込むのは、道楽であって仕事とは言えません。

その時の限度の枠内で、ベストを尽くし「やるだけのことはやった」と自負を持つことと、仕事の評価は別物です。仕事の評価は基本的に他者がするものです。

「0か100か思考」は「(仕事や、作品ではなく)自分の存在が完壁である筈だ」という自己陶酔が背景にあります。「ほれぼれとするような、非の打ち所がない、瑕疵のない自分である筈だ」が後述するナルシシズムであり、虚栄心の温床です。自尊と虚栄は反比例の関係です。

そして実際には「思ったように完壁ではない自分」を受け入れるのが苦痛なため、結果「0」に、何もしない事を選択してしまいます。何もせずじっとしていれば、「完璧でない自分」を見なくて済みます。

しかし人は、行動しなければフィードバックを得られません。何の氣づきもなく、成長が止まってしまいます。そしてますます自分を縮こまらせてしまう悪循環に陥ります。

「0か100か思考」をやめたい、と悩んでいる人は少なくありません。そもそも「0か100か思考」はなぜ起きるのでしょうか?そして何をすれば「0か100か思考」を脱することができるのでしょうか・・?

過度な一般化・脳は楽をしたがる

ところで、脳は他の体の器官よりも多くのエネルギーを使います。一日に約400kcal、ご飯二膳分、一日の総摂取カロリーの約20%を脳が使っています。ノーベル賞受賞者の学者さんで、肥満体の人を少なくとも私は知りません。

そして人間に限らず、動物は飢餓に備えるために省エネモードになっています。体でも脳でも「楽をしたがる」のは、この省エネモードのためです。脳が楽をするためにやるのは「過度な一般化」です。

0か100か、白か黒かで物事を決めつけて、脳の中に入れた方が楽、それが過度な一般化です。「男はみんな浮気する」「女は受け身」「○○人は△△だ」物事に単純化されたラベルをつけて、脳の中に入れる方が楽なのです。あらゆる角度から詳細に考える方が面倒くさいのです。

しかし現実は大変複雑で、また流動的です。白と黒の間には、無限のグレーがあり、そのグレーがマーブルになってしかも動いているのが現実で起きていることです。

この過度な一般化と、自己陶酔、即ちナルシシズムが組み合わさると、0か100か思考から中々抜け出せなくなってしまいます。

ナルシシズム・自己陶酔とは「死に至る病」

この自己陶酔が危険なのは、それが「死に至る病」だからです。
自己陶酔はナルシシズムとも言われますが、ナルシシズムの語源となるナルキッソスのギリシャ神話があります。

森の妖精(ニュンペー)のひとりエーコーが彼に恋をしたが、エーコーはゼウスがヘーラーの監視から逃れるのを歌とおしゃべり(別説ではおせじと噂)で助けたためにヘーラーの怒りをかい、自分では口がきけず、他人の言葉を繰り返すことのみを許されていた。

エーコーはナルキッソスの言葉を繰り返す以外、何もできなかったので、ナルキッソスは「退屈だ」としてエーコーを見捨てた。
エーコーは悲しみのあまり姿を失い、ただ声だけが残って木霊になった。

これを見た神に対する侮辱を罰する神ネメシスは、他人を愛せないナルキッソスが、ただ自分だけを愛するようにする。ある日ナルキッソスが水面を見ると、中に美しい少年がいた。もちろんそれはナルキッソス本人だった。ナルキッソスはひと目で恋に落ちた。

そしてそのまま水の中の美少年から離れることができなくなり、やせ細って死んだ。
また、水面に写った自分に口付けをしようとしてそのまま落ちて水死したという話もある。

ナルキッソスが死んだあとそこには水仙の花が咲いていた。この伝承から、スイセンのことを欧米ではナルシスと呼ぶ。
また、ナルシシスト(ナルシシズム)という語の語源でもある。

Wikipediaより 下線は足立による)

このように、ナルシシズムとは自滅への道なのです。水辺から立ち上がり、周囲の世界へ目を向け歩き出さなくては、「美しい自分像」に自ら溺れてしまいます。

ナルシシズムから脱するために

ナルシシズムは誰もが持って生まれています。殊に十代後半から二十代前半くらいまで、人はナルシシズムと自信のなさの間を揺れ動いています。経験が浅く、それでいて自意識過剰になりがちな青春まっただ中の時、これは誰しも避け得ない道です。

そして徐々に、多くの人々と出会う中で、自分が思っていたほどには、自分は美しくも賢くも優しくもない、という現実を目の当たりにしていきます。

自分は他の人と違う、特別な存在だと思っていたかった。でも隣のAさんともBさんともそうは変わらない、ただ個性が違うだけだと氣がつきます。この世には特別な人などいない、ただ「普通の人々」がいるだけ。言葉を換えれば、全員特別な人です。

自分よりも優れた人はたくさんいるでしょう。しかし優れた人ほど陰の努力が凄いものです。陰の努力は「0か100か」になっていないからこそできます。

普通の人間同士が力を合わせるから素晴らしいのです。それを一番よく教えてくれるのは失敗であり、挫折です。失敗を許してもらったり、かばってもらったり、至らなさを長い目で見てもらったりしなければ、私たちは誰も生きていけません。皆お互い様であり、そうやってやっと生きていけると実感していきます。それを実感する程に「ほれぼれとする素敵な自分でなくてはならない」が、意味がないものだとわかってきます。

しかし、失敗や挫折は財産だ、と思えないままだと、「水鏡に映った完璧な私、すっころんだり、失敗することなどない完璧な私」に恋をし溺れます。「そうではない現実の自分」を罰し続けてしまいます。

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こんな残酷な事があるでしょうか?決して逃れられない自分自身から罰し続けられること、これが「死に至る病」です。

ナルシシズムを脱するとは、失敗や挫折の深い意味を自分のものにすること、本当の謙虚さとは何かを知ることです。

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まず「最低限ここまではやる」細分化の練習

「0か100か」「成功か失敗か」の思考が自分は強いなと思い、それを変えたいのであれば、日常の中で「最低限ここまではやる」を意識して実践してみましょう。

恐らく誰も皆、例えば「朝は時間がなくて、お化粧は眉と口紅だけ。昼食後に改めてフルメイクをした」といった経験があるでしょう。一日にやる仕事も「最低限これとこれは今日中にやる。余力があれば何々をやる」などと優先順位付けをしているでしょう。これを他のことにも意識して広げます。

家の片づけが得意な人は、口を揃えて「目についた時にちょこちょこと片付ける」と言います。いっぺんに片付けようとするのではありません。片付けが苦手な人ほど「一氣に全部片づけるか、いっそ何ももしないか」の「0か100か」になりがちです。ただでさえ苦手なのに「一氣に片付けよう」と思うから、結局ずっと「何もしない」。つまり散らかったままになります。例えばテーブルの上だけ、それも面倒ならペンをペン差しに戻すだけ、そうした細分化の練習から始めてみます。

この細分化も、かなり意識しないと中々やりません。

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細分化して考えるとは、「全体は部分から成り立っている」を意識することです。上述した通り、脳は過度な一般化をしたがり、「完成か、何もないか」と捉えがちです。しかし当たり前ですが、どんなものでも、完成までの間に無数のプロセスがあります。私たち現代人は、便利な世の中に慣れ過ぎて、「背後の無数のプロセス」を想像できなくなっているかもしれません。

0か100か思考が強い人は、「木を見て森を見ず」の反対の「森を見て木を見ていない」になっていないかどうか、振り返ってみましょう。森は一本一本の木、そして土や草、森の中で生きる様々な生物があって成り立っています。その一つ一つを見ずに、森という一つの塊だけが存在しているかのように捉えていないかです。

正確さが求められること、一定の水準が求められること、完璧も完成もないこと

そしてまた、世の中には完璧というより正確が求められる事柄と、完璧も正解もない事柄と、その中間に、完璧はないけれどある一定の水準は求められる事柄があります。世の中に「完璧なカレーライス」はありません。しかし「500円のカレーライス」も「2000円のカレーライス」もあり、それぞれ求められる水準が異なっています。伝票記入は正確であることが求められますが、お客様を大事にする心に完璧はありません。「私はお客様を完璧に大事にしています」はおかしなことです。真剣に取り組めばこそ「道はまだまだ遠い」と、そう思えてこそ一人前です。

0か100か思考から脱するためには、こうした様々な角度から考える頭の体操と、細かいプロセスに落とし込んで実践するきめ細やかさが大切です。これは誰かにできて、誰かにはできないものではありません。但し、意識して自分自身が取り組むこと、受け身ではないこと、これが必須条件になります。

【音声版・自尊感情を高める習慣・6回コース】

1回約20分、6回コースの音声教材です。

第1回 自尊感情とは何か。何故大事か
第2回 全ての感情を受け止め、否定しないことの重要性
第3回 「何が嫌だったか」を自分に質問する。目的語を補う
第4回 期待通りに成らない現実を受け入れざるを得ない時
第5回 小さな一歩を踏み出す・最低限のラインを決める
第6回 人生が変わるのは知識ではなく氣づき

第1回目は無料で提供しています。まず一週間、毎日聴き、ワークに取り組んでみて下さい。その後更に日常の中で実践してみたくなったら、6回分の音声教材(税込5500円)をご購入下さい。

🔗第1回・要約・氣づきメモ

6回分ご購入をご希望の方は、以下のフォームよりお申し込み下さい。

    弊社よりメールにて、振込先口座をご連絡します。振込み手数料はお客様負担になります。入金確認後、6回分の音声教材とPDFが表示される限定公開のURLとパスワードをメールにてお送りします。

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    生きづらい貴方へ

    自尊感情(self-esteem)とは「かけがえのなさ」。そのままの自分で、かけがえがないと思えてこそ、自分も他人も大切にできます。自尊感情を高め、人と比べない、自分にダメ出ししない、依存も支配も執着も、しない、させない、されない自分に。