「終わったことをくよくよ」から抜け出すために

終わったことをいつまでもくよくよしてしまうのは

「しまった!ああすればよかった、こんなことするんじゃなかった」と後悔し、その後もずっとくよくよしてしまう・・・誰にでも経験があるでしょう。
「しまった!」と一瞬思う、この反応は、その人の責任感や良心の表れでもあります。

しかしこれが「終わった後もいつまでもくよくよ」の後悔になると氣が滅入ります。

「成功は自分のおかげ、失敗は他人のせい」くらいに考えている図々しい人は、こうした悩みを持ちません。

一方で、責任感も良心もちゃんとあり、その時は「しまった!」と一瞬思うけれど、後々までくよくよしない人もいます。

この違いは一体何でしょうか?
どのようにすれば、責任感や良心を持ちつつ、出来るだけ早く「くよくよ」から抜け出せるようになるのでしょうか・・・?

後悔は「違う選択が出来たはず」の自分があるから

人間は「最初から出来もしないこと」には後悔はしません。「出来たはずなのに、しなかった」ことに後悔します。

ところで、多くの人の座右の書である「君たちはどう生きるか」(吉野源三郎著)は、戦前の旧制中学二年生、15歳の少年コぺル君の成長物語です。戦前に発売され、今なお世代を超えて読み継がれるロングセラーです。

ある日、コぺル君は友人の北見君が上級生から目を付けられ、リンチを受けるかもしれない、と話を聞きます。

他の二人の友人と共に、北見君を守る約束をしたコぺル君でしたが、ある雪の日、とうとうその上級生らが北見君を殴りつけます。
二人の友人は北見君をかばいましたが、

「北見の仲間は、みんな出てこい!」と上級生にすごまれた時、コぺル君は恐怖のあまり足がすくみ、とうとう出ていくことが出来ませんでした。

激しい後悔から、ついに高熱を出して寝込んでしまうコぺル君。

病気が治りかけたころ、コぺル君のメンターである叔父さんに、心の内を涙ながらに洩らします。

「叔父さん、僕ね・・・とてもすまないことを、しちまったんだ」

叔父さんはコぺル君の話を受け止めた後、こう言います。

「そうか、そんなことがあったのか。
・・で、コぺル君、君はどうしようと思うの?」

コぺル君は北見君に、本当にすまないと思っていること、北見君が殴られた時、平氣で見ていたのではなく、とても心配してたことをわかってもらいたい、と叔父さんに打ち明けます。

「僕、どうしたらいいんだろう・・・?」
「そんなこと、考えるまでもないじゃないか、今すぐ手紙を書いて、北見君にあやまるんだ」
「でも、叔父さん、そうすれば北見君は機嫌をなおしてくれるかしら・・・?」
「それは、わからないさ」
「じゃあ、僕、いやだ」

すると叔父さんは、普段見せたことのない厳しい調子で叱責しました。

「潤一君(コぺル君の本名)!そんなことを考えるのは、まちがってるぜ。なぜ男らしく、どこまでも責任を負おうとしないんだい?
どんなに辛いことでも、自分がしたことから生じた結果なら、男らしく耐え忍ぶ覚悟をしなくちゃいけないんだよ。
考えてごらん、今度の失敗だって、そういう覚悟が出来ていなかったからだろう?
一旦約束した以上、どんなことになっても、それを守るという勇気が欠けていたからだろう?」

道義の心から「しまった」と思う、人間だけが持つ苦しみ

その後叔父さんは、コぺル君に宛てたノートにこう綴っています。

自分の行動を振りかえって見て、損得からではなく、道義の心から、「しまった」と考えるほどつらいことは、恐らくほかにないだろうと思う。

そうだ。自分自身そう認めることは、ほんとうにつらい。だから、たいていの人は、なんとか言い訳を考えて、自分でもそう認めまいとする。

しかし、コぺル君、自分が過った場合にそれを男らしく認め、そのために苦しむということは、それこそ、天地の間で、ただ人間だけが出来ることなんだよ。

あるがままの自分を大切にするとは、「言い訳をして認めない」ことの正反対です。「間違いを犯した自分」をそのまま受け止めること、これには勇氣がいります。自分自身の在り方について、率直に向き合い、反省するのは実は難しいのです。歳を重ねて、余計な面子があれば尚のことでしょう。

この時生じる苦しみは、「人間だけが感じる」ことができるものであり、これが人間の高貴さを作ります。

後悔を反省に変えるために必要なことは

ただくよくよ、グズグズと後悔することと、高貴さに変えていくこととの間には、どんな違いがあるでしょう・・・?

コぺル君は確かに後悔していました。それは叔父さんも認めていました。

しかし、「北見君が自分を許してくれないのなら、謝りたくない」という態度を、叔父さんは決して許しませんでした。

「許してくれるのなら、謝る」では本当の謝罪にはなりません。取引でしかなく、心からの反省ではありません。叔父さんはコぺル君のこの態度を厳しく戒めました。

コぺル君には叔父さんが言った通り、「北見君に率直に謝る」しかありませんでした。
しかし叔父さんに言われるまで、それをしなかった、つまり「くよくよと悩む」状態でした。

これには「もし、北見君が許してくれなかったらどうしよう」「北見君が自分を許してくれないことを、受け入れられない」「北見君が自分を許してくれることしか、欲しくない」という心情が見て取れます。

ここには実は、「自分が世界の中心にいて、世界は自分の考えた通りにあるべきだ」という幼児的万能感が隠れています。

後悔と似ていますが、自責も実は、「現実にはそうふるまえなかった自分」を受け入れられない幼児的万能感が背景にあります。

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幼児的万能感は「ぬくぬくとした心地よさ」です。これを打ち砕き、自尊感情ーコぺル君の場合、友達との約束を、恐怖のためにやぶってしまったふがいない自分も、また自分だ、ということーへ移っていくには痛みが伴います。

この痛みとは、叔父さんの言葉の中にある「責任」「男らしく(これは女性であっても、女々しくではなく雄々しく、凛とした態度のことでしょう)耐え忍ぶ」「覚悟」「勇氣」のことです。

「しまった!」と一瞬思った後に、くよくよする後悔にはまり込むのか、起きてしまった現実を、そのまま受け入れ、反省にするのかの分かれ道はここにあります。

後悔は「思うようにふるまえなかった自分」をただ責めていじめることです。「もっとこうできたはずなのに!」「でもできなかった、ああ情けない(その自分を受け入れたくない)」のスパイラルに自らはまり込んでいます。

反省とは、「次に同じようなことが起きた時、どのようにふるまうのか?それをするには何があればいいのか?」を考えることです。この反省をしない限り、人は成長しません。反省には「思った通りにできなかった自分」をそのまま受け入れる自己受容が必要です。

くよくよと後悔している人に、多くの場合、人はそれ以上ー叔父さんのようにー厳しく言いません。本音のところはそれを狙って、「反省することから逃げる」ことも、少なくないでしょう。勿論それは、卑怯な態度です。

理想に近づこうとする努力と、理想通りには生きられない受容と

15歳のコぺル君に幼児的万能感が残っていたのは、無理からぬことです。
しかしまた幸いなことに、コぺル君には真実を教えてくれる叔父さんの存在と、つらい言葉でも耳を傾ける素直さがありました。

コぺル君はこの後勇氣を出して、北見君へ謝罪の手紙を書きます。そして勿論、北見君も他の二人の友人も快くコぺル君を許します。

コぺル君の人生はこの後も続きます。「道義の心から『しまった』と思うこと」はまた起こるでしょう。

叔父さんが説いた勇氣は、持って生まれた性格ではなく、後天的に自分で育てるものです。
コぺル君がどんなに勇氣を育て続けても、やはりまた「恐怖で足がすくみ、大事な友人を裏切ってしまう」ことは起きるかもしれません。

それほど勇氣を持つ、勇気を育て続けることは、誰にとっても決してたやすくはありません。

勇氣ある自分、その理想に近づこうと努力することと、同時に常に理想通りには、誰も生きられない、これを受け入れることもまた、勇氣です。

自尊感情が高まるとは、この外側からは決してわからない、勇氣に満ちることでもあるのです。

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