お節介と思いやりの違い・脳の機能の観点から

人間関係を壊す「善意のつもり」のお節介

どうも悪意のあるいじわるよりも、むしろ、善意のつもりのお節介の方が人間関係をきしませている方が多いようです。

悪意のあるいじわるは、それをすると自分がつまはじきにされるリスクがあります。

一方で、お節介はほぼ100%善意の”つもり”ですから、実は相手の自尊心が傷ついているのに気がつかなかったり、断られるとひどい場合は逆切れしたり、などが起こります。

何故人はお節介を焼くのでしょう。そして真に必要とされている思いやりとはどう違うのでしょう。
これを脳の機能の観点から掘り下げてみたいと思います。

同情はミラーニューロン、思いやりは前頭連合野

ミラーニューロンは、人間とマカクザルにだけ確認されている脳の神経回路の一種です。ミラーとは鏡の意味です。

相手を自分の鏡と捉える脳の神経回路です。

幼い子供に離乳食を与えようとする親が、「はい、あーん」と言って自分も口を開けると子供も口を開ける、その時にスプーンにのせた離乳食を口の中に入れる・・これもミラーニューロンの働きがあればこそです。

ミラーニューロンは生後12ヶ月までに発達します。
また「他人の痛みを自分の痛みのように感じる」のは、人間ならではの反応です。

野生動物は育つ見込みのない子供には(人間から見れば非情なほどに)もう乳や餌を与えません。これは彼らにミラーニューロンがないからできることです。そうして彼らは厳しい環境を生き抜いています。

一方で人間は他の動物より格段に弱い肉体を持っています。他の野生動物や自然の脅威からこの弱い肉体を守るために、共同体を作ることを人間は学習し、獲得しました。

ここで「互いに助け合って」共同体を維持するために、発達したのがミラーニューロンではないかと思われます。

他人の痛みを自分の痛みのようにミラーニューロンが感じるからこそ、助けようとする。こうやって助け合わなくては生き延びていけない時代が非常に長かったのです。

他の生物の進化と同様に、人間の脳も「どうしたら生き延びていけるか」を学習しながら進化します。
人類の歴史は20万年と言われていますが、そのうち文明を発明したのはごく最近、5000年ほどのことです。それ以前は他の野生動物同様、「とにかく肉体を守り、子孫を残す」ことに明け暮れていました。

思いやりは想像力、そして「自分と他人は違う」ということ

ミラーニューロンの「他人の痛みを自分の痛みのように感じる」のは反応です。これは同情であり、また共感の最初の一歩でもあります。情緒的な優しさも、このミラーニューロンの働きによることが大きいでしょう。
また、ミラーニューロンは大脳新皮質のやや後ろの方にあります。

しかし一方で、「自分と他人は違う」のもまた厳然たる事実です。自分のミラーニューロンの反応通りに、相手が感じているとは限りません。

例えば、セッションの終わり頃、雨が急に降り出し、私がクライアント様に良かれと思って「傘をお貸ししましょうか?」と言ったとします。

このとき、もしかするとそのクライアント様は、雨にぬれることより傘を借りることの方がストレスに感じるかもしれません。
その時「いえ、結構です」と断られたのに、私が「雨にぬれるなんていやなはずでしょ!?風邪引くでしょ!?どうして傘を借りようとしないの!?」などと言ったらとんだお節介です。

思いやりはミラーニューロンの反応とは異なり、想像力です。「相手の立場に立って考える」ことであり、情緒よりもむしろ理性を働かせることです。
そしてこの思いやりは大脳新皮質の中でも前の方、額のあたりにある前頭連合野が担います。前頭連合野の完成は脳の中で最も遅く、20歳から25歳ごろと言われています。

ミラーニューロンの「他人の痛みを自分の痛みのように感じる」反応がなくては助け合いは始まりませんが、これだけで突っ走ると、例えば被災地の受け入れ態勢が整っていないのにボランティアに押しかけようとする、などと言ったことが起こります。
これは相手にとっては有難迷惑であり、ただの自己満足に過ぎません。

ミラーニューロンの反応と、前頭連合野の想像力を組み合わせてこそ、真の思いやりへ一歩を踏み出せます。

”No,thank you.”を受け入れられないのは「Noと言われるのが怖い」から

前述の傘の例ですが、「自分だったら傘を借りられたら助かるけれど、相手はどうかな?」と思いながら一旦訊いてみて、そして”No,thank you.”ならさっと引き下がる、これならお節介にはなりません。

この時、”No,thank you.”と言われたら傷ついてしまう、がっかりしてしまう場合は、自分を振り返ってみる契機にできます。

がっかりする、というのは何かを期待していて、それを得られなかった時に感じる感情です。
期待していたものは何だったのでしょうか・・・?

人は誰かの役に立つことに喜びを感じ、生きがいを感じます。自分がこの世界で必要とされている、この感覚ほど私たちを鼓舞するものもないでしょう。「自分は誰からも必要とされてない」何不自由なく暮らせても、こうした心情が自殺のきっかけにもなりえます。

誰かの役に立ち、その上感謝までされると承認欲求が満たされます。
承認欲求は誰にでもあります。しかし承認されるのはあくまで結果です。これが目的になってしまい、他人から求めずにいられなくなると、「承認を強要する」ことになりかねません。

そして”No,thank you.”と言われると、「どうして私を承認してくれないの!?」という不満が残ったりします。
これでは、誰の、何のための行為なのかわかりません。

承認欲求は大脳基底核という脳の深いところが反応しています。つまり脳の中でも古い部分です。

自尊感情が豊かな人は、自己承認の習慣がついています。自己承認とは、もう一人の自分、つまり前頭連合野が担う客観的な自己が、大脳基底核の反応をなだめている状態です。ですから、ことさらに他人からの承認を得ようとしなくなるのです。

自尊感情は前頭連合野が担います。自尊感情が高まると、おのずと、思いやりをかけられるようになります。そして「今はあえて手も口も出さない」忍耐力が付きますので、お節介を焼かなくもなります。

「君は相手を見ていない」

あるレディースコミックでのエピソードです。

30歳手前の会社員の女性が、海外からのクライアントの接待を命じられます。「何時にどこそこにお連れして、夕食はどこそこで」と念入りに計画を立てたものの、そのクライアントは計画を無視して、自分が行きたいところに行こうとします。
「あの・・次はどこそこで・・」と計画通りにクライアントを連れて行こうとする主人公。
その仕事ぶりを見て、上司は一喝します。

「ホスピタリティは相手の願いを読み取る能力だ。
君は自分の頭で思い描いた通りにならなければ気が済まないのか。
そんなのは自己満足でしかない。仕事じゃない!
君は相手を見ていない。一体何を見ているんだ?」

お節介とは相手を見ていないがためにやってしまうことです。そしてこれは、ほぼすべての人が陥ってしまう罠でしょう。「私はやりません!」は、これもまた思い上がりに過ぎません。
誰しもうっかりするとやってしまう、そして「相手を見る、少なくとも見ようとする」のは、かなり意識的な努力なしにはできません。つまり、難しいのです。

思いやりとは見返りを求めないこと

私の母が若い頃の話です。

ある日バスに乗っていると、前の席に座っていた男性が、ある停留所の前で立ち上がりました。
「降りるのかな?」と思っていたら、降りようとはせず、吊革を握って立ったままでした。
「どうしたのだろう・・・?」と母が不思議に思っていたら、一人のお婆さんが乗ってきて、その男性が座っていた席に当たり前のように座りました。

母やその男性が座っていた座席は歩道側で、男性は停留所でお婆さんが待っていたのを窓から見ていたのでしょう。

思いやりは「誰が見ていても見ていなくても、気づいても気づかなくてもする」のが本物です。
それには孤独に耐える力が必要で、「自分で自分を大切にする」自尊感情を高める習慣に培われてこそのものなのです。

【音声版・自尊感情を高める習慣・6回コース】

1回約20分、6回コースの音声教材です。

第1回 自尊感情とは何か。何故大事か
第2回 全ての感情を受け止め、否定しないことの重要性
第3回 「何が嫌だったか」を自分に質問する。目的語を補う
第4回 期待通りに成らない現実を受け入れざるを得ない時
第5回 小さな一歩を踏み出す・最低限のラインを決める
第6回 人生が変わるのは知識ではなく氣づき

第1回目は無料で提供しています。まず一週間、毎日聴き、ワークに取り組んでみて下さい。その後更に日常の中で実践してみたくなったら、6回分の音声教材(税込5500円)をご購入下さい。

🔗第1回・要約・氣づきメモ

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    生きづらい貴方へ

    自尊感情(self-esteem)とは「かけがえのなさ」。そのままの自分で、かけがえがないと思えてこそ、自分も他人も大切にできます。自尊感情を高め、人と比べない、自分にダメ出ししない、依存も支配も執着も、しない、させない、されない自分に。