頑張りすぎて疲れてしまったときは、振り返りのサイン
努力すること、少々辛いことでも忍耐すること、これらは人の成長にとって不可欠なことでしょう。
しかし
「つい頑張りすぎてしまう」
「頑張っても頑張っても達成感がない、自分に自信が持てない」
「頑張った自分をほめてあげられない」
場合、一旦立ち止まって自分を振り返る必要があるでしょう。
努力して成長するのは、元々は幸福になるためだった筈。
つい頑張りすぎて疲れ果て、消耗してしまうのは、「この頑張りが自分を幸福にはしていませんよ」という潜在意識からのサインです。
人間の行動の二つの動機、愛か恐れ
人間の行動の動機は目に見えません。
私たちは目に見える
「何をやったか」
「たくさんやったか」
「難しいことをやったか」
で行動を評価しがちですが、心にとって重要なことは
「どんな動機でそれをやったか」
です。
人間の行動の動機は二つしかない、それは愛か恐れかだ、と言われます。
恐れは生き延びるための本能です。津波が来たら走って逃げるのも、この恐れがあればこそです。ですから、恐れを失くすことはできませんし、また失くしてもいけません。
しかし、平時は恐れよりも愛が上回っていることが心のためには大切です。
そして愛は、後天的に学び身に着けるものです。思いやりと言ってもいいでしょう。愛は単に、気持ちが優しいことではありません。現実と向き合い、何が大事かを判断し、たとえ相手に憎まれても必要なことをすることです。
これには想像力と勇気、一貫性を伴った実践力が必要です。口だけの人は愛を実践している人とは言えません。或る程度の年数を生きている人なら、「気持ちは優しいけれど、思いやってはいない人」の一人や二人に、出会ったことがあるかもしれません。
同じ行動であっても
「人の役に立ちたい」
「いい世の中になるために貢献したい」
「自分や周囲を大事にしたい」
という愛が動機になっているのか。
「人から嫌われたらどうしよう」
「上手くいかなかったらどうしよう」
「お金が入らなかったらどうしよう」
という恐れが動機になっているのかです。
「頑張り過ぎてしまう」「頑張り過ぎて疲れ果ててしまう」時は、この「~だったらどうしよう」の恐れが動機になっています。
また「~だったらどうしよう」は、「人から嫌われる/上手くいかない/お金が入らない」フレーム(枠組み)で物事を見ています。人は自分の見ているフレームの中に、否が応でも突き進んでしまいます。ですのでこのままだと、「人から好かれる/上手くいく/お金が入る」はどんなに頑張っているつもりでも、残念ながら実現しません。「彼に振られたらどうしよう、どうしよう」とだけ考えていて、彼とラブラブになることはないのと同じです。だからこそ、疲れ果ててしまいます。
行動の動機を恐れから愛へ変えるワーク
もし、「頑張りすぎて疲れる」場合、「~だったらどうしよう」の恐れはどのようなものがあるのかをまずは探ってみましょう。
人はどんなことであれ、メリットのないことはしません。
貴方がこれまでの人生で、頑張ることによって得て来たものは何だったでしょうか?
思いつく限りたくさん書き出してみましょう。
例:
- 仕事や勉強の能力
- 周囲からの評価
- 人から信頼される、期待される
- 会社での地位、収入
- 結婚、家庭
- 子供に教育を受けさせられる
- 子供に努力の大切さを教えられる
そして上記のような事を得て来た貴方は、どのような人だと思ってもらいたいでしょうか。
(実際にどう思われているかは問いません。それは相手でなければ本当のところはわからないからです)
家庭(親、夫、妻、子供)、職場、地域社会等、それぞれの立場で書き出してみましょう。
例:
- 頼りになるリーダー、マネジャー
- 家族を守っている父親、母親
- 親を安心させられる息子、娘
そしてこれらのことを、一つにまとめると、貴方はどのような人でしょう?
例:
- 誠実な人
- 信頼される人
- 愛される人
そして貴方がもう既に、上記のような人だと仮定します。
イメージの中で、誰かが優しい笑顔で、その貴方を祝福しに来ます。
「おめでとう、本当によく頑張ったね」と。
誰に一番、その言葉を言ってもらいたいでしょう・・・・?
・・・多くの人が、「お母さん」と答えます。
貴方の場合は、誰だったでしょう・・・?
そして「頑張らなければ、誠実な/信頼される/愛される人だと(お母さんに)思ってもらえない!」という恐れがないかどうか、静かに心に尋ねてみましょう。
もしかすると、今の自分は十分には「誠実な/信頼される/愛される人」とは思えないかもしれません。しかし、「誠実/信頼/愛」が大事だ、と思っていることは事実です。ですので、「頑張らなければ○○な人だと思ってもらえない!」をひっくり返します。
<アファメーション>
「私は誠実/信頼/愛が大事だと思っています。これらを大事に思う心には自信があります。そして誰が気づいても気づかなくても、日々の行動が誠実/信頼/愛の表れとなることに、喜びを感じます。誰が気づかなくても、私自身が気づいています」
「こうしないとお母さんに認められない、愛されない!」という思い込みの解除
小さな子どもはどの子も、「お母さんに認めてもらいたい」のです。子どもたちは無償の愛と、承認がなくては生きていけません。
お母さんの言葉は子どもにとっては「神の声」です。言葉だけでなく反応、態度も「神の声」です。
お母さんの言葉、反応、態度を通して、子供たちは「こうすれば認められる、愛される、この家に置いてもらえる」という思い込みを潜在意識に刷り込んでいきます。
(優しい子だったら、頑張る子だったら、明るい子だったら、聞き分けのいい子だったら、きちんとした子だったら・・・)
逆から言えば「こうしないと認めてもらえない、愛されない、この家に置いてもらえない!」です。
これが潜在的な恐れとなります。
およそ10歳から12歳くらいまで、子供は「お母さんはそう言うけれど、本当にそうかな?」と自分の頭で考えなおすことはできません。お母さんの「神の声」がそのまま刷り込まれてしまいます。
これが「つい頑張りすぎてしまう」正体です。
勿論、健全な親なら「こうしなければ認めない、愛さない、この家に置かない!」などと、心底思っているわけではありません。
子育て時期の若い親御さんご自身が、「どんな自分でもOKだ」と思えていないと、「こういう自分でなければ認めてやらないぞ!」「こんな自分はダメなんだ!」と思えば思うほど、親御さんの恐れが、子供に連鎖してしまいかねません。
しかし、人は自分で自分を教育しなおすことができます。
自尊感情豊かかどうかの違いは、「自分で自分を教育しなおすことができる」と思っているかどうか、或いは「こんな親に育てられたから/子供の頃いじめられたから/これこれの生い立ちだったから/自分は愛や自信や勇気が持てないダメな人間だ」と自分で自分をあきらめてしまっているかの違いなのです。