3つの自己虐待・「いないことにされた私」

自尊感情の低下とは自己虐待の結果

自尊感情(self-esteem)とは「あるがままの自分を大事にする」ということです。

これは自己卑下や傲慢とは180度違う態度です。
自尊感情を高めることが、誰にとってもたやすければ、人は自分や他人をいじめ、振り回し、自分から悩みを作りだしたりはしません。

何故、自尊感情は低下するのでしょう・・・?

他人からいじめられたり、否定されたり、信頼を裏切られたり、こうしたことは自尊感情を低下させる要因、きっかけにはなります。

しかし全員が全員、自尊感情が下がりっぱなしになるわけではありません。
その時傷つきはしても、まずは自分の心身の安全を確保し、自分の感情を否定せず受け止め、そして理由もなく自分を傷つける人のことは「相手にしない」という自他の境界線を引き直せる人もたくさんいます。

ですから、外側の要因の全てが即、自尊感情の低下に結びつくわけではありません。

外側からのきっかけによって、或いは誰も何もしていないのに自ら、自己虐待をすると自尊感情の低下を招きます。

弊社の心理セラピーで取り組んでいるのは、クライアント様の自尊感情を高めること。これを裏から言えば、自己虐待をおのずとしなくなることです。そして他人から自分の尊厳を傷つけられることを、躊躇なく拒絶できる自分になることです。

自己虐待には様々な種類がありますが、今回は特に主だったものを取り上げます。

現在の自己虐待「嘘をつく、隠す、ごまかす」

嘘も、相手を傷つけないための嘘や、相手を安心させるためのはったり(本当は自信がなくても堂々とプレゼンをしないと、聴衆が不安になります)、全体の利益を考えた上での劣位順位付け(提出書類が完璧でなくても、他の仕事を優先させるべきなら片目をつぶってそのまま出す、など)は相手や全体のためなので自己虐待にはなりません。

また例えば「本当は寝坊したのに正直に言うのが恥ずかしくて、『電車が遅れて』と言い訳をする」などは、本人が反省して繰り返さなければ、周囲も薄々わかっていても、通常素知らぬふりをしてやり過ごします。その程度の半嘘もなければ、人は完璧ではないので、追い詰められてしまいます。

しかし、ありのままの自分を偽るような嘘は、ばれようがばれまいが、自分を否定し続けることです。学歴・経歴詐称などはその最たるものでしょう。犯罪に問われるような詐称はしなくても、病気や不幸話をでっち上げて、或いは針小棒大に粉飾して、他人に構ってもらおうとするのも同じです。

ばれた時に他人を傷つけるような、怒らせるような、自分の信頼を損ねるような嘘ばかりではありません。

自分の中の怒り、悔しさ、恨みや憎しみを「なかったこと」にしていい人ぶること。また「これはおかしい」と本心ではわかっているのに、目先の保身や利益のためにそちらを選ぶなどの打算もそうです。

コロナワクチンを推進しないと自分が(組織から)排除されるから、ワクチン推進に熱心であることを人に見せつけるために頑張っている。

藤原直哉「死の秩序か創造の混沌か」
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藤原直哉のインターネット放送局の動画版です。同じ内容です。藤原直哉プロフィール https://aeruba.co.jp…

打算、偽善、虚栄、これらが全くない人もそうそういませんが、これらは他人を怒らせるようなありありとした嘘ではないからこそ質が悪いのです。そしてこれらを他人が指摘したり、叱ってくれたりはしません。これらは自分が一見得をしているようで、誰でもない自分自身を裏切っています。

「嘘をつく、隠す、ごまかす」の反対は「自分に正直に生きる」です。しかしこれには勇氣が要ります。時として、安易な保身に走らない、自分が傷つく、損を承知で信念を貫くことでもあるからです。

組織で働く社会人だと、不本意ながら妥協せざるを得ないこともあるでしょう。しかし妥協して得たものが、本当に大事なものだったのかを自分に問い、「妥協した自分」をごまかさないこともまた大切です。

世間体や人の目ばかり、また目先の損得勘定ばかりを優先し、自分が責任を負うことから逃げると、「だって」と言い訳をしてまた自分の本心に蓋をします。

心の中で起こったことは、何であれ自分の姿です。特に見栄えの悪い、ネガティブな感情をそのまま否定せずに受け止める。それが「自分に嘘をつかない、ごまかさない」の基本姿勢です。

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過去の自己虐待「なかったことにする」

辛い過去の経験を「なかったことにしたい」、それくらい辛い思いをしたことは紛れもない事実です。
しかし「なかったことにする」と、ただでさえ辛い思いをした過去の自分に対するネグレクトになり、二重に自分を苦しめることになります。

その辛い経験を耐えてくれた自分に、まず優しくすること、そしてその経験から気づき・学びを得ること。そうすると過去の自分は「無駄に苦しんだのではないんだ」と納得し、安心します。どんな経験も無駄にしないのが自尊感情豊かなあり方です。

ただただ自分を被害者にしておきたい、その甘い誘惑から抜けられない内は、「学びにする」高度な態度を養えません。「私は悪くない!私が何で学ばなきゃならないの⁉」こうした甘やかしは、後述する「応援しない」態度でもあります。「学びにする」態度は真の謙虚さですが、学びにするから謙虚になる、逆もまた真なりです。一つ一つ、学びにすることで、「私は学べる人間だ」その自分になっていきます。

「私はダメだ」と自分を責めて逃げるのではなく、「次はどうする?」の反省をすること。これもまた、「次はどうにかできる」という暗示になります。

自分を責めるのは簡単ですが、真の反省は難しいのです。

この真の反省が「過去の自分をなかったことにしない」です。

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未来の自己虐待「応援しない」「どうせ・・・」

自分を応援しないとは、最初から「どうせ・・」で投げ出すことです。

結果のわかった八百長試合を真剣に応援する人はいません。結果がわからないからこそ、一生懸命応援します。

自分の子供が「どうせ今度の試合、負けちゃうよ!出たくない!」ともし言ったら、心ある親御さんなら

「精一杯がんばってごらん、投げ出すものじゃないよ。勝ち負け以上に、思い切りやることが大事なんじゃないかな」

などと励ますことでしょう。

「うん、どうせ負けるし、嫌な思いをするくらいなら、試合はボイコットしていいよ」と言う親がいたら、どう思うでしょうか・・・?

自分の子供には、或いは他人にならそう言って励ますのに、自分には「どうせ・・・」を言う、これが未来の自己虐待です。

「どうせ・・・」と言って逃げれば楽です。責任からも失敗からも逃げられます。しかしそれは目先の安楽に逃げること。状況を鑑みて「これはやらない」と判断選択することと、「どうせ」で最初から投げ出すのは別です。

「だって、どうせ」を延々と言い続ける人に、好感を持つ人はいません。ですからごく普通の良識がある人なら、そうした態度は人として誤っていると知っています。そしてこの態度は、幼児的な無責任であり、自尊感情豊かなあり方とは正反対です。

ところで、王貞治さんがかつて胃がんの手術から復帰された時、記者会見でこう話されました。
「選手と共に、優勝する喜び、そして負ける悔しさをまた味わいたい」

「どうせ・・・」ではこの悔しさを味わえません。

負ける悔しさ、これも真剣に生きた人間にしか味わえない偉大さです。

勝つという結果だけではなく、負ける悔しさも肯定できる、これが自尊感情が高まった状態です。

【音声版・自尊感情を高める習慣・6回コース】

1回約20分、6回コースの音声教材です。

第1回 自尊感情とは何か。何故大事か
第2回 全ての感情を受け止め、否定しないことの重要性
第3回 「何が嫌だったか」を自分に質問する。目的語を補う
第4回 期待通りに成らない現実を受け入れざるを得ない時
第5回 小さな一歩を踏み出す・最低限のラインを決める
第6回 人生が変わるのは知識ではなく氣づき

第1回目は無料で提供しています。まず一週間、毎日聴き、ワークに取り組んでみて下さい。その後更に日常の中で実践してみたくなったら、6回分の音声教材(税込5500円)をご購入下さい。

🔗第1回・要約・氣づきメモ

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    弊社よりメールにて、振込先口座をご連絡します。振込み手数料はお客様負担になります。入金確認後、6回分の音声教材とPDFが表示される限定公開のURLとパスワードをメールにてお送りします。

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    生きづらい貴方へ

    自尊感情(self-esteem)とは「かけがえのなさ」。そのままの自分で、かけがえがないと思えてこそ、自分も他人も大切にできます。自尊感情を高め、人と比べない、自分にダメ出ししない、依存も支配も執着も、しない、させない、されない自分に。