自尊感情を高める7つの習慣② 魂の成長課題を見い出す

「目覚めの時」を教えてくれる「人生のアラーム」

「どんな不快な感情も感じてOK」が出来るようになったら、次の段階では不快な感情を感じっぱなしにするのではなく、向き合っていく作業が必要になります。

私たちのどんな感情や反応も、私たちの潜在意識の中に入っているパターンが生み出しています。
同じものやことに触れたからと言って、全ての人が同じ反応をするわけではありません。人間の反応がことごとく異なるのは、それぞれに持っているパターンが違うからです。

また不快な反応が出るからと言って、全てのパターンを変えなくてはならないわけではありません。電車の中でマナーが悪い人を見かけたら、嫌だなと思う、こうした反応をなくす必要はありません。

何か自分を制限し続けているような反応、同じ愚痴、不平不満、トラブルが何度も出てくる、そしてそれを放置すればするほど、「自分が生きにくくなる」「エネルギーが下がりっぱなしになる」「自分は自分でいいと思えない」即ち自尊感情がどんどん下がる、これが人生のアラームが鳴っているサインです。

上記の「電車の中でマナーが悪い人を見かけたら、嫌だなと思う反応」は、これは放置していても、自尊感情が下がるわけではありません。

人生のアラームは私たちの「目覚めの時」を知らせてくれています。私たち人間は長い人生を、何度も繰り返し「目覚めながら」成長し、生きて行きます。より高いステージに上がればこそ、新たな課題が出てくる、つまりアラームが鳴る時もあります。

このアラームに耳をふさぎ、「なかったこと」にし続けると、私たちを目覚めさせようとして、より音量が大きくなります。つまり、問題や症状がより深刻になります。

そして私たちの人生の時間は誰しも有限です。

このアラームは、ここに私たちの魂の成長課題がありますよ、と教えてくれるためにこそ鳴っています。
私たちの魂の何かが足りない、何かを必要としていると訴えているサインです。その何か、つまり成長課題を果たさない限り、真の魂の平安はありません。

「興味深いですね」
「何か事情があるのでしょう」
「何かが目覚めようとしていますね」
「ようこそ」

スティーブン・ギリガン博士「トランス・キャンプ」より「4つのマントラ」

「人生のアラーム」が鳴るのは現実と脳の中の世界地図にギャップがある時

ところで、人生のアラームが鳴るとは、具体的にどのような時なのでしょうか?

私たちは全員、脳の中に固有の世界地図を持ち、その世界地図で現実の世界を推し量っています。「こういう時は、こうするものだ。こうするべきだ」「○○は△△と言う意味だ」等。

この世界地図で、現実の世界に対処する用が足りていれば、アラームは鳴りません。しかし私たちを取り巻く現実の状況は、刻々と変わります。一定ではありません。世界地図と現実の世界にギャップがあり、今持っている世界地図では用が足りないと、アラームが鳴ります。

神戸に住んでいる人が、大阪までの地図しか持っていなかったとして、大阪より先の京都へ行かなければならなくなった時、「今持っている大阪までの地図では、京都へは行けない」からアラームが鳴ります。

この時重要なことは、大阪までの地図が「悪い」わけでは決してない、ということです。ただ大阪より先へ行くためには、用が足りないだけです。京都へ行くのであれば、大阪から京都まで、地図を拡大する必要があります。

具体的な日常の行動に置き換えれば、子供のころのあいさつ(「こんにちは!」「バイバイ!」)が悪いわけではありませんが、大人になったらそれだけでは用が足りないので、大人のあいさつ(「いつもお世話になります」「失礼いたします」)が必要になる、といったことです。どんな人も自然に、こうした地図の拡大は多かれ少なかれやっている筈です。

そしてこの大阪から京都までの差が、「魂の成長課題」です。

自尊感情が低い時、人は大阪までの地図を「ダメじゃん!」と責めたり(自責・自罰)、或いは「何でアタシが京都まで地図を拡げなきゃいけないの!?(面倒くさい、私は悪くない)」と「京都が大阪まで来るべきだ(!?)」(他責・他罰)をやろうとします。いずれも何の解決にもなりません。

自尊感情が豊かな人、自分に自信があり、自然体にのびのびと生きている人であっても、この魂の成長課題が来ているのは同じです。今持っている地図を責めもせず、「ギャップが小さなうちに」つまりアラームがうんと小さなうちに地図を拡大する、その努力を努力とも思わずにただ淡々とコツコツとやっています。他人はそれを外側から見て、「あの人はいつも楽しそうね」と思っているだけです。

これを裏から言えば、「成長課題がやってくるのは当たり前。そうしたものだ」が生き方になっている、ということです。ですから過剰な被害者意識や、自責の念に自ら溺れることはありません。

私たちは誰しも、前もって地図を拡大しておくことはできないようです。また「どの方面へどれくらい」地図を拡大すればいいのかは、あらかじめわかることではありません。それができるのなら、成長のためのプロセスは必要ないからで、私たち人間が長い人生を生きる意味がないからでしょう。

魂の成長課題の見つけ方「何があったら、違っていたか」

それでは、どのようにしたら、魂の成長課題を見つけられるのでしょうか・・・?

「だって、どうせ、私が未熟だから、馬鹿だから、ダメだから」「だってみんなが、あの人が、○○と言ったから、△△するから」「だって○○さんは特別だから、私とは違うから」よくありがちな言い訳ですが、これらは思考停止と責任放棄を促すだけです。その時は楽ができるかもしれませんが、大脳の前頭連合野、即ち人間の人間らしさ、人としての成熟をつかさどる箇所は鍛えられません。

「だって京都まで行けっこないから」「京都が大阪まで来るべきだから」の代わりに「何があったら、大阪から京都までの差を埋められるのか」を考えること。冷静に考えれば誰もがわかることですが、こと心のことに関しては、自ずからやれている人はそう多くはないかもしれません。

言葉を変えると、これまでのやり方では上手くはいかないのだから、別のやり方、考え方、物事の捉え方、姿勢や資質は何かを、自分に問うということです。

「(『あの人』ではなく自分自身に)何があったら、何ができたら、違っていたか」
もしくは、今更どうにもできない事柄に対しては
「このことから私は何を学ぶのか」

これらの質問を自分にするかどうかが、同じところをぐるぐる回るか、時間はかかったとしても「魂の成長課題」を見出し、成長し続けるかの分かれ道になるでしょう。

この背景には、起きてしまった出来事の行為責任は必ずしも自分にはないかもしれないけれど(自分が引き起こしたことではないことには、「引き起こした責任」を取ることはできません)、その出来事にどう向き合うか、もしくは向き合わないかは100%自分の責任であるという、態度責任を引き受ける態度があります。急な雨が降ってきたことは自分の責任ではありませんが、ずぶぬれになった後の態度をどう取るかは自分だけが選べること、つまり自分の責任です。

「苦悩のない人間は、人間性を失う」

魂の成長課題は千差万別ですが、自己受容、コミュニケーション、自分と他者の間に境界線を引くこと、親との葛藤を乗り越えること、配偶者や子供との分離・自立、自分の価値観・信念を探り、人の目を過剰に気にしないようになること、などが多いです。

心のことは全て絡み合い、重なり合っているものです。どれか一つだけが解決するということは、根本的にはなく、何かが解決すると他のことにも必ず波及していきます。

「しかしこれは言っておかねばならない。
苦悩ということは、人間にとって極めて大切な要素だということです。
苦悩のない人間は、人間性を失う。
神も人も見なくなる」

曽野綾子「哀歌」より

私たち人間には、愚かさや弱さや惨めさを通り抜けることでしか得られないものがあります。愚痴、悪口、不平不満、その中にその人ならではの人間性を回復する小道ー魂の成長課題ーが潜んでいます。

愚痴、悪口、不平不満が出る、出てしまう、これは生きていれば仕方がありません。チャンレンジしていないからこそ、悪い意味での満足になり不満が出ない、ということもあるでしょう。

そしてまた、自らの人間性を回復するためのチャンレンジに昇華せず、ただの不平不満に終わらせてしまうことも、やろうとすればできます。

それを自分に許さないことが、既に自尊感情を高めていこうとする、その人の品位と言えるでしょう。

無料ステップメール「自分を大切にする7日間のレッスン」

自尊感情を高めるとは、自分を大切にすることと言い換えても良いでしょう。
「でも、具体的に何から始めたらいいの・・・?」の声にお応えして7日間のレッスンにまとめました。

《レッスンの一例》

● 体の声は心の声・体の状態に耳を傾ける
● 望まない人間関係に心の中で「No」を言う
● 「今・ここ」を生きるための自分への質問

Pradoの心理セラピー・セッションでお伝えしている内容を含んでいます。

どんな自分も否定せず、そのまま見て、耳を傾けることで「生きやすさ」は増していきます。
自分を大切にすることで、打たれ強く、柔軟で、ぶれない心を・・・!

 

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生きづらい貴方へ

自尊感情(self-esteem)とは「かけがえのなさ」。そのままの自分で、かけがえがないと思えてこそ、自分も他人も大切にできます。自尊感情を高め、人と比べない、自分にダメ出ししない、依存も支配も執着も、しない、させない、されない自分に。