「わかっちゃいるけどやめられない」
「こうした方がいい」「これはやめた方がいい」・・人からいわれなくても全員わかってはいることです。しかし「わかっちゃいるけどやめられない」これがなくなったら、どんなに生きやすくなるでしょう。
「頭ではわかっていること」と「心がOKを出すこと」のずれを減らしていく、これも心理セラピーの一環です。これには、普段意識できていない潜在意識、つまり心に向き合うプロセスが不可欠です。
潜在意識はメリットのないことはしない
意識の80~90%を占める潜在意識は、理屈を超えたところで動きます。そして、メリットのないことはーどんなに良くないことでもーしません。
例えば
「あの取引先に早く電話しなくちゃ・・でもあの担当者と話すと嫌な気持ちになるんだなあ」
そう思うと中々電話に手が伸びません。色々言い訳をして先延ばしにしてしまいます。
「あの取引先に早く電話をすべき」という判断は顕在意識、つまり頭が行っています(「頭ではわかってるんですけど・・・」)。
そして潜在意識は「あの担当者から受ける不快を避ける」ために顕在意識の8~9倍の力で引っ張っています。つまりここにメリットがあります(「だって、嫌な気分になりたくない!傷つきたくない!」)。
潜在意識は、判断ができません。理屈ではなく、極論すれば快か不快かで動こうとする、と言ってもいいでしょう。
少しでも不快を感じると、私たちは色々と言い訳をして先延ばしにしたがります。
こうした場合、やりがちなのは「電話を先延ばしにすると、もっと困ったことーみんなが困るから、誰それに怒られるから、などーつまりさらに大きな不快がやってくる」とイメージすることです。俗に言う「お尻に火をつける」ということです。
より大きな不快を避けることを、動機にしています。自分で自分を脅しています。
しかしこのやり方を再々繰り返すと、仕事が苦痛になってしまいます。
ただし、嫌いな担当者であっても、さっと電話ができる人もいます。こうした人は、目先の快不快ではなく、「それは誰の何のためなのか」が腑に落ちています。「その担当者は好きではないけれど、仕事のため、お客様のため」だからです。仕事なりお客様なりを大事に思う心があればこそです。
また例えば、良いお客様がついているお店は、必ずと言っていいほど掃除が行き届いています。これもお店の人が特に掃除が好きというよりも、掃除は商売の基本、お客様を大事にする心の現れだと心と体に染み込んでいるからです。掃除を「こんな雑用、面倒くさい」と馬鹿にしていると、その姿勢を目利きのお客様に見破られ、支持してもらえません。そもそも仕事に雑用はありませんが、意義目的がわからないと、仕事を雑用にしてしまいます。
また別の例で、「間食をやめたい」と思っていたとしましょう。間食をやめれば、ダイエットにも良いし、健康にも良いです。しかし中々やめられない・・これは間食によって得ているものがあるからです。
間食をもしやめたとしたなら、どんな「困ったこと」が起こるか自分に質問してみるとわかりやすいでしょう。
間食のメリットが「ストレス解消」だったとします。この「ストレス解消」を別の選択肢で満たすことが重要です。間食で得られたのと同じくらいの「ストレス解消」を、一つに頼り切るのではなく(一つだけに絞ると、それが出来なかった時にまた「間食」に戻ってしまいます)、複数の選択肢で得るのがコツです。
そしてその選択肢の中には、間食と同じくらい手軽で、すぐに一人でも出来ることを入れておくと良いでしょう。
これらの取引先への電話や、間食の例で見たように、頭では「良くない」と判断していることでも、潜在意識は自分を守ろうとして、メリットを与えようとして、一生懸命に「取引先への電話をさせまい」「間食をさせよう」としています。ですので、「何でこんなことやっちゃうのよ!」と自分を責め続けると、潜在意識は、つまり心は、立つ瀬を失い、追い詰められる一方です。
潜在意識の言い分を聴こうとせず、いきなり責めると、責め続けると、否が応でも自尊感情は下がります。
非常に多い肯定的意図(メリット)「安全・安心を得たい」
多くの場合「安全・安心を得たい」が肯定的意図(メリット)になっています。
安全・安心の欲求は、マズローの欲求段階説では二番目に根源的なもの、人間の本能でもあります。裏から言えば、人間は不安や恐怖に弱いのです。
現代の日本社会では、物理的身体的安全・安心はほとんどの場合確保されているでしょう。しかし、精神的な安全・安心は必ずしもそうではありません。
私たち現代の日本人は、余りにも便利で快適な環境に慣れ過ぎ、かつてと比べてストレス耐性が低くなっています。その一方で時代の変化が加速度的に早くなり、中々対応しきれていません。
不安の耐性が過度に欠如していると、傷つくことを恐れて「安全・安心」を得たいがために、困難から逃げることを繰り返してしまいがちです。しかし、人間は社会的動物ですので、これを繰り返すと社会の中で適応しにくくなります。
不安の耐性を高めること、言葉を換えれば、困難をチャレンジと捉え、傷つくことを過度に恐れなくなること、昔から言われていることですが、これをやらないとあらゆる場面で弊害が起こります。そして自分では中々気づきません。
不安を消すのではなく、耐性を高める不安を感じやすい人ほど、「不安を感じたくない、不安を消したい」と望みがちです。もっともな心情ではありますが、現実には不可能です。何故なら、不安は恐れから生じ、恐れは私たち人間が生き延びるた[…]
目先の快不快に左右されない「何を大事に生きているのか」
生きづらさとは、目先の快不快に左右され、振り回されている状態です。そして私たちは大人になるにつれて、面倒なことから逃げてばかりはいられなくなります。
自尊感情が下がっている状態とは、目先のことしか考えられない、即ち長期的視野を持てなくなっている状態です。自尊感情がうんと低い人は、わざわざ人に嫌がらせをして、歪んだ支配欲を満たそうとします。しかしこれは、ほんの一瞬のその場しのぎです。すぐに、或いはいつの間にか、自分の周囲から人が去っていく、心ある人ほど去っていく、そして一旦去った人は中々戻らない、そのことに思いが至りません。
「それは誰の何のためなのか」「何が大事か」を日々生きていると、例えば間食一つにしても、自分の健康を害するほどには食べないようになります。頭で考えてではなく、自然にやれるようになります。
「正しい/正しくない」から「何が大事か」へ私たちの心が深く傷つくのは、大事なものやことを傷つけられた時です。「どうでもいい」とはある種の救いで、どうでもいいことには私たちは余り悩みません。価値観のない人はいません。しかし多[…]
自尊感情が高まると、真に大事にするべきことを大事にしたくなります。大事にするべきことを大事にするから、自尊感情が高まる、逆もまた真なりです。自分の品位が上がるため、目先の快に飛びついて、やるべきことから逃げることに、自分が耐えられなくなります。そしておのずと、人からの信頼を得るようになっていきます。