いじめの根源「幼児的万能感」
何故人は自分いじめをするのでしょう?
もしくは他人いじめをするのでしょう?
自分いじめも他人いじめも根は同じです。
自分を真の意味で大切にしている人は、他人も大事にできます。
他人をいじめる、コントロールする、依存する、ひっかきまわす、ちやほやされなければ気が済まない人は、あるがままの自分を大切にしていません。条件付きの自分でないと愛せない、をやっています。
これは誰もが成長過程で経験する「幼児的万能感」を、卒業しきれていないためです。
ウルトラマン、仮面ライダー、何とかレンジャー、女の子向けにはセーラームーンやプリキュア等々、どんな時代にも手を変え品を変え、幼い子供むけに「かっこいい正義の味方が悪を倒す」番組が作られます。
そしてどの時代にも子供たちに受けます。
子供たちはお父さんとウルトラマンごっこをする時、必ず自分がウルトラマンです。
「今日はボクが怪獣をやるよ!お父さんがウルトラマンになってボクをやっつけて!」
とは言いません。
いつの時代のどんな子供も、「かっこいいウルトラマン」に自分を投影し、ウルトラマンになりたがります。
これが「幼児的万能感」です。
しかし真実の私たちは、誰もウルトラマンではありません。
「ウルトラマンだと思っていたい自分」と「ウルトラマンではない真実の自分」のギャップが大きければ大きいほど、「生きづらさ」が生じます。
成功体験も失敗体験も両方大事
幼児的万能感は成長過程であり、全員経験します。
人は成功体験・失敗体験の両方を経ることにより、自身の幼児的万能感を打ち砕き、「ウルトラマンではない自分」を受け入れ、大切にできるようになります。
成功体験は「お母さんや先生がそれを望むから、そうしろと言ったから、その通りにしないと怒られるから」ではなく、「自分でこれをやる」と決めたかどうかが重要です。
「自分でこれをやる」と決めて、そして「出来た!」という体験を通して「自分はやれば出来る」「困難を克服する力が自分にある」と実感していきます。
大人でも「人から言われたから」ではなく「自分がこれをやると決めて」やり遂げたことの方が、自信につながります。
「人から言われたから」では「やらされた感」が残り、どんなにやっても自信にはなりません。
そして成功体験よりももっと大事なものは、失敗体験です。
「私はダメだ、ダメだ」が多いクライアント様に、「子供のころテストのやり直しをしましたか?」と尋ねると、ほぼ100%「やってない」の答えが返ってきます。
子供たちは失敗しても、親御さんや先生から、ダメ出しの代わりに、温かく受け止めてもらい、励ましてもらうことによって
「ウルトラマンでなくていいんだ」
と心で感じ取っていきます。
そして失敗から学び、立ち直る経験を積み重ねて「転んでなんぼ!」と思えるようになります。
困難から逃げない心を育てられます。挑戦の素晴らしさを知り、打たれ強くなります。
ウルトラマンでない自分にOKを出せていればこそ、同じくウルトラマンでない他人の失敗も温かく受け止め、励ますことができます。
しかし「ウルトラマンでない自分なんてありえない!」と心の底で思っていたら、どうなるでしょう?
いつでも必ず怪獣をやっつけて、シュワッチ!とかっこよく宇宙に帰っていくウルトラマン。
しかしそれはテレビの中だけの世界です。
「今日は怪獣に負けた」とか
「引き分けだった」とか
「怪獣にも事情があるから戦えない」とか
「くたくたに疲れてタクシーで帰った」とか
「怪獣に勝ったのに、誰も『凄いねー!ウルトラマンってかっこいい!』って言ってくれない」とか
「『何で地上で戦うんだ、町が壊れるのに。よそでやってよ!』と言われた」とか
ウルトラマンの世界にはあり得ません。
しかし現実の世界は「そんなもの」です。
「0か100か思考」と幼児的万能感
クライアント様の多くが、「0か100か思考」に陥りがちです。
クライアント様が抱えている問題そのものよりも、この「0か100か思考」が解決の妨げになっていることがとても多いです。
「0か100か思考」の背景とは自尊感情が低い間のクライアント様は、「0か100か思考」に陥りがちです。これは自分に厳しい完璧主義のようですが、実は異なります。一流の人が、自分の仕事に対して「これでよし」と満足せず、「まだ改[…]
「常に100でなければならない!」が、それはあり得ないので結果的に「0を選ぶ」のです。
しかし0を選んで行動しなければ、学びを得られず、私たちは成長することが出来ません。
「自分はウルトラマンでなくていい」と心から受け入れていないと、この「0か100か思考」に陥ってしまいます。
そして「何でボクは、私は、ウルトラマンでないんだ!」という自分いじめ、自己虐待が始まります。
これが結果として、うつや依存症の温床となります。
或いは「自分はウルトラマンである筈だ!」という幻想にしがみつき、「怪獣探し」を始めます。これが他人いじめです。
怪獣をやっつけてこそのウルトラマンですから、怪獣がいないと困るのです。
それも絶対に自分が勝てる「怪獣」を探します。
気持ちの優しい人や、立場上決して反撃出来ない相手を「怪獣」に仕立てることもしばしばあります。その対象が子供になることも、残念ながら枚挙に暇がありません。
これが他人を支配しようとする事です。
暴力、暴言だけでなく、依存、しがみつき、過干渉、無視・無関心、現実逃避もあります。
自分いじめ、他人いじめは片方が強く出ることもありますし、両方現れることもあります。
いずれにせよ、根は同じです。
「ウルトラマンでなければ!」で頑張ってしまうと
親御さん自身が「ウルトラマンでなければ!」と思っていると、お子さんも
「ウルトラマンじゃなきゃこの家に置いてもらえない!」
「ウルトラマンになれるように頑張らなくてはいけない!」
「本当はウルトラマンじゃないボクは、わたしは、お母さんの子だと思ってもらえない!」
と心の底で感じ取ってしまいます。
どんな子供も、切ないほどに「お母さんに認めてもらいたい」と願っています。それを願わない子供はいません。
口でどんなに「あなたはウルトラマンじゃなくていいのよ」と言ったところで、親御さんが自分自身に向かって「私はウルトラマンじゃなければ!」と思っていたら、
お子さんは
「やっぱりウルトラマンじゃなきゃいけないんだ。ウルトラマンの子がウルトラマンでないなんて、あり得ないんだから」
と感じ取ってしまいかねません。
そして
ウルトラマンになろうとして燃え尽きてしまったり、
「どうせウルトラマンにはなれっこない」と心を閉ざし、努力そのものを放棄してしまったり、
「ウルトラマンではない自分を受け入れてくれない親、大人、他人」への不信感を募らせてしまう、
そうした危険性があります。
「ウルトラマンではない自分」を受け入れる勇気
私たちは誰もみな、ウルトラマンではありません。
上手くいかないこと、誤解したりされたり、嫌われることもあるのが「当たり前」です。
いつもいつも優しい自分でいられるわけではなく、「何やねん、あいつ!」と腹が立つ自分、人を恨んだり憎んだりする自分も自分です。
自分の中の、「目をそらしておきたい」「なかったことにしておきたい」ウルトラマンではない自分を受け入れることの方が、ウルトラマンになろうと頑張るよりも難しく、勇気がいります。
しかし、
「ウルトラマンでなければ愛してやらないぞ!」と言う人と
「ウルトラマンでなくても愛していますよ」と言う人と、
どちらが愛のある人でしょう・・・?
そしてウルトラマンでない自分を愛せない人は、同じくウルトラマンでない他人を真の意味で愛することはできません。
弊社で大切にしている自尊感情の中身には、色々なものがあります。品位や慎み、粘り強さ、思いやり、主体性や客観性など。
中でも大きなものは、「ウルトラマンではない自分」を受け入れる勇気なのです。