少し前にフィギュアスケートの羽生結弦選手が、インタビューの後、照れたように笑いながら
「辛い練習に戻ります」
と言っていたのを聞いて、
「あの練習の虫の羽生さんでも、練習は辛いんだ」
とその時改めて思いました。
やっぱり人間嫌なものは嫌だし、 辛いものは辛いものです。
それを無理やり楽しくやろうとしても、 無理が生じることはやはりあります。
下手をすると
「自分の(嫌だと思う)感情を否定する」
「自分をごまかす」
ことになりかねません。
これらは「あるがままの自分を否定する」自己虐待になります。
しかし羽生さんのように、練習自体は辛くても、先延ばしをしない人は
「練習の先にあるもの」
を見ています。
羽生さんはソチオリンピックの前に、スマホの待ち受けにソチオリンピックの金メダルの写真を設定し、毎日それを見ていたそうです。
私たちも先延ばしをしない時は、 実は同じことをやっています。
旅行の荷造りそのものをルンルンで楽しくやる人は余りいなくて、旅行に行った先の楽しい自分をイメージするから面倒でも荷造りがやれるのです。
掃除が好きな人も、掃除の作業自体が好き、というより掃除した後の、きれいになって
「ああ、すっきりした、きれいになった」
の快感をイメージしているから面倒な掃除が出来るのでしょう。
面倒くさがる時、先延ばしばかりする時は「面倒な作業」だけに意識が向いていて、そこにはまり込んでいます。「何のためにそれをするのか」がどこかに飛んでしまったまま、その「面倒な作業」を歯を食いしばって頑張らなくては、と思うから余計に辛くなるのです。
面倒になった時、つい先延ばしをしたくなった時は、それをやった先に、何が待っているのかを今一度思い出す、何度でも思い出す習慣が、羽生選手と同じく、「つらい練習に耐えさせてくれる」でしょう。