「誰とでも仲良く」は「相手の都合の良い人間になる」ことではなく
自分を大事にするのは、誰でもなく自分の仕事です。幼い子供でなければ、誰でも、自分の面倒は自分で見るのです。
しかし、目に見えない心のことは、その自分の仕事を放り出し、他人に自分の心の隙間を埋め合わせをしてもらおうとしがちです。
そういう人にとっては「自分の不幸は蜜の味」、自分の責任を放り出す格好の言い訳として自分から不幸に溺れていきます。
「だって、主人が、妻が、親が、子供が、会社が、世間が」
「何であの人のせいでこんな目に」
「どうせ私なんて」
悔しい気持ちを一度しっかり吐き出し、「ああ、自分はこんな感情を感じていたのだなあ」と客観視するのは、自分を大切にするための重要なステップです。
自尊感情は無条件のもの自尊感情(self-esteem)とは、「どんな自分でもOKだ」という充足感の伴った自己肯定感です。条件付き(お金や能力や美貌や、学歴や社会的地位などの評価が手に入っているから)で自分を肯定していると[…]
しかし、いつまでもそこにとどまっていて良いわけではありません。
感情を吐き出した後に、そこからどんな学びを得るのか、次に似たようなことが起きた時、どのように違った反応と選択をしたいのか、それを考えることを怠ると、「自分の不幸は蜜の味」になってしまいます。
そして結局は、自分もその嫌な相手と同じになってしまいます。
ところで、私たちの心の状態を大きく左右するのは、どんな人間関係を自分が築いているかでしょう。
そしてその人間関係を整えていくことさえ、自分の仕事です。
よくありがちなのは「誰とでも仲良く」「人を嫌ってはいけない」、本当にそうでしょうか・・・?
自分を大切にしないと、周囲に「あの人は大事にしなくてよい」というサインを送ってしまう
どんな人間関係を築きたいのかを決めることも、自分の仕事です。
以下のような人たちがもし自分の周りにいるのなら、改めて「自分を大切にする仕事」に取り組みなおす必要があるでしょう。
- 一緒にいると疲れる
- 挨拶をしない、約束や礼儀を守らない
- こちらが何かを言うと「それ、違うやん!」とまず否定し、揚げ足取りをする
- 言われたくないこと、されたくないことを繰り返しする
- その人のことを思うと嫌な気持ちになる、悪口を言いたくなる
- 干渉してくる
- 同じ愚痴を延々とこぼし続け、改善しようとしない
- その人に変わってほしいと願う
- 言っていることとやっていることがバラバラ、もしくは言うことがコロコロ変わる
- 相手を陥れるため、自分の損得のための嘘をつく
これらの人たちは、自分を大切にしていない人の心の隙を狙って、エネルギーを奪い取ろうとします。
例えば、社会的地位が高い人が、SMの女王にわざわざ高いお金を払って自分を痛めつけてもらうことがあります。
「本当の自分はその程度に価値のない人間で、それにふさわしい扱いをしてもらうと自分を確認し、安心できる」
いじめに毅然とした態度が取れないとか、DVをする配偶者と無理やり別れさせても、結局また似たような人とくっついてしまう、などは同じことが起こっています。
また、真に自分を大切にしていない人ほど、自分を本当に愛してくれる人からの愛情は泥靴で踏みにじり、一方で、甘言を弄してべたべたに甘やかし、責任逃れをさせてくれる人に自分からすがりついてしまいます。共依存の関係に自分からはまり込みます。ジャンクフードばかり食べていると、新鮮な肉や魚や野菜のおいしさがわからないようなものです。
これでは真の自信も自尊心も損なわれる一方です。そしてまた責任逃れをさせてくれる人にすがる、という悪循環になります。こうなってしまうと、他人が何を言っても聴く耳持たずです。それで一生が終わってしまう人も少なくありません。
人間関係の悩みは、コミュニケーションスキルというよりも(これは枝葉のことです)、自尊感情の低さに起因すると、クライアント様と日々接する中で実感しています。
特に配偶者選びに、その人の自尊感情の高さが映し出されています。相手を好きとか何とかよりも、自尊感情が高い人は高い人同士、低い人は低い人同士で、天秤が釣り合うように釣り合っています。
自分を真に大切にし、反省はしても自分を責めることに逃げず、建設的な努力をして自分を励まし続ける人が、肉体的・精神的暴力をふるう人や、言い逃ればかりして責任を持とうとしない人とくっついてしまうことは起きません。
低い人同士で釣り合っていた夫婦のどちらかが、真に自分を大切に生きようと決意すると、おのずと天秤が傾き、いずれ関係が解消されるケースもあります。これは自然の成り行きでしょう。
配偶者のみならず、友人や、経営者であれば顧客でも同じです。自尊感情を高めていった結果、人間関係が変わっていきます。
誰にとっても、共にいるべき人は「自分の良さを引き出してくれる人」
常に「自分の良さを引き出してくれる人」とだけ共にいることを、自分に許可すること。自分が決めること。これが初めの一歩となります。そうでない人に引っ掻き回されてしまった場合は、まだまだ自分の脇が甘いというサインです。
ただし、これは決して自分を甘やかすことではありません。真に「自分の良さを引き出してくれる人」は、時にはこちらの耳が痛い、しかし必要な、そして中々人が言ってくれないこともー頭ごなしではなくー言ってくれたりします。その人の成長や成熟を、心から願うのが「自分の良さを引き出してくれる人」です。耳が痛いことを言ってくれるのは、勇気が要ります。
そして「自分の良さを引き出してくれる人と共にいる」と決めた以上は、まず自分には自分なりの良さがある、と認めていることが前提となります。自分をいじめ、毛嫌いしているのに、他人には「自分の良さを認めてほしい」では矛盾があります。
人は「自分をいじめながら、他人からはちやほやされたがる(「そんなことないわよ!」「あなたよくやってるじゃない!」)。でも褒められると否定する(「そんなことありません!」)」をよくやります。これでは自分を大切にしているとは言えません。
自分が選べる人間関係の場合、それがSNSやブログであっても、「この人と共にいると自分がみじめになる」場合は付き合わない決断が必要です。
職場や家族や近隣の人など、自分ではすぐに選べない場合は、まずはしっかりセンタリングし、境界線を引き直すことから始めましょう。
心の境界線自尊感情が低下すると、自分と他人の境界線があいまいになりがちです。自分ではどうにも出来ないことなのに、自分のせいのように感じたり、完全に相手の自由、相手が決めることなのに「なんでこうしないの!?」と口をはさまずにいられなかった[…]
自分を馬鹿にされるような嫌な話題を振られたら、ラポールを切る(目をそらす、相槌を打たないなど)、できるだけ影響を受けないように距離を取る、など自分を守ることを最優先して構いません。
相手が目上であっても、人としては対等です。うすら笑いでごまかさず、毅然とした態度で臨むと相手の反応も変わります。
この「人としては対等」こそ、自尊感情の中身です。自分も他人もかけがえがない、と心底思えて初めて、「人として対等」と思えます。
そしてこれは、「人が自分をどう思うか」に、自分が囚われてしまってはできません。相手を思いやることと、相手が自分をどう思うかをコントロールしたい、は別物です。後者は相手の内心の自由を奪おうとする思い上がり、エゴに過ぎません。世間体を気にしすぎるのも、虚栄心と自己保身の結果であり、これもエゴです。
人が自分をどう思うかより、自分が自分をどう思っているかです。
「自分が自分をどう思っているか」の結果が、自分の人間関係に鏡となって映し出されていきます。これは「自分は何でもできるスーパーマンだ!みんなより、誰々より、立派で偉くてすごいんだ!」と思うことではありません。これではただの自惚れです。真の自信がある人は、自慢話をまずしません。慎みとは力のない人には取れない態度です。また反対に「どうせ私なんて」と卑下して何も行動に移さないことでもありません。自己卑下は自惚れの裏返しです。
「私はスーパーマンでも天使でもないけれど、何ができてもできなくても、この世に二人といないかけがえがない存在だ」と思えていることです。だからこそ、自分を大切にし、悪い意味での満足(「もういいや」「これ以上やってもどうせ無駄」)にならずに、自分を励まし続けます。
自尊感情が真に高まると、肩肘を張って「自分を守らなきゃ!」と頑張らなくても、こちらを粗末に扱おうとする人が最初からやって来ない、やって来ても早い段階で「この人は違う」と感じ取って「向こうから去っていく」ようになります。一見おとなしそうでも、芯の強い人はいじめられないのと同じです。それには常に自己決定と自己責任から逃げない態度が不可欠です。