「真に受けてしまう」のは真面目で一生懸命なため
悩みがちな人は真面目で、「真に受けてしまう」人が多いようです。
子供の頃親や教師に期待されて育ち、真面目に頑張ることで承認されてきた人や、感受性が繊細な人が真に受けてしまいがちです。
真面目に頑張ることや感受性の繊細さは美徳でもありますが、どんなことでも諸刃の剣で、いい加減、つまり「良い」加減が中々できない、ということにもなりえます。
「そんなこと、スルーしとったらええねん!」と、他人から言われたこともあるかもしれません。
そう言われた時、「それができたらこんなに悩まないよ・・・」と内心思った人もいるでしょう。
「スルーしとけばいい」確かにそうなのですが、このスルースキルは実は経験と鍛錬が必要です。
スルースキル≠「自分に都合の悪いことには耳をふさぐ」
誤解されがちですが、スルースキルは「馬耳東風」「自分に都合の悪いことは聞かない」ではありません。
これはただの自分のエゴでしかありません。
自分と周囲のために真に役立つスルースキルとは、例えば
- クレーマーや、店頭で嫌がらせをするお客さんを、「逆切れさせずに」上手になだめてお引き取り頂くこと
- 嫌みやあてこすり、その裏返しのおべっかやおべんちゃらを、否定も肯定もせず、「議論に乗せずに」やり過ごすこと
などです。
これは相手の体面と感情を傷つけずにお引き取り頂くことなので、場数と鍛錬が必要です。
社会人になりたての人にはさすがに難しいことでしょう。
そしてまた、こう見ていくとスルーしている人は優雅にやっているようですが、実はそれなりにエネルギーを使っています。
「上手にお引き取り頂く」のも誠実さの現れ
真に受けて悩んでしまう人の中には、こうしたスルースキルと、「自分の都合の悪いことには耳をふさぐ」ことを混同していることがあります。
お店の例だとわかりやすいかと思いますが、お店の人が全員が全員「嫌がらせをする人を『真に受けて』悩んでしまう」人ばかりのお店と、「嫌がらせをする人を上手になだめてお引き取り頂く」ことができるお店と、どちらのお店に信用を置くでしょうか。
真に受けて悩むことそのものは、その人の真面目さの表れではあります。
しかしそこから「相手の体面を傷つけないように、上手に言って早めにお引き取り頂く、或いは自分から距離を置く」へ移っていく、それには努力が要ります。ただただ悩んでいるだけに自分をとどめず、その努力をすることが真の誠実さでもあるでしょう。
家族などその人との関係そのものは切れない場合でも、「相手のゲームに乗らない」「巻き込まれないように距離を保つ」ことが結果的に自分と相手を守ります。
自尊感情が高い人ほど巻き込まれにくく、また距離を保つことに余計な罪悪感を抱きません。つまりスルースキルを身に着けています。
そして悲しいことに、ゲームを仕掛けてくる方は、自尊感情が低い人を狙って仕掛けてきます。この時自罰か他罰かだけをする(「私がダメなのかな」「あの人が悪い!」)と、さらに自尊感情が低下し、また狙われ、の悪循環になりかねません。腹立たしさや情けなさを否定せずにしっかり受け止めた後、「これを繰り返さないために今後どうしていくか」を自分に問う態度が、自尊感情を高めます。
仕事よりプライベートのことの方が、悩みは深いものです。仕事は「役割」や「立場」がクッションになるからです。
些細なことで拗ねてみせたり、真面目に付き合う気もないのに気のあるそぶりだけして来たり、こちらの言葉のいちいちを揚げ足取りをして来たり、こうしたゲームを仕掛けてくることに「あー!うっとうしい!」と思った経験のない人はたぶんいないでしょう。
プライベートの付き合いだと、仕事の付き合いのように割り切れず、「気まずくなっちゃいけないんじゃないか」とずるずる続いてしまいがちです。
気持ちが優しい人なら尚更です。
しかし「上手にお引き取り頂く」こともまた、誠実さの現れであり、これができるのは成熟の証でもあるのです。