コミュニケーション

コミュニケーションとは「北風と太陽」

イソップ寓話の「北風と太陽」

イソップ寓話の「北風と太陽」、大変有名な話なのでご存知の方も多いでしょう。

あるとき、北風と太陽が力比べをしようとする。そこで、旅人の上着を脱がせることができるか、という勝負をする。
まず、北風が力いっぱい吹いて上着を吹き飛ばそうとする。しかし寒さを嫌った旅人が上着をしっかり押さえてしまい、北風は旅人の服を脱がせることができなかった。
次に、太陽が燦燦と照りつけた。すると旅人は暑さに耐え切れず、今度は自分から上着を脱いでしまった。
これで、勝負は太陽の勝ちとなった。

Wikipedia より

子供のころから「知って」はいても、その通りに生きることは中々得難いことです。

私たちは日常の中で本当にしばしば、太陽ではなく北風をやってしまいがちです。特にコミュニケーションにおいて。

力には力で返そうとするのが人間の反応

相手に感情移入してしまいやすい人や、或いは相手が家族や友人など思い入れのある人だったりすると、「相手の問題を自分が直接『助けてあげよう』」としがちです。

「あいつは悪魔だ!」
「自分なんてダメ人間だ!」
「どうせ上手く行きっこない!」

こうした「思い込み」は例えて言うなら、両手で一本の棒を握りしめている状態です。
えてして人がやりがちなのは

「・・・そんなことないよ!」
「あの人にだっていいところはあるよ!」
「あなたはダメ人間なんかじゃないよ!」
「やってみなくちゃわからないよ!」

と「説得」しようとすることです。そしてこれらはいずれも「正しい」ことでもあります。この「正しさ」が実は厄介です。

実際に二人一組でやってみるとよくわかりますが、一人が両手で握りしめている棒を、もう一人が取り除こうとして引っ張ると(「説得」とはこれをしようとすることです)、棒を握っている方は無意識に、反射的により力を入れて棒を握りしめます。
これが人間の反応です。

上記の「説得」をしようとしても、かえって頑なになるのはこの反応のためです。

北風を吹き付けても、人は上着をとられまいとしっかり押さえようとするものです。

ペーシングとは北風ではなく太陽

コミュニケーションの勉強をされた方は、「ペーシング」と言う言葉を聞いたことがあるでしょう。
「相手のペースに合わせる」ということで、ワークショップなどでは「同じ姿勢を取る」「同じタイミングでうなづく」「呼吸を合わせる」「声のトーンを合わせる」等と教えられます。

これらはそもそも一体何のためにするのでしょう・・・?

ペーシングしてもらうとある種の「心地よさ」を感じますが、これも手段であって目的ではありません。

ペーシングとは、上のイソップ寓話の「太陽」をやることです。

握りしめた棒をどんなに力づくで引っ張ろうとしても、反射的に却って強く握りしめます。
しかし、相手がほんの少し、両手の力を抜けば簡単に棒は下に落ちます。

そしてこれは、相手が「力を抜いても良い」と思わなくては起こりません。

優れたコミュニケーターは、相手が「力を抜いても良い」と自分に許可を出す、その手助けをしているのです。
ペーシングや共感は、まさにこの目的のためなのです。

力で棒を手放させることは、出来るだけ最小限に

コミュニケーションにおいて、「力で棒を手放させる」ことが起きることもあります。つまり相手を自分の意に「力で」沿わせようとすることです。
これは緊急時、説明している時間のない時、相手が幼児など理解力がない時などに使われます。

飛び出してきた車にひかれないように、咄嗟に相手の腕をつかんでひっぱることや、授業中の教室の外で、騒いでいる人に「静かにして下さい」と注意すること、幼い子供がお店のものをいたずらしようとしていたら、手を押さえてやめさせるなど、いちいち共感やペーシングをしていられないこともあります。
これらは大きな視点で考えれば、相手や全体のためであって、自分のエゴで相手を思い通りにしようとしていることではありません。

しかし日常的に「相手を自分の意に力で沿わせようとする」と、その時はうまくいったように思えても、確実に相手の心の底に不信感が溜まっていきます。
そして人間関係において最も肝心の信頼を損なうことになってしまいます。一旦失った信頼は、そうたやすく修復できません。

或いは逆に、相手が思考停止し、「何でも貴方(他人)に決めてもらう」依存を生むこともあります。一旦脳が「思考停止⇒責任放棄」のパターンを学習してしまうと、中々そこから抜けられないので、こちらの方が厄介かもしれません。

いすれにせよ「力」は劇薬です。やむを得ない時に最小限使う、そして常日頃は共感とペーシングをベースにする習慣が大切です。

参考:共感と同意はどのように違うか

「誰でも幸福になれる」のは、手に握りしめた棒を手放すことだから

当Pradoのサイトでは、再々「幸福は自分の責任」と書いています。
別の言い方をすれば「自分次第で誰でも幸福になれる」ということです。「幸福は他人の責任」ならば「自分次第で誰でも」ということにはなりません。

幸福が重くて長い棒を握りしめることなら、「誰でも出来る」ことではないでしょう。力の差は人それぞれだからです。

しかし、「力を抜いて握っていた棒を手放す」ことは、自分が手放そうとさえすれば、どんな人にでも出来ます。

そして「北風と太陽」の話と一緒で、他人は「上着を脱いでも良い」「棒を手放しても良い」環境づくりはできますが、その人自身が「上着を脱いでも良い」「棒を手放しても良い」と思わなければ決して実現しません。

その意味において「自分を幸福にできるのは自分だけ」なのです。

無料ステップメール「自分を大切にする7日間のレッスン」

自尊感情を高めるとは、自分を大切にすることと言い換えても良いでしょう。
「でも、具体的に何から始めたらいいの・・・?」の声にお応えして7日間のレッスンにまとめました。

《レッスンの一例》

● 体の声は心の声・体の状態に耳を傾ける
● 望まない人間関係に心の中で「No」を言う
● 「今・ここ」を生きるための自分への質問

Pradoの心理セラピー・セッションでお伝えしている内容を含んでいます。

どんな自分も否定せず、そのまま見て、耳を傾けることで「生きやすさ」は増していきます。
自分を大切にすることで、打たれ強く、柔軟で、ぶれない心を・・・!

 

無料ステップメールに登録